カナダの神学校リージェントカレッジの初代学長で「霊性の神学」提唱者のジェームス・フーストン師が2日、上野の森キリスト教会(東京台東区、重田稔仁牧師)で「心の井戸を掘る―ポストモダンの行き着く先を見据えた牧会を目指して」をテーマに公開講演会を開催した。フーストン師は講演で、ポストモダン時代の兆候として技術主義、機械化、孤独、ストレス、統合失調などの現象が現れ始めていると指摘。ポストモダン時代の問題点を浮き彫りにした。同講演会には東京近郊の教会を中心に信徒や教職者など約50人が参加した。
フーストン師はまず、モダニズム(近代主義)時代からポストモダン時代に移り変わってきた今日の時代背景と、それに伴って変化したキリスト教界のあり方について説明した。フーストン師によると、今日の福音主義キリスト教界は18世紀の終わり頃に提唱された啓蒙主義の精神を受け継いでいるという。「その当時福音派の神学者たちは啓蒙主義(理性を重要視する思想)を喜んで受け入れた」とフーストン師は話す。その影響は20世紀初頭でも顕著にみられ、福音主義の教会で育ったフーストン師は、「あなたの知性が重要だと」いつも言われ続けてきたという。だが、「私はそのような啓蒙的な流れに抵抗してきたひとりであった」とフーストン師は自身の生を語った。
そのような時代の流れを振り返り、「いまポストモダンの時代を迎えた」とフーストン師は述べ、『理性』中心主義から『心』を重要視する新しい時代が到来したことを宣言した。このようなポストモダン時代の風潮の影響を受け、キリスト教界内でも変化が起こり始めているという。「個」の大切さと価値観の多様性を尊重しようとするポストモダン時代において、「客観主義から主観主義へ」、「絶対主義から相対主義へ」と教会の思想体系が移り変わりつつある。フーストン師はそのような傾向を危惧し、「クリスチャンはそのどちらでもないという主張するべきである」と主張した。さらに「いまはポストモダンを超えたところを見据えなければならない」と述べ、将来に訪れる新しい時代の到来を願った。
フーストン師は続けて、昨今のポストモダン時代に起こっている様々な現象とその問題点について説明した。第一に近代化が生んだ技術主義と機械的思考体系の蔓延を問題点として挙げ、「いま人々は物事の全てを機械的論理体系で捉え、『原因と結果』にこだわる傾向が強くなっている」と指摘した。フーストン師によると、この傾向が人間同士のコミュニケーションに支障を与え、人々の「心」に深刻な問題を引き起こしているという。
ポストモダン時代の到来を助長した要因の一つがインターネットの普及だ。「Eメール」や「チャット」などのインターネットを介した通信ツールが多く使われるようになったことが原因となり、人々の「会話」が減り、疎外感や孤独、統合失調といった「心」の病が引き起こされている。フーストン師は米国のある慈善事業団体で起こっている出来事を例にあげ、「そこでは部屋が分かれていますが、お互いのコミュニケーションはEメールでするということでした。世界の貧しい国々を助けているその慈善団体にも関わらず、自分たちのコミュニケーションはEメールで済ませてしまっていたのです」と述べ、会話が失われている現状を問題視した。
また、フーストン師は「今日ほど孤独な時代はない」と述べ、心の病の中で孤独が最も深刻な病であると訴えた。さらに、孤独と慢性的なストレスにより「恐怖症」、「統合失調」といった病が派生すると述べ、孤独を癒す牧会の必要性を呼びかけた。そのうえでフーストン師は、「この時代で牧会をしようとするならば、その人がどのような影響にさらされ、どのような心の病気にさらされて生きているのかをよく理解する必要がある」と述べ、機械的な論理により「原因と結果」を追求するのではなく、牧会の「過程」を尊重するように呼びかけた。
次にフーストン師は、牧会現場において機械的な論理体系とインターネットなどの近代的技術が導入されている現状を危惧した。同師は近年牧会現場に数々の牧会・教育プログラムが導入されていることに触れ、「井戸を掘るために様々なプログラムを考えようとするが、それに過渡に頼りすぎるといずれ牧会に疲れてしまう」と述べた。また、「牧会をするときに技術やテクニックですることに熱心になり、個人的なアプローチをおろそかにすると知らないうちに非福音的になっていく」とも警告した。フーストン師によると、そのような問題は地球温暖化のように目に見えないところで徐々に深刻化し、後に多大な被害を与えることになるという。「この問題はゆっくりと浸透していくので私たちが気付かないことが多いが、地球温暖化に対する人類の対応が遅くなってしまったように、手遅れになってからでは遅すぎる。いま、技術中心主義が教会の霊的な生命にどのような影響を与えるのかにしっかりと目を向けるべきだ」と同師は語った。
「技術中心の考え方は福音を非現実的なものにする」とフーストン師は語る。さらに「(福音が)リアルなものにならない」と述べ、技術中心主義を批判した。また、「技術は私たちに大きな力を与えているかのような幻想を見せようとします。しかし、実際は『奴隷』になったのです」と述べ、技術に頼らない自主的かつ積極的な牧会を遂行するように呼びかけた。
一方フーストン師は、世界の先進諸国が「ロボット技術の最先端の国は日本である」と主張していることに触れ、「日本の牧師たちはこの技術主義をどのように考えるか」と質問を投げかけた。フーストン師はトヨタ自動車の大量生産技術を例にあげ、「日本の簡易主義がロボット化を促進している」と述べた。そのうえで、ポストモダン時代における日本で心理的ストレス、霊的な病などの「心の問題」が起こる可能性が高いとの見方を示した。