また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」(マタイ26・26〜29)
今日の聖書は、イエスが十字架に掛けられる前夜、12人の弟子と食事をした「最後の晩餐」の出来事です。その時イエスは、パンの一塊を取り、弟子たちひとりひとりに渡しながら「取って食べなさい。これはわたしのからだである」と言われます。そして、弟子たちが食べた後、ぶどう酒が入った杯を回しながら「この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血である」と言って、同じ杯から彼らに飲ませたのです。この特別な行為が、二千年間、今も続いている聖餐式の始まりなのです。
プロテスタントのキリスト教会には、二つの大きな儀式があります。一つは、キリストの十字架の救いを受け入れ、信仰を告白する洗礼式です。もう一つは、今日の箇所からくる、パンとぶどう酒を、キリストのからだと血としていただき、キリストに結び付こうとする聖餐式です。この二つは、イエスが弟子たちに命じられた儀式なのです。
2011年のスローガンは、「恵みの世界へと飛躍する大飛躍元年」ですが、大飛躍の基礎となるものは何でしょうか。それは、私たちが一人ぼっちで人生を歩んでいるのではなく、救い主イエスが共にいて下さるということ、またそれを忘れないことです。その保証として、イエスの御名による聖餐式を守れることを心から感謝したいのです。聖餐式を通し、イエスとしっかり結び付いて歩んでいることを、はっきりと知りたいのです。二つのことを共に学びましょう。
1.キリストのいのちをいただく聖餐式
「パンを食べなさい」「ぶどう酒を飲みなさい」、それだけでは特別な意味はありません。しかし、イエスは、パンを「わたしのからだである」、ぶどう酒を「わたしの血である」と語られました。血と肉、それは文字通り「血肉」、命そのものを意味します。イエスが、弟子たちに与えようとされたのは、食べ物や飲み物ではなく、イエスの命だったのです。
イエスが命のことを語る時、仮に、現代人の私たちがそこにいたとすれば、イエスは別のたとえをされたかもしれません。二千年前の無学のただびとと言われていた弟子たちに小難しいことを語ってもわからなかったはずです。それで、弟子たちに対し、イエスは、ご自分の命をからだと血で表現し、「体を食べなさい」、「血を飲みなさい」と言われたのです。
私たちは教会に来て、イエスを信じる信仰に導き入れられているはずです。私たちとイエスの関わりは、単に、イエスのことを愛しているというレベルには留まりません。イエスが私たちに与えようとしておられるのは、イエスの命そのものです。「わたしの命を食べるがよい」と仰られ、ご自身の命を私たちに与えて下さいました。それは、私たちがキリストの命によって生きる者となるためです。その意味の大きさを、しっかりと受け止めたいのです。
2.キリストと契約を結び続ける聖餐式
イエスは「このぶどう酒は、わたしの契約の血です」と言われました。私たちには、イエスとの間に、切っても切れない契約があるのです。大切なことは、二千年前の出来事であっても、その契約を絶対に忘れてはいけないということです。イエスは「契約の血は、罪を赦すために、多くの人のために流されるものである」と語って下さいました。
聖餐式にあずかるということは、イエスの約束をいただくことなのです。救い主イエスが罪深い私たちのために十字架の上で自ら死んで下さった。そのことによって契約が完了し、文字通り、イエスご自身の流された血で、私たちの救いの契約書にサインして下さったのです。何年後に生まれた人間であろうと、イエスを信じれば、罪赦され、どんな悪の力からも解放されて生きることができます。そして、イエスは、来るべき天国で私たちと再び祝宴の時を持つまでは、このような食事は二度としないと言われました。イエスの十字架によってなされた救いの御業は、既に完成され、今も変わることがありません。
イエスがからだを十字架の上で砕かれたことによって、私たちの救いは成就されました。ここに、私たちの幸せの約束の基本があります。世の中がどんなに揺らごうと、私たちが立ち返るべきところは、キリストの十字架の恵みです。クリスチャンである私たちの命は、もはや自分ひとりのものではなく、イエスがこの命の中におられ、イエスと共に生きるのです。そして、イエスはその約束をずっと結び続けておられる。このことを忘れてはなりません。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。