ここに語られていることの年代は、紀元前717年頃に当たると言われています。当時ユダヤの国は二つに分裂しており、北をイスラエル王国、南をユダ王国と言いました。イザヤはユダにあって活躍したのですが、その歴代の王たちの名はウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ。イザヤ書10章は、アハズの時代が背景となっています。
その頃、北にはアッシリヤという巨大な国が起こって隣国を侵略し、その勢力はユダヤ全土を呑み込んでしまう危機的な状況が迫っていました。
時に、北王国イスラエルは、その隣国スリヤと連合して、アッシリヤの勢力を食い止めようとし、さらに南王国ユダにも呼び掛け、三国同盟を結んで事に当たろうとしたのです。
ところが、ユダ王国のアハズはその呼び掛けに応じようとはしませんでした。アッシリヤには、とても勝てないと判断したからでしょう。その結果、イスラエルとスリヤは怒りを燃やし、ユダの国を攻め滅ぼそうとしました。
このことを知ったユダの王アハズは、あわてました。そして、アッシリヤに助けを求めたのです。彼は王宮の宝物倉から宝物を取り出し、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに贈物をして助けを求めました。アッシリヤの王は、これによってうまい具合に戦いの口実ができたので、早速ダマスコに攻め込んでその王レツィンを殺してしまいました(2列王記16:7〜8)。
アハズは当時、世界の最強国アッシリヤの保護を受けることができたというので「どうだ、わしの外交政策の手腕は大したものであろう・・・」と喜び威張っていたことでしょう。
しかし、神の人イザヤの目には、このような方法が亡国の危機を救う優れた手段とは映りませんでした。
神の御意は、そのような日和見主義で右往左往するような生き方ではなく、まず神の前に悔い改めて、純粋な信仰を確立することこそ優先されなくてはならないのです。イザヤが常に彼らに呼び掛けてきたのは、「気をつけて静かにしていなさい。恐れてはなりません」(7:4)、「もし、あなたが信じなければ、長く立つことはできない」(7:9)ということであったのです。
しかし、アハズをはじめ、ユダの民らは預言者の言葉に耳を傾けませんでした。北王国イスラエルにはアハブという間抜けな王がおり、彼はその妻イゼベルに引き回されて、真の神を捨てバアルという偶像に従ったのですが、預言者エリヤのことを「イスラエルを悩ます者」と呼んで、真の神に対して不遜な態度を取り続けました。「預言者は愚かなる者、霊の人は狂った者だ」(ホセア9:7)とありますが、その国が不義で満ち、不信仰が全土をおおう時、正しい道を説く人間は煙たがられ、愚かなる者としか見られないのです。
預言者イザヤもそのように見られ、彼の生涯の終わりは悲惨極まりないものであり、のこぎりでひき殺されたと伝えられています。真理に生きる者が何故に・・・ということがありますが、真理に生きるが故に、人は時としてこのような目に会います。しかし、主イエスは、「このような人こそは幸いである」と申され、御自分も十字架の苦しみを受けられ、三日目によみがえって真理こそ最後の勝利を勝ち取ることを証明されたのでした。
ところで預言者の忠告を退けたアハズは助けを期待したアッシリヤの援助を受けることができたのか。残念ながら、彼らはアッシリヤに見事、裏切られたのです。
「アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルは彼を攻め悩ました。彼の力にはならなかった」(2歴代誌28:20〜22)と記されているのです。そこで、アハズは悔い改めてイザヤの忠告を受け入れ、主に信頼したら救いの道が残されていたはずなのですが、なおも不信の罪を犯し続けたのでした。
ここに、かたくなな人間の姿があります。素直に自分の失敗や弱さ、愚かさを認めようとしない人は、アハズのようにますます不信に不信を重ね、罪から罪へと落ち、最早再起不能となってしまうのです。それは自分一人の滅亡に終わらず、ユダの国全体を巻き込んで、遂にはアッシリヤに打ち滅ぼされる結果となったのです。
そこでイザヤ書10章を見ると、主はユダの歴史の中でどのように働き、彼らを罰せられたかを見ることができます。実に主はその御摂理の中で、アッシリヤを怒りの杖として用いられたのです。「ああ、アッシリヤ、わたしの怒りの杖、彼らの手にあるむちはわたしの憤り。私はこれを神を敬わない国に送り、わたしの激しい怒りの民を襲えとこれに命じ、物を分捕らせ獲物を奪わせ、ちまたの泥のようにこれを踏みにじらせる」(5〜6)。
何と皮肉なことか。アハズは自分とその国を守らんがために、一生懸命アッシリヤに貢を贈ったりして助けを求め、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルも「よろしい、任せておきなさい」と申したのですが、それは口先だけのこと。一瞬の内に言葉をひるがえしたのです。「君子豹変」「昨日の友は今日の敵」でした。否、アッシリヤは元々ユダを助ける気持ちなどなかったのです。神様は御自分を信頼して従おうとしないユダに対して、このことを事実をもって証明なさったのです。イザヤは既にこのことを警告してきたのです。「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんなものに何の値打ちがあろうか」(イザヤ2:22)とあります。
