・・・イエスはご自分の育ったナザレに行き、・・・朗読しようとして立たれた。・・・こう書いてある所を見つけられた。「・・・主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。・・・主の恵みの年を告げ知らせるために。」・・・イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。(ルカ4:16〜22)
今日の聖書はイエスが誕生するクリスマスの物語から少し後の物語です。恐らくイエスが30歳程になられ、救い主キリストとして公生涯を始められた直後の出来事です。イエスが聖霊に満たされ、人々の間で福音を語り始められると、御言葉に権威があり、祈られると素晴らしい御業が現わされるという噂は、瞬く間にその地域全体に広まり、人々はどんどんイエスの元に集まって来たのでした。
大晦日には紅白歌合戦があり、人気の衰えない国民的歌手が出場すると共に、大ヒットを引っ提げて出場する歌手もいるのですが、その中には翌年にはもう姿を見ないという人もいますし、脚光を浴びるお笑い芸人の中にも、いわゆる「一発屋」と言われる人もいます。イエスは、単なる一発屋、一瞬の人気者だったのでしょうか。いいえ。イエスが携えておられた恵みはずっと続くものであり、実は二千年経った今も続いていることを感謝したいのです。そして、イエスが携えて来られた神の恵みの重要な要素の一つが、紛れもなく、キリストの御名による癒しであったのです。二つのことを学んでおきたいのです。
1.初めから「癒し」が伴っていたキリストの福音
イエスは安息日に会堂の中の人々の前に立たれ、手渡された旧約聖書を取り、イザヤ書の一ヶ所を開いて語られました。「今、主の御霊がわたしの上に留まっている。わたしは、貧しい者に福音を伝えるために、また、すべての人々に恵みの時を宣言するために、救い主としてこの世に遣わされた。神が与えられる恵みとは、すべての人がどんな束縛からも解放され、どんな病からも癒され、どんな圧迫や重荷からも自由になることである」とイエスは宣言されたのでした。イエスは、私たちに、福音―良い知らせ、グッドニュース―を伝えて下さったのです。イエスの福音宣教の第一声から癒しの約束があります。癒しの御業はクリスチャンたちが神の恵みを求めるどこかで、途中から付け加えられたものではありません。イエスがご自身の救いの働きを宣言された時に、最初からあったキリストの使命でした。このイエスの癒しの御業をいただこうではありませんか。
2.人として来られた神の御子キリスト
幽霊のように、神がいきなりモヮンと人々の間に現われたのでもなく、聖書の記者たちが想像で物語を書いた神話でもないのです。イエスが神の御言葉を堂々と語り始めた時、イエスのご生涯のことをよく知っているナザレの人たちは、「私たちの村の、あの大工のヨセフの子として育ったイエスじゃないか。一体全体、どこでそんなことを学んだんだ?」と、びっくりしたのです。マリヤを通して生まれ、その後に結婚したヨセフの家庭の中で育てられたイエスご自身だったからです。そこには、想像上の救い主ではなく、人としてのお体と命を持って生まれて下さった、あの家畜小屋の飼い葉桶の中に産み落とされたイエスの30年経ったお姿があったのでした。
救い主が、福音の御言葉を携えて人々の前に出るためには30年前にお生まれにならなければならなかったのです。神は単なる思いつきで何かをしておられる訳ではなく、ただ、ほのぼのとした温かい物語を創るためにクリスマスの出来事を行なわれたのではなく、神は本気で私たちを救うおつもりでした。30数年後にイエスが十字架に架かって死ぬために、救い主を30数年前に送り込んでおられたのです。そして、2010年に私たちが救われて教会にいることができるようにと、二千年も前に救い主を送っていて下さったのです。すごいことです。神は紛れもなくこの歴史の中に、神の事実を行なって下さり、救って下さるのです。
そして、旧約聖書の御言葉を読み上げられた後、イエスは、「今日、聖書のこの御言葉が実現しました」と仰いました。盲人の目が光を見、しいたげられている人々が自由になるという御言葉が実現し、神の恵みの時が訪れるということが、この時、すでに実現していたのです。あなたが信じているイエスの福音は、最初から癒しの恵みを伴っています。今日この場所でも、この御言葉が実現します。この恵みを喜んでまいりましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。