私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、・・・しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。・・・これは信頼できることばですから、・・・(テトス3:3〜8)
2010年の前半が終わりました。魂が恵まれる、2010年後半の心構えを整えてまいりましょう。
今日、特に注目したいのは、8節の冒頭、「これは信頼できることばですから」という御言葉です。あなたは、心の中に、一生を任せることのできるような、ゆるがない言葉や約束をお持ちでしょうか。
参議院の選挙戦がスタートし、各党ではマニフェストを掲げています。去年の夏の衆議院選挙では、民主党も、子ども手当の支給や、消費税はしばらく上げない、沖縄の米軍基地は、国外、県外移設を目指すなどのマニフェストを宣言していました。しかし、10カ月後の今では、子ども手当は半額支給のまま、消費税も10%に上げることを考えていくということです。ころころ変わるものを、大声で力強く宣言されても・・・と政治の素人ながら思うのです。
この国を動かしていく人たちの語った言葉ですから、世の中で一番信頼できる言葉であるはずなのです。そして私たちは、政治家の言葉なんて、信用できないと批判をしてしまいます。
しかし、日本で一番信用できる人より能力の及ばない私たちの言葉は、もしかすると、もっといい加減かもしれませんので、注意しましょう。先月言っていたこと、いや、昨日言ったことと違うことを平気で話しているかもしれません。世の中は情報化社会で、知識や情報があふれていますが、同時に信頼できない言葉もあふれていることは大問題で、私や皆さんの言葉も当てにならないのは、本当に悲しいことです。
そういう時だからこそ、私たちには、神の御言葉があることを感謝しましょう。イエスを信じる信仰を持っているということは、イエスから信頼できる御言葉が与えられて生きているということを知って下さい。特に、三つのことを押さえておきましょう。
1.信頼できる神の御言葉に立つ信仰
信仰は、感性や直感、私たちの当てにならぬ心の感覚によるものではありません。パウロはテトスに、特に、4節から7節の信仰の中心に当たる部分を、信頼できる言葉だと語りました。
信頼できる言葉は、否定できない事実に立っています。その事実とは、救い主イエス・キリストが、神の御子でありながら、本当にこの世に現われて下さり、あなたや私の罪を背負って十字架の上で死んで下さったこと。
そして、キリストを自分の救い主として受け入れるなら、キリストの十字架の死が私たちの罪の汚れを取り除き、罪ののろいから私たちを解放し、キリストを通して、私たちは聖霊に満たされ、神の子どもとされ、喜びの人生を今から永遠に向かって歩むことができる、ということです。
あなたにも私にもそんな素晴らしい福音、グッドニュースが与えられていることを知り、決して忘れないようにしたいのです。
2.信頼できる御言葉は、私のものである
聖書を読んで恵まれないのはなぜでしょう。聖書の御言葉を他人事のように読んでしまうからです。神が自分に語りかけて下さるご命令と信じるならば、神の祝福はもっとリアルに与えられるのです。
3節から7節の御言葉の、「私たち」を、「私」に変えて読んでみて下さい。そう読んでみると、私に対する神の御言葉として、しみじみと心にしみてくるはずです。イエスの十字架の事実は私自身のものです。イエスの現わされた愛を、いつまでも他人事のように周りからながめているだけの者であってはなりません。ぜひ、自分のものとして受け止めて下さい。
3.信頼できる御言葉を、日々、用いていく
私たちの命や人生を変える御言葉だからこそ、8節にあるように、確信を持って毎日話し、良いわざを心がけようではありませんか。神からの賜物である信頼できる御言葉によって、毎日が変わっていきます。そして、私たちの人生は祝福されるようになります。
神の信頼できる御言葉は、単に聖書の中に記録されて終わるのではありません。私たちに適用され、私たちの人生を神の恵みと愛によって動かしていきます。そして、神の御言葉によって生きるならば、あなたは必ず幸せになります。神が共におられる恵みの人生を歩もうではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。