私は支那事変の年に生まれた。第二次世界大戦が終わったのが、国民学校2年生の夏であった。衣類も履く物も食べる物も不自由な毎日が続いた。
終戦の時にこんな豊かな時代が訪れるとは夢にも思わなかった。当時会社に勤めた時の名古屋の工場は爆撃の跡が残っていた。建物のアングルは溶けて曲がり雨ざらしになり、野鳩の巣となっていた。
あれから半世紀以上も過ぎた。牧師が自家用車を所有し、飛行機で海外旅行に行くようになった。ワープロやコンピューターで週報を作り、メッセージの準備をする便利な時代がやってきた。Eメールの交換、ホームページを設け、教会案内をすることもできるようになった。現在は小学生がコンピューターを使うことができる。
私は携帯電話を持たない主義を貫いていたが無駄に終わった。沖縄の伝道会議の時から所有するようになったからである。
「初めに神が天と地を創造した」(創世記1章1節)。この造り主なる神を否定して恐れない文化が、日本全土を覆っている。まさにノアの時代のようである。神に造られたことを忘れて生活している。そこには、愛の冷却した悲しい人間関係しか生まれてこない。神を無視した結果、家庭、社会を破壊し、自分自身をだめにしている。
「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい」とパウロが第2テモテ3章1節で記している。福音宣教において、信仰生活において、自立と協力において充実を目指して進み続けたい。
1.福音宣教における充実
教会員が福音を宣べ伝えることによって達成される。各教会が、様々な集会を通じて喜びの音信を伝えよう。あなたと他の人との信頼関係ができる時、福音を聞いてくださるものである。家庭を解放しよう。ホームページによる伝道も研究開発されなければならない。
2.信仰生活における充実
クリスチャンが各自聖化に徹し、日常生活を神とともに歩むことである。
「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。また愛の中を歩みなさい。光の子どもらしく歩みなさい。また賢い人のように歩んでいるかよくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです」とパウロがすすめている。クリスチャンが罪赦された感謝に満ち、喜びと祈りの生活を送ろう。
バックストンは、本当の教会のしるしは愛です、と語っている。「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」とヨハネ13章35節にある。「互いに裁くな、互いに軽蔑しあうな。互いに妬むな。失礼に、冷淡に語るな。お互いに過去にいつまでもこだわるな。むしろ互いに祈りあうように」とすすめている。
3.最後に自立と協力における充実である
エペソ人への手紙の主題は、「教会はキリストの体であり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」(1章23節)である。
「からだは一つ、御霊は一つです。・・・主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです」。すでに協力して教会を建てあげる備えができている。各自がキリストの愛に満たされ、謙遜を身にまとい、互いに祈り合い、赦し合い、愛し合い、仕え合って教会が自立し、教会がもう一つの教会を誕生させて欲しい。
特に教会の役員が聖別され、全き愛に満たされるなら、教会は大きく成長すると思う。一人ひとりが人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますようにと祈る。神ご自身の満ち満ちたさまにまで、一人ひとりが満たされますように祈り続けるものである。各教会の豊かな充実を期待し、祈りの手をあげたい。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。