・・・すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか。」と言わせた。・・・ちょうどそのころ、イエスは多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、・・・そして、答えてこう言われた。「・・・自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。・・・」(ルカ7:18〜23)
11日間のインド伝道のために、祈って下さったことを心から感謝します。現地の教会のために一生懸命、奉仕し、孤児院を訪問し、四夜にわたる伝道集会も、滞りなく行なうことができました。福音が宣べ伝えられるために、インド伝道を続けられていることを感謝しています。
イエスが二千年前、この世に来られた時、ガリラヤで人々を癒し、神の国の福音を宣べ伝えられていました。人々はイエス・キリストとは一体どういう人かと噂していました。その中で、イエスの直前に姿を現し、「自分の罪を悔い改めるように」と迫った預言者、洗礼のヨハネにしても、本当にイエスが救い主なのかどうか、駄目押しの理解が欲しかったのです。ヨハネは、自分の弟子二人をイエスのもとに遣わします。そして、「『私の後に、偉大な救い主が来られる』と私がメッセージをしていた救い主は、あなたですか。確かめさせて下さい」と尋ねさせたのでした。その時、イエスがどのように答えられたか、私たちもしっかりと受け止めたいと思います。
大切なことは、教会の中に、本物の救い主が臨在しておられるということです。形ばかりの宗教や、人生観や哲学の学びとは違う、あなたを救い、癒し、悪の力から解放し、喜びと平安、永遠の命の恵みに満たして下さる救い主が、私の心に、教会にいる。そういう信仰生活を体験したいと思います。救い主がおられ、働かれる教会とは、どういう所かということについて、イエスが語られた二つのことを学びたいと思います。
1.救い主の御業が常に現されている事実がある
キリストの到来は、単なる神話や概念ではありません。
本文の20節、21節では、洗礼のヨハネが「あなたは救い主ですか」と尋ねた時、イエスは、理屈や理論で説明したのではなく、救い主の御業が、有無を言わせない、否定しがたい形で起こされているではないか、と言われました。イエスは、多くの人々の病を癒し、苦しみや悪霊から解放されていました。イエスがおられる所には、イエスの御業が現されるのです。
今回のインドの伝道集会でも、多くの御業が現されました。何年もまともに歩くことができなかった人が、目の前で歩いたり、ひざを曲げる時に激痛があった人が、平気で両ひざを屈伸して見せてくれたり、目がぼんやりして、細かい物が全く見えなかった人が、見えるようになったことを示して下さいました。また、事故で左半身に感覚がなかった、特に、頭の半分は、触れても触れられていることがわからず、左耳が聞こえなかった人が、イエスの御名によって祈った瞬間、癒され、触られるのがわかり、耳が聞こえるようになり、大喜びして、ステージの上で証ししていらっしゃいました。私も非常に喜んで集会を閉じ、帰途についたのですが、後でフィニー牧師が、「あの男性は、集会が終わった後も、私たちを捕まえて、『私は働いている工場で、障害があるということで、仲間から、ばかにされていたけれども、明日から意気揚々と仕事に行ける』と大変喜んで帰ろうとしなかった」と報告してくれました。イエスの御業は、不思議で奇跡的なのです。本当に素晴らしいことは、人々を解放し、癒す御業がそこにあるということです。
2.救い主についての福音、証しが伝えられている
22節では、罪の力に捕らわれた人々に、救いの業が現され、福音が宣べ伝えられ、病気の人が癒されるという奇跡のしるしが起こっている。そこにこそ、本物の救い主はいるのだ、これ以上何の説明が必要か、とイエスは語られました。イエスは、ご自分が救い主であることを難しい理屈では証明されませんでした。貧しい者の人生が変わり、病める者が癒され、神からのグッドニュース、福音が人々に宣べ伝えられているではないか、あなたがたも宣べ伝えなさい、と言われました。
私たちの信仰生活は、小難しい哲学や宗教で終わってはいけません。私たちも救い主を体験しようではありませんか。私たちの信仰、健康、心の中にもキリストの御業が起こります。あなたの病を癒して下さり、弱った心を潤し、引き上げて下さいます。事態は変わり、職場の中にも家庭の中にも神の奇跡は起こされます。起こることを信じ、期待してまいりましょう。そして、キリストを証しし、救い主が働いて下さることを常に宣べ伝えてまいりましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。