神学生の一人が、祈りのリクエストを一枚一枚に丁寧に書いた請求書の綴りを見せてくれました。神様に求めたことを忘れないようにと言うことです。
思わず領収証はと尋ねると、領収証はありません。ただ必要と思ったことを求めているだけですと言う。
祈りには2種類あるように思います。1つは請求書の祈りで願い求めるだけを繰り返すことです。もう1つは領収証の祈りで、感謝とともに祈り、「ありがとうございます。答えられました! 感謝します」と必ず感謝を告白する祈りです。
イエス・キリストのお名前によって祈る幸いを与えられているので、信じ、信頼して愛なる神様にお願いするとき、考えられないような祝福が与えられます。
短くても長くても真実に、素直に率直に神様にお話できることは嬉しいことです。立ち入り禁止の書斎であっても、子どもは自由に出入りできます。そして「この本読んでいい?」などと聞かれ、「いいよ」と答えると「ありがとう」という言葉が素直に返ってきます。お父さんと子どもは嬉々として喜びます。
天国には2種類の天使があるそうです。一組の天使は朝早くから大きなバスケット持って地上にやってきます。来るや否やそのカゴには、様々な願いや求めが投げ込まれます。天使はいっぱいになったバスケットを運んではまた戻り、終日休むまもなく往復するそうです。
もう一組の天使も同じように大きなバスケットを持って朝早くからやって来ます。しかし、一日中地上を巡ってもバスケットはいっぱいにならないのです。祈りをささげるとき、請求書に書き込むように願うだけであったら、神様を便利屋やか「すぐやる課」のように考えていると言っても過言ではないと思います。もちろん、イエス・キリストの約束は、「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:7)と明確ですから、求め続けることは信仰の証です。
ヤコブもその手紙で、「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです」(ヤコブ4:2)と喝破しています。ですから、大胆に願い、求めをささげることはクリスチャンの特権です。そんなことまで願わないでもよいのではないかと思われるかもしれませんが、駐車場のスペースがあるようにと祈り求め、駐車場不足の大阪新世界で、10年間もいつも駐車できるのは、祈っているからです。
ご利益信仰と非難されることもありますが、イエス・キリストの言葉を素直に信じているだけです。
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネ14:13‐14)
しかし、求める以上にすばらしいことは、ありがとうございますと感謝をささげることです。
人に何かを依頼した時、分かりましたといわれたら、ありがとうございますと必ずお礼を言います。また、考えておきますと言われても、ありがとうございますと言い、お願いして断られても、聞いてくださってありがとうございますと感謝します。
真の愛なる全能の神様に親しくお話でき、願い求める特権を与えられているのです。目先のことだけに捕らわれることなく、絶えず祈り、すべてのことに感謝することができるというのはすばらしいことです。
「今日もイエス・キリストのお名前によって祈ります」と祈ったら必ず、「ありがