すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1:9〜13)
今日開いた聖書で、「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」というのは、言うまでもなく、イエス・キリストのことです。全てのものはこの方によって造られたのです。そして、この御方が人となって私たち人間の間に住まわれたのです。それなのに、闇に閉ざされたこの世の人々は皆、この方を知らず、人々は主として、王として迎え入れず、さげすみ、痛めつけてしまったのです。しかし、このイエス・キリストを救い主として信じ、受け入れる時に、ただ一方的な神の愛によって、私たちは神の子どもとされる特別な権利が与えられると聖書は約束しています。
ヨハネの福音書が語るキリストの物語には、二つのものを対比させながら真理を語るという特徴があります。たとえば、「命」と「死」、「上の世界」と「下の世界」。気をつけなければ、私たちの生きているこの世は「死」の世界だから、「命」の与え主である神を信じなければいけないこと。この「下の世界」にばかりいたのでは神の恵みに与ることができないこと。「上の世界」から降って来られたイエス・キリストによってこそ、本当のことがわかるということを語り、その中で、私たちの信じるべきものがはっきりと示されています。イエス・キリストを信じるということについて、今日の箇所で二つのことを確認しておきたいのです。
1.この世に到来する本物の光、キリストを信じる
ここでは、「闇」と「光」という二つのものが対比されています。そして、私たちは自分では世の中の道理や人生のことが充分わかって、しっかりと歩んでいるつもりでも、実はわかっておらず、むしろ、闇の中で生きていたのです。今までの世界が当たり前だと思っていたけど、私たちが生きている世界は、罪人のままでいると一見大丈夫のように見えても、実は、闇の中にいるのであり、滅びと死、悪と罪の力で支配された世だったのです。しかし、イエス・キリストがこの世に来て下さることは、その闇の中にまことの光が到来するようなものです。闇しか知らない人々にとっては、闇が当たり前なのですが、光と出会ってみると、本当にこのような明るさがあったのかと初めてわかるのです。
ダラダラとしたマンネリ化した人生の中で「自分は大丈夫」と思い、気づかないうちに嘘や妥協や、感動のない、すねた暗い命の中を歩んでいた私たちが、本物の光であるキリストによって変えられていくのです。イエスによって与えられた新しい命により、闇の中から救い出されたことを感謝し、私たちの周りの人々をこのまことの光であるキリストの元に導いてまいりましょう。
2.二種類の対比した人がいる
闇を照らすまことの光が世に来ようとしていたが、「受け入れなかった人」と、「受け入れた人」と、二つに分けられた、とあります。人の心の態度が、救われて幸せな人生をいただくことができるか、それとも、愚痴や不平不満のまま生きる者となるのか、問題は神の側ではなく、私たちの側にあります。
救い主であるイエスが来られた、でも「受け入れた人」にだけ、神の恵みが現わされたとあります。イエスは言われました。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」たとえ目の前に人として来られたイエスがおられ御業を行なわれたとしても、信じない人は信じないのです。
あなたの心の中に、苦しい暗闇の世界があったとしても、仕事や人間関係が真っ暗闇という状態であったとしても、必ず救い主イエス・キリストはそこに入って来て下さいます。私たちは、イエス・キリストと出会う時、単に肉の力だけで生きるのではなく、今までの生き方とは根本的に違う神の子どもとしての生き方が与えられます。あなたが、神の子どもとして、イエスの御名によって祈るならば、困難な時にも神の御手は動き、悪霊は追い払われ、病であっても癒されます。「山」と思えたものも、「動いて海に入れ」と信じて疑わないで祈れば、必ずその通りになります。神の子どもとしての勝利の特権が与えられるのです。この特権をいただいて、前進していこうではありませんか。
世の中の知恵や私たちの頑張りや、形だけの犠牲や儀式では人は救われません。けれども、闇の中に来て下さった本当の光であるキリストによって、それを信じ受け入れる私たちの信仰を通して、私たちには神の子どもとしての権威が与えられ、キリストと共に歩み、神の力を体験する素晴らしい祝福の人生を生きることができるのです。クリスマスのこの時、この恵みを受け入れましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。