ドイツから来日中の神学者、ペーター・バイヤハウス博士は18日に行った講演の中で、日本のクリスチャンに対し、クリスチャンは世界宣教の本来の動機を再確認しクリスチャンとしての主体性を失うことなく全世界に福音を宣(の)べ伝えよう、と呼び掛けた。
「使徒的宣教の原則−21世紀の課題」と題したこの日の講演で、同博士は?世界宣教の聖書的動機、?世界宣教の現状、?宣教の留意点--について語った。
「使徒とは、イエスの代理人として神の派遣のみわざを成就する者」と定義するバイヤハウス博士は、「派遣の神」を信仰の先祖アブラハムに遡って説明した。神の願いは、神が愛された世界を神の栄光と愛に満ちた世界に変えること。人間の堕落にもかかわらずアブラハムとその子孫を遣わし、彼らを通して全世界が栄光を受けることを願われた。イスラエルの全国民を祭司とした神は、民が神のみこころに盲目となり不従順な姿に陥ったときに預言者イザヤを遣わした。バイヤハウス博士は「イザヤによって、神は不従順な民に代わる人物をいつも用意されていることが示された」と指摘した。
バイヤハウス博士は、イエス・キリストは自身が神から送られた者であることを自覚し、神に対する従順をもって仕えたと話した。イエスの宣教はユダヤ民族に限られる結果となったが、ユダヤ民族に祭司国としての自覚を呼び覚まさせると、神殿で実権を握る祭司たちではなく、神に忠実に仕える心を持った12人を使徒として選び、自身の権威を与えて大宣教命令を下し、派遣することで、神の派遣を継承した。「世の終わりまでともにいる」と約束したイエスとペンテコステで降臨した聖霊は神による三位一体の派遣のみわざと指摘。バイヤハウス博士は「まことのイスラエルを実現し、初代の王として世界を救う方は、ナザレのイエスのほかにありません」と強い口調で話すと、「イエスの死と復活で明らかになった神の救いの奇跡を全世界に信仰を持って伝え、全人類が永遠の命を得ること」こそキリスト者の生の目的と強調した。
「クリスチャンは宣教の使命を忘れている。20世紀後半には、かつて聖書的だった宣教団体はこれを忘れ、政治的社会的団体へと変質してしまった。他宗教(との交流で)も、対話だけに時間を費やし、他宗教の代表者たちがキリストの福音を必要としていることを忘れている。」
バイヤハウス博士は、世界宣教を妨げるサタンの働きに言及し、教会成長の最大の障害は教会と牧師を蝕む世俗化と指摘した。世に対する愛が過多となり、社会的地位、名声、物質的豊かさを求めるあまり霊的豊かさが失われており、そのため祈祷会や聖書研究会を行ったり参加したりする牧師も激減したという。霊的な生活や宣教の情熱を失った教会は歴史の悲劇だ。外的な影響では、イスラム原理主義が最も脅威と話す一方、愛と情熱をもって宣教する手段を探ることが必要と語った。
最近になって特に世界宣教の重要性を感じるというバイヤハウス博士は、キリストが今も生きて働き続けていると同時に、サタンも生きて働いていると話すと、「福音の拡張はサタンにも妨げられない。だが、サタンはこれを遅らせることはできる」と明かし、キリストが再び来られるときが自身の最期と知っているからこそ、その働きが活発になっていると説明した。
キリストが生まれて2000年が経過した今、宣教のリバイバルが、共産主義から開放された東欧諸国、ここ20数年で教会が30倍に成長した中国を中心とするアジア、アフリカで起こり、キリスト教の霊的な中心地が北半球から南半球へ、西から東へと移ったという。同博士はこの現象を「勇敢な宣教師たちが迫害を恐れず働きを続け、神様が(彼らを通して)不思議なみわざをなさった結果だ」と評価した。全世界の宣教師は15万人といわれており、非欧米からの宣教師の急増についてバイヤハウス博士は、アジアとアフリカから派遣される宣教師の数が、1980年に5000人だったのに対し、2002年には11万5千人に達し、欧米からの宣教師数をはるかに上回っていると説明した。
急速に進む人口増加についてバイヤハウス博士は、総人口に対するクリスチャン人口の比率を保つだけでも今後、大変な努力が必要になると指摘し、宣教師派遣と若年層の早期救済が急務と述べた。
また、キリスト者が世界宣教のために必要な7つの要素について?聖書は神の権威ある御言葉と信じ、聖書に基づいて神のみこころを求めてすべての計画を実行していくこと、?牧師、宣教師、信徒一人ひとりの霊的刷新、?キリストの導きに常に注意を払い、信じ、従順になること、?人々の表面的な苦痛を通して背後にある霊的苦しみを見出し癒すキリストの目を持つこと、?キリスト者は来るべき王に遣わされた者として緊張感を持ち、宣教の働きの速度を速めること、?キリストの働きとサタンの手段を神の御言葉によってのみ見分けること、?喜んで犠牲を払い、キリストは地上での名声や財産ではなく地上で死に至るまで忠実であることで与えられる命の冠を約束されたことを忘れないこと--と話し、まことの献身を呼び掛けた。