さて、夕方になって、イエスは12弟子といっしょに食卓に着かれた。みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「・・・あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。・・・すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生、まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。(マタイによる福音書26章20節〜25節)
世の中では、目先のお金もうけのために色々な手段が講じられ、政治家も選挙のために、人気取りのような政策をあれこれ打ち出します。でも、私たちが自分の人生に本物のゆとりや、落ち着きを取り戻すためには、信仰によって、イエスと共に歩むという原点に立ち返る以外にありません。このことが本当の救いをもたらし、平安と喜びに満たされた、落ち着いた人生を送る秘訣なのです。
今日開いた聖書の箇所は、イエスが十字架に架かられる前夜、12弟子たちと共に最後の食事をした出来事です。この後、イエスが最初の聖餐式を弟子たちと持たれた「最後の晩餐」の場面となります。この食事会は、世界の歴史の中でもっとも悲しい夕食会となったのです。それは、神の御子であるイエス・キリストが、こともあろうに罪深い人間のために裏切られることが告げられたからです。人間の罪がクローズアップされた食事会として、もう一度しっかりと学んでいきたいと思います。
1.人間の中にある罪
イエスが十字架につかなければならなかったのは、単に神のご計画という表現で終わらせてはなりません。24節でイエスは、「自分について書いてあるとおりに、去っていきます」と、十字架への道を歩み、死ななければいけない、と語られました。それは、救い主であるイエス・キリストを受け入れない私たちの罪のためでした。イエス・キリストは、十字架の上で死ぬためにこの世に来て下さったのです。
どんなに立派に見える人でも、人間は神の前に罪人であるという事実を素直に認めなければなりません。その一番大きな罪とは、神を神と認めない罪です。神から与えられた命を、自分で作ったかのように思い込み、知らず知らずのうちに傲慢な思いで生きている事実があります。
「罪」というと、多くの人は「私は、万引きしたことも、人を傷つけたり殺したりしたこともありません、警察に捕まるような罪は犯していません」と言うかもしれません。しかし、それだけが罪ではありません。聖書ははっきりと、私たちの内側に、人をのろったり、憎んだりする罪があると語ります。そしてその罪の一番深いものは、神であるイエス・キリストさえ裏切ってしまう、神を神と認めない罪なのです。
2.私の中にもある罪
もっとも恐ろしい事実は、神を神と認めない罪が、他人事でなく、私にも、あなたの心の中にも宿っているということです。わがままで好き勝手に生きることができ、救い主であるイエスがいなくても大丈夫だと思い込み、「自分は一番正しい」と、自分を神としてしまう恐ろしい罪があります。頭のいい人に限って、そういう罪を犯しやすいので、気をつけましょう。
12弟子のひとり、ユダは、きっと一番頭が良かったのではないかと思います。他の弟子の中には、お金の計算もまともにできない者もいました。ユダは、彼らの代わりに、皆の財布を預かり、会計の責任者までしていました。でも、そのユダが、わずかな銀貨でイエスを裏切ることになろうとは、だれも予想できませんでした。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです」。イエスがそう言われた時も、ユダは他の弟子たちと同じように、食べ物を取ろうと鉢の中に手を入れて、言います。「先生、まさか、私のことではないですよね」。そのユダに対してイエスはおっしゃいました。「いや、そうです。あなただ」。
では、ユダだけが特別な罪人だったのでしょうか。いいえ、他の弟子たちもまた口々に「先生、あなたを裏切るなんて、まさか、私ではないでしょうね」と同じように言っていました。そうした中で、「いや、あなただ」とイエスの声が響きます。
私たちは時々、周りの困っている大変な人のことを見ながら、「私は大丈夫だ」と思います。でもそれは、神の前にはとんでもない過信であり、思い違いです。「いや、あなただ」と主はおっしゃいます。事はユダだけの問題ではありません。この私の心の中にも身勝手で、自分を正当化する罪があります。私の中に宿る恐ろしい罪をきよめるためにイエスはあえて裏切られ、十字架の道を歩まれ、私のために死んで下さいました。悔い改め、救われたいのは、私です、主の十字架は私のためですと、心から感謝して受けとめたいと思います。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。