イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人がおおぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、・・・わたしは・・・罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:10〜17)
今日開いた聖書の箇所は、イエス・キリストと弟子たちが、聖書のまことの神を人々に宣べ伝えていた頃の出来事です。そのことに対し、清く正しい行ないが信仰だと思っていたパリサイ人、サドカイ人や、洗礼のヨハネの弟子たちが、いらいらして何かにつけ文句をつけてきました。
ちょうどこの時、イエスの周りには、神の恵みを求める人がたくさん集まっており、イエスはその人たちと共に食事をしていました。ふと見渡してみると、食卓に着いているのは、当時人々から嫌われていた取税人、様々な罪人や遊女でした。敵であるローマ帝国に納める税金を取り立てていた取税人は、権力に任せ、自分の私腹を肥やすために人々から余分なお金もむしり取っていました。売国奴とも言うべき取税人は、嫌われるのも当然でした。行ないが汚い、神から受け入れられるはずがないと思われていた人々がイエスの周りに集まっていたのでした。
パリサイ人たちは、「あなたがたの先生は、こんな汚らわしい人々と共に食事をするのか。」と弟子たちに向かって批判しました。それを聞いたイエスは「医者の助けを必要とするのは、病んでいる人であり、元気な人ではないでしょう。わたしは、弱さや欠点の多い、神の恵みが必要な人たちのために、救い主として来たのです。」とご自分の使命を語られたのです。
神のご性質によって、私たちには恵みが保証されています。心から感謝して、その恵みをいただける、二つの秘訣をしっかりと受け止めたいと思います。
1.自分自身が、弱い者であることを素直に認める
自分は真面目だ、いい人間だと思いこみ、高ぶっている人は、神の恵みをいただくことはできません。むしろ、自分が欠点だらけで、ほころびがいっぱいあり、助けを必要としていることを素直に認め、神の御前にへりくだる人が、イエスの祝福にふさわしいのです。「神様、私の心は、くじけやすく、つまずきやすいのです。まだまだ私の愛は、家族に対して足りず、奉仕の力も不足しています。」と、神の前に自分の弱さを素直に認めようではありませんか。やせ我慢をせず、かっこうつけず、自然な私たちのままでいいのです。立派なふりをしたり、虚勢を張ったりする必要はありません。病人、罪人である私たちを、助け、癒し、救うためにイエスは来て下さったのです。イエスが、当時嫌われていた取税人、罪人、遊女と躊躇せず共におられたように、弱い私たちとも一緒にいて下さいます。
2.あわれみを好む神に感謝する
「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」とイエスご自身が語られました。厳しさや完璧な清さを求めるだけでは、私たち人間は神の水準に達することはできないのです。正しい律法の行ないだけでは人は救われないことを、神であるイエスは、ご存じだったのです。イエスは、律法を押しつけて人を裁くのではなく、あわれんで救うことを選んで下さったのでした。イエスは、私たちの罪深さを贖うために、私たちに対して犠牲を求めず、神の御子であるご自身が十字架の上で、いけにえとして死んで下さったのです。 私たちの神は、懲らしめたり、罰をあてたりすることが好きな神ではなく、愛と恵みの神であることを感謝したいのです。
新しい布切で、古くなった着物のつぎ当てをすれば、新しい布切は洗うと伸び縮みして、古くてくたくたになった着物の生地を引き裂いて、もっと破れがひどくなります。ひからびた古い皮袋の中に、発酵してガスが出て体積が増えていく新しいぶどう酒を入れて密閉すると、伸縮性の乏しい古い皮袋は張り裂けてしまいます。皮袋も破れ、ぶどう酒も地面に流れ出て、むだになる、とイエスは言われました。イエスが私たちに与えてくださるのは、新しい布が持っている粘り強い弾力のある力であり、新しいぶどう酒が持っているぐんぐん成長していくエネルギーです。新しい恵みをいただくためには、人を罰したり裁いたりする古びた信仰ではなく、新しい心の器、信仰の器が必要であるとイエスは語られました。
古いものを打ち破る、新しい生き生きとしたイエスの恵みが、私たちのところに来ています。私たちのがんばりや、清さによって恵みが与えられるのではありません。この夏、恵みをいただくために、心構えを整え、解放されましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。