預言者イザヤは、ユダの歴史がこのような結果に向かって流れて行くと見ているのです。そして、このアッシリヤの裏切りは神の許しなしに行われるものではない。神は不信仰な民を懲らしめるためにアッシリヤをお用いになるということでもありました。つまり、ここに言われている通りアッシリヤは神の怒りの杖であったのです。彼らがユダの民らの上に振り下ろす杖は神の怒りとして用いられるもの、彼らの手にあるむちは神の憤りを現わすものでありました。
私どもがもし生ける真の神よりもお金を大事にし、これに依り頼んでいるなら、やがてそのお金は何らかの形で私どもを叩く神の怒りの杖となるでしょう。私どもがもし主の日を軽んじたり、私どもに委ねられた全ての日と時とを自分の仕事や楽しみのために使ってしまうなら、その日と時とはやがて私どもを滅ぼすものとなって返ってくるでしょう。
ところで神が支配されている歴史のドラマはさらに思いがけない方向へと展開して行きます。つまり、思ってもみなかったどんでん返しがあるということです。それがイザヤ書10章の見所であり、霊の目を開いて学ばねばならないところです。つまり、アッシリヤはイスラエルを懲らしめる器として用いられましたが、神の用いられる器が必ずしも神の祝福の器とは限らないということです。
神の怒りの器として用いられたアッシリヤは、イスラエル以上に不幸な存在であったとも言えるのです。彼らは彼らの背後にいます聖なる神を認めようとはしなかったのです。彼らは、自分たちの力が強いのでイスラエルやユダをやっつけることができるとしか考えなかったのです。
この事実は、今日の政治家や科学者、その他、多くの神を認めない高慢な人々に当てはめることができます。人は皆、様々な賜物を頂いて、神の許しあるが故に活動しているのです。しかし、残念なことにそれが神の許しによることを知りませんし、認めようとはしないのです。自分の知恵と力でやって行けると思っているのです。
アイザック・ニュートンは、「私の知る知識は海辺の砂の一粒にも値しない。神の許しがあれば、また新しいものを発見することが許されるでしょう」と申したのです。また、アインシュタイン博士は「あなたは何故、教会へ来られるのですか」との記者の質問に対して、「私も救われなければならない罪人ですから・・・」と答えたそうです。彼らは、自分の知恵や能力で生きているとは考えなかったのです。
さて、イザヤ書10章の8節から11節を見ると、アッシリヤが高慢な態度で多くの国々を踏みにじって行く様子が語られています。「高官たちを占領した国々の王に据え、得意気に言う。『さあ、カルケミシュのように、カルノもやっつけてしまおう。ハマテなんか一ひねりだ。アルパデみたいに必ず降伏するに決まっている。サマリヤもダマスコのように足腰が立たなくしてやろう。我々は既にエルサレムやサマリヤの神よりずっと御利益のある神々の国を片っ端から平らげた。サマリヤとその神をやっつけたようにエルサレムとその神も征服しよう』」(リビングバイブル)。
アッシリヤはこのように自分の力を誇りました。このような高慢と誇りはあらゆる人間の心の中にあるものです。
しかし心しなければなりません。全てを裁かれる方がおられて、どんでん返しが起こるのです。アッシリヤの高慢な態度に対して預言者は厳しく宣言します。「斧はそれを使って切る人に向かって高ぶることができようか。のこぎりはそれをひく人に向かっておごることができようか。それは棒がそれを振り上げる人を動かし、杖が木でない人を持ち上げるようなものではないか。それ故、万軍の主、主はその最も頑丈な者たちの内にやつれを送り、その栄光のもとで火が燃えるようにそれを燃やしてしまう」(イザヤ10:15〜16)。
アッシリヤは強い国でした。恵まれた国でした。イスラエルとユダさえ、小鳥の巣のように踏みにじる力を持っていたのです。しかし彼らは、その背後にいます神を認めようとはしなかったのです。それ故、神は彼らを火の中に投げ込んで怒りの炎の中で焼き滅ぼすと言われるのです。
昔、サムソンはロバのあご骨を拾ってそれを手に握ってペリシテ人と戦い、数千人を倒すことができました。砂漠で死んで散らばっていたロバのあご骨、骨が優れていたから千人を倒し得たのではありません。それを用いたサムソンの力によって勝つことができたのです。
それと同じように神は「どこの馬の骨とも知れない」者を用いてキリストの証人とされます。牧師も伝道師も一皮はぎ取ればただの人。しかし、悔い改めと信仰を持って主の御手に服する時、聖霊の力を与えて用い、御業をなさるのです。神は人間として有能であってもお用いにならない場合がありますし、人間として欠けが多く、貧しい人であっても豊かに用いられます。「斧はそれを使って切る人に向かって高ぶることはできない。のこぎりはそれをひく人に向かっておごることはできない」ということです。
「イスラエルの光は火となり、その聖なる方は炎となる。燃え上がってそのいばらとおどろを一日のうちに焼き尽くす」(イザヤ10:17)。高慢といういばら、神の恵みを忘れたおどろ、これを一瞬のうちに焼き尽くされます。へりくだって神の斧、神ののこぎりとして用いて頂ける器となろうではありませんか。
藤後朝夫(とうご・あさお):日本同盟基督教団無任所教師。著書に「短歌で綴る聖地の旅」(オリーブ社、1988年)、「落ち穂拾いの女(ルツ講解説教)」(オリーブ社、1990年)、「歌集 美野里」(秦東印刷、1996年)、「隣人」(秦東印刷、2001年)、「豊かな人生の旅路」(秦東印刷、2005年)などがある。