近年のハリウッド映画には終末論を描いたものが非常に多いのに驚かされる。これは、欧米諸国に終末が近いことを実感している人々が多いことから来ているのだろう。これらほとんどの作品が超大作で膨大な製作費を使っていることから、大ヒット狙いをしているのがうかがえるが、ハリウッドは大勢の聴衆が終末論に関心を持っていることを承知の上で制作しているのだ。
また2012年12月21日、マヤ帝国のカレンダーが終焉していることから、世界の巷ではこの日こそ「人類滅亡」を迎えるのではないかとマスコミをにぎわすこと盛んである。
数回にわたってハリウッド映画を分析しながら巷の終末論を観察し、聖書預言を吟味してみよう。
『KNOWING』をまず取り上げでみよう。主人公は40歳前後のプロテスタントの牧師の息子でMIT大学教授の宇宙物理学者だが、大学のクラスで学生たちに論文を書く宿題を出すのだが、そのテーマが私には強烈に響いた。
「RANDAM or DETERMINED」つまり、「ランダムか決定されているのか」あるいは「偶然かデザインされているのか」というテーマである。
これは「人は進化したものか、それとも創造されたものか」「宇宙は偶然の産物か、それともデザインされたものか」「宇宙には意味があるのか、意味はないのか」という重要な質問と重なる。また、「私は何者か」「どこから来たのか」「どこへ行くのか」という原始の質問にも通じるのだ。
これこそ、未だに現代の哲学、心理学、神学、自然科学、生物学、物理学、宇宙物理学などが、せめぎ合っている論点なのだ。
教授はどう考えるのかと学生から質問されて、何も決められてもデザインされてもいない思う、と確信なげに答える。彼はもともと創造論者であったように思われるが、愛する妻を事故で失ったことから、宇宙も人類もすべて偶然の産物で、世界にはデザインもなければデザイナーもなければ神もいない、生きることには意味がないというニヒリズムに陥っている。それで、毎晩アルコールによって眠りに就くような精神状態である。
また、妻を失ってから牧師をしている父親と関係が上手く行かず、確執を抱くようになり、全く家に寄り付かなくなっている。
このコラムのシリーズでは映画を評論することではなく(まして観賞を勧めるのでもなく)、映画が取り扱っている終末論を観察することに目を着けたい。
主人公は以前、サンフレアー理論を1959年に論文で発表したことがあるが、果たしてこの映画の設定は地球がサンフレアーによって滅亡するというシナリオなのだ。
サンフレアー理論とは、太陽のポール変動により、太陽から異常発生する熱風を浴びると、地球を囲む磁場が破壊されて、地球は灼熱状態に陥りすべての生物が滅亡するという説である。地球の磁場(マグネティック・フィールド)は、地球に降り注ぐ太陽の熱を冷ます役目をしているが、瞬間的にでも高熱が地球を襲えば磁場は持ちこたえることができず破壊してしまうのだ。
ペテロの第二の手紙3章7節にはこう書かれている。
「しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びの日まで、保たれているのです」
さらに10節では、
「しかし、主の日は、盗人のようにやってきます。その日には、天は大きな響きを立てて消え失せ、天の万象は焼けくずれて去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」
一世紀に住んでいたペテロの時代は、宇宙物理学もサンフレアー理論(あるいは仮説)なども耳にしたことはないのだが、神からの啓示によって「天の万象は焼けくずれ、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされる」と確信を持って宣言しているのを不思議に思う。宇宙物理学は聖書に二千年の遅れをとっているようだ。
この映画の結論を短く書くと、主人公とその家族は和解を果たし、しっかりと抱き合いながら地球とともに滅亡してゆくのだが、主人公の小学生になる息子は天使(異星人)によって美しい異星に移される少数の子どもの中に選ばれる。つまり人類は異星において再生するし、すべて起こることは偶然ではなく計画されているということが明らかにされる。
ハリウッドSF映画だからすべてを真面目に受け取ることはできず、細かい所まで注意を払ってコメントすることには意味がないのでここでやめることにするが、最後にペテロの言葉で閉じることにする。
「その日が来れば、そのために、天は燃えくずれ、天の万象は焼けとけてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」(2ペテロ3:12〜13)
◇平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。