東京神学校の校長で聖書キリスト教会東京教会の前主任牧師である尾山令仁師(79)が12日、国際福音神学校(校長:有賀喜一牧師、教務主任:朴エステル牧師)で、テサロニケ人への手紙の集中講義を行った。同校では尾山師による集中聖書講義が年3回行われている。尾山師は同師の著書「テサロニケ人への手紙 私訳と講解(羊群社)」をテキストとし、12日から15日までの4日間、12回に分けてテサロニケ人への手紙を解き明かす。
尾山師は2回目の講義の中で、テサロニケ人への第一の手紙2章の9節から10節に言及し、「真理の普遍妥当性」と「霊的権威」に関するパウロの認識について取り上げた。同師は、「人は按手を受けたかどうかなどといった外見を気にしがちだが、本当の意味での権威とは神の権威である。パウロにはその霊的な権威があった」「その人の教えが正しいかどうかは、その教え自体を見てもわからない。その人の生き様を見なければならない。その教えを実践できているかどうかが問題であって、教えているのならそのとおりに生きることができるはずだ。実践しなければ誰もついて来ることができない」と説き、霊的な権威を与えられたパウロがそれを生き様を通して表したことを証した。
さらに尾山師はテサロニケ人への第一の手紙2章13節を引用し、説教の方法とその受け入れ方について解説した。同師は説教の極端な例として、聖書に記載された数々の証言を単なる引用として、または参考意見として利用し聖書の権威を尊重しない説教、聖書の記述を神の言葉そのものとして考え、それに従わないことは神に対する反逆行為であるとする説教、の2つを上げた。
そのうえで同師は、説教をどのように聞くべきかについて「人間の言葉としてではなく、事実どおりに神の言葉として受け入れるべき」だとし、そのためには「御言葉に教えられ養われていて、御言葉が私たちのうちに生きていることが必要」と説いた。さらに「健全な教会はいつも御言葉を中心として生きる教会である」と述べた。
また尾山師は、パウロは使徒であり一般の牧師とは違うという点を強調した。そのうえで、「使徒の言葉は神のことばとして受け入れるべきだが、牧師が語る説教にはどうしても主観が入りがちになる。だから、説教を聞く時には御言葉と共鳴するものだけを受け入れるように注意しなければならない。そのためには日頃から御言葉に親しみ、また当時の状況にも精通し、事情を知っておくことが必要だ」と述べた。
国際福音神学校では、尾山師のほかに有賀喜一師や奥山実師を迎えて、毎年数回に分けて神学の集中講義が行われている。また、毎年韓国から5人の教授が来日し、通訳を通して特別授業が行われている。韓国への研修旅行制度や東京都あきる野市にあるミツパ祈祷院での祈りの訓練など、知的霊的訓練のために数々のプログラムも実施している。
同校の創始者であり、教務主任も務めている朴エステル師は、同校の理念としてc[1]福音主義・聖書信仰、c[2]超教派・国際的、c[3]霊的実践的――訓練を掲げている。朴師は本紙の取材に対し、「御言葉と聖霊の両面におけるエキスパートになってほしい。最高の講師と最高の授業を生徒たちに提供していること、これが国際福音神学校の最大の特色です」と語った。