ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。(1ペテロ1:18〜19)
10月1日は国勢調査でしたが、統計の世界の中では、宗教というと十把一絡げです。人の都合に合わせて勝手に創り出された宗教がたくさんありますが、本当の神を信じる道とは、命の与え主である神を土台とし、神の愛から由来し、私たちを捕らえ、私たちの命よりも大きな救いの道です。この、まことの信仰に私たちは立ち返りたいのです。人が、自分の都合に合わせて創り出した宗教は、無茶苦茶で、ごり押しで、自分のわがままを満たすためのものでしょう。それは本当の力を持ちませんし、あなたを救うことになりません。本当の命の与え主である神を土台とする信仰は、時には私たちの心に、自分が変わらなくてはいけない痛みを感じさせますし、涙を流れさせることもあるでしょう。だからこそ、私たちを変え、本当の救いに導き入れることのできるものなのです。
今日、私たちがこの礼拝の中で守る聖餐式は、単なる儀式ではなく、二つの重要な事実があります。それを心の中に刻み込んでおきましょう。
1.歴史上の真実であるイエス・キリストの十字架
イエス・キリストの弟子たちを始め、周りにいる人々、また、イエスを十字架に掛けて処刑したピラトであっても、イエスの内には、心のゆがみも嘘も偽りも、罪のかけらをこれっぽっちも見つけることができませんでした。神の御子であるキリストが、歴史上、私たちと同じ人の姿を取った存在の中で、罪のない唯一のお方としてこの世に現われて下さいました。罪のない者だけが果たすことのできる使命、それは、他の罪ある者の罪―心の汚さ、ゆがみ、醜さを全部背負い、それらを取り除くため、私たちの身代わりに罰せられる者として十字架の上で血を流して死んで下さることでした。
旧約聖書で、ユダヤ人たちは、神を信じ従って、エジプトでの奴隷生活から救われた証しとして、過ぎ越しの祭りを祝い続けました。神は、敵対するエジプト人たちを打たれましたが、神を信じるユダヤ人たちは救われました。そのとき、神に命じられたとおり、小羊の血を玄関の鴨居に塗ったユダヤ人の家々は守られ、神の裁きは過ぎ越していったのです。それから毎年、大祭司によって、汚れのない清い小羊の血が捧げられ、民の犯す罪が神により、贖われる儀式が行なわれることになりました。しかし、救い主であるキリストがこの世に来られ、単なる小羊ではない、完璧な神の小羊であるキリストが、ただ一度全ての人類のために罪を背負って死なれる―そのことによって私たち人間の罪が清められたというのです。このイエス・キリストの十字架での死は、事実です。本当にキリストは死なれました。単なる映画や小説ではありません。
あなたの今までの人生の中で、誰かがあなたを助けるために死んでくれたという事実はありますか。このキリストが流された尊い清い血、この事実を過去のものにして風化させてはいけません。
2.私たちに、キリストの死が重ね合わせられる事実
聖書の物語は、他人事のようにして読んだり学んだりしても、自分のものにはなりません。聖書の語るひとつひとつの出来事、御言葉は、自分のものとする時に本物の力を発揮します。イエスが十字架で死なれた事実があり、私がそれをいただけるという事実がある。そして、この二つの事実が重なり合うのが、今日、私たちが聖餐式として受け止めている儀式であり、二千年間続いた教会での大切な行為なのです。
ただ、「私が、私が・・・」と言っているならば、自分の信心や自分の物語で、それはあなたの勝手です。しかし、イエス・キリストの十字架で起こった事実は、罪深く身勝手な私の上に重ね合わされて、キリストが死なれたことによって、私の心のしみが抜き去られるのです。イエスがよみがえって下さったことによって、私の人生は罪や悪の力から解放され、神の力と喜び、癒し、永遠の命の希望を持っていきいきと生きていくことができるのです。そのような事実を私たちは受け入れましょう。今日の聖餐式、あなたの心の中で、この二つの事実がひとつに結びつけられることが大切です。
あなたの子どもの頃からの思い出深い人生のひとつひとつの事実の中に、「イエス・キリストが私のために死んで下さった事実」をお持ち下さい。その時、空しい生き方から解放され、新しい生き方が実現します。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。