すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。・・・私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。・・・私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。・・・神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。・・・そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ・・・(第1テモテへの手紙2章1節〜7節)
注目したいのは3節のお言葉です。
「そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです」
自分のやりたいこと、都合のいいことを実現するのが信仰だと、錯覚していませんか。私たちは、神に喜ばれることを行うことを、信仰生活の中心、核としたいと思います。神様の御前に成長していきたいと願うならば、単に人が喜ぶ、自分が楽しい、嬉しいということに止まらず、神の御前に良いこと、神様ご自身に喜ばれることを行っていく者でありたいと思います。神が喜ばれ、神にあって良しとされる2つのことがあります。
1.誰に対してもとりなして祈る
パウロはテモテにこう語りました。私たちが平安と喜びに満ちあふれ、人生の中に筋が通り、威厳があり、幸せな人生を送るために、王や、全ての高い地位にある人々や、あなたがたの周りの人のために、神の御前にとりなし、祈ってあげ、感謝を捧げる心を持ちなさい、と。愛を具体化する1つの形は、その人のためにとりなして祈ってあげるということです。
私たちは弱い人のため、困っている人のためには容易に祈ることができます。でも、自分のほうがその人より劣っていて、不幸だと思われるとき、私たちはその人のために祈ることができるでしょうか。
ここに大きな真理があります。私たちが自分よりも弱い人たちに対して愛を持つことが容易なのは、同情してあげられるからです。でも、自分より弱い人のためにだけ祈っていると、私たちの信仰の器がかえって萎縮していきます。信仰は常に神様を見上げます。そして偉大な愛と救いの力と祝福をいただいて、私たちの心の器は広くされ、幸せを受け止める度合いが広がり、祝福をいただく人生の度量が増すのです。
今から2千年前の、初代教会の時代の伝道者たちの生活は決して楽なものではありませんでした。パウロ自身も全世界を旅し、しばしば盗賊に遭い、持っているものを全部奪われ、迫害を受け、命の危険にあいました。でも、彼はテモテに勧めます。あなたよりも豊かで権威があり、あなたの命さえとることができる、そんな権力者たちに対しても祈ってあげなさい、と。
お金のある人には、お金のある人だからこその悩みがあります。元気そうに見えている人には、その人なりの大きな問題があります。人生の悩みや問題というのは魂の部分ではみんな一緒なのです。あらゆる人の魂のためにとりなして祈ってあげる者となりたいと思います。
2.全ての人の救いのために祈る
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます」。神を信じるにふさわしくない、滅びる運命しかないと思われていた異邦人に対しても、パウロは、イエス・キリストの十字架の救いを伝える伝道者になり、この職務に励んでいます、と語りました。
あなたの周りにも、この人とはうまくいかない、という人がいるでしょう。私たちは人間ですから、みんなそうです。牧師である私だってそんなことを感じることがあります。でも、そういう人々のためにもキリストの愛が必要ですと祈る時に、あなたの信仰は本物のリバイバルを求める祈りとなっていきます。
今年も私はインド伝道に出かけて行きますが、食べるものがないような生活をしている人々の村に行っても、私たちはやはりイエスによって救われることを願います。なぜなら、お金を恵んであげても一瞬でなくなるし、かえって働かなくなって、物乞いばかりをするようになってしまうからです。イエスによって救われ、その人々の心が変えられて、人生の受け止め方が変わり、この貧しい生活から抜け出させて下さいと祈り、自ら努力し、新しい生活を求めることなしに、人生は変わりません。
人々の心の平安のために、笑顔のために、病の癒しのために、祈ろうではありませんか。それは、神の良しとされることであり、神が喜ばれることだからです。神の喜ばれることを受け止め、実践できる私たちの信仰は、必ず成長し、祝福がやってきます。
自分の都合のためだけに神様に働いてもらうという、信仰の初歩の段階にいつまでも立ち止まらず、少しずつ神様の御心に近づいて行きましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。