人の上に立つ人、人から称賛を得る人は誇り高く、貪欲に、また他人に対して要求がきつくなりやすいです。実際そのような人々も見てきました。そして悲しいことに、名声を得るとともに、そのような傾向は人間としての人格を越えたカリスマという領域の範疇において理解されてしまうような傾向にあります。カリスマ性によって耐久力ある組織を築き上げることはできるかもしれませんが、そのような組織の維持は難しいです。
私自身が著名な指導者たちと共に仕事をさせていただいた経験から言わせていただくと、彼らは以下に挙げる4つの誘惑と戦っているように見えました。
1.優先順位の誘惑
弱い指導者は自分たちのことを最後に置いてしまいます。彼らはそのほうがよりスピリチュアルな行動ができると誤解しています。しかし自分たちのことを最後に置いてしまうことは、最終的に多くの指導者の性格を冷笑的にし、燃え尽きさせてしまいます。
一方成功する指導者たちはその反対の誘惑に陥ります。彼らは自分たちを最優先に置きます。実際そのような指導者たちの一部は全くのナルシストであり、自分たちが宇宙の中心に存在する者たちであるとさえ思っている様です。しかし、私が思うに本当に強い指導者たちは神様を最優先に置き、自分たちを2番目に置きます。自分たち自身のことに関心を払えなければ、他者の必要に応じることができないことを彼らは知っています。
2.肩書きの誘惑
弱い指導者たちは自分たちの肩書きのみによって自分たちがなにか特別なものとなったと確信してしまいます。そして喜びや感謝の感覚を忘れてしまいます。そして彼らに対する他人の称賛を信じるようになります。そして自分たちが特別な存在だからこそ特別な待遇を受けるに値するのだと思いこみます。
一方成功する指導者たちはこのような誘惑に敏感になっており、つねにそのような誘惑に陥らないように精神的格闘を行っています。この様な誘惑は、最も油断しているときにこっそりと指導者たちに忍び寄ってくるものです。そのため彼らは自分たちの近くで働いてくれている人たちに感謝するためにより熱心に働き、彼らの役職は恩恵によるものであり、おそらく一時的なものであることを悟ろうとします。
3.憤慨の誘惑
弱い指導者たちはちょっとしたことで攻撃的になります。非常に敏感になっており必要以上にありとあらゆる状況を先読みしています。彼ら自身の「映画」であるのだから、そこにドラマがなければならないと思いこみます。
そしてあらゆる指導者は、現実に攻撃的にならざるを得ない状況に立たされることがあります。イエスキリストご自身が「つまずきは避けられない(マタイ18章7節)」と述べておられる通りです。そして私は神様が私たちをそのような攻撃的にならざるを得ない状況にあえて置かれることで、私たちを鍛えておられるのだと思っています。強い指導者たちはこのような状況に立たされた際にまともに憤慨せず大目に見る術を身につけています。そのような在り方が成熟した人格の在り方であると知っているからです(箴言19章11節)。
4.人気を得たいという誘惑
私たちは名声や「個人のブランド」に高い評価が置かれる世界に暮らしています。最も大きい教会トップ100とか、急速に成長している教会トップ100など、どんなことでもランク付けする文化に馴染んでいます。しかし初代教会にそのようなランク付けが行われていたかどうかは疑問です。
現実にイエスキリストの行いというのは、広報担当者にとっては悪夢のような行いではなかったでしょうか。イエスキリストは名声を得るのを避けました。人々の病を癒すなどの奇跡を起こしながらも、癒された人々には「このことは誰にも言わないように」と命じました(例 ルカ5章12節〜14節)。強い指導者たちは他人に手柄を与え、自身はスポットライトの影に身を隠すようにします。たとえ人から目に見えないところで労するとしても、彼らはむしろ自身が効率的に働けることを望むのです。
最終的に言えることは「あなたが何のために祈っているのか注意せよ」ということです。リーダーシップというのは重荷でもあり恩恵で与えられたものでもあります。自分の立場に捉われ物惜しみせず、開放的な振る舞いをするのが最良の行いであるでしょう。ヨブ記1章21節に「主は与え、主は奪う」と書かれてあるとおりです。
(本コラムは米クリスチャンポストから翻訳しています)
トーマス・ネルソンCEO マイケル・ハイアット氏
トーマス・ネルソンは世界最大のキリスト教書籍出版会社である。米国内では書籍出版貿易で第7位となっている。同氏のブログ(http://michaelhyatt.com)、指導者として必要な福音的思考法やウェブサイトによる効果的なビジネス法、出版業界に関するトレンドなどを紹介している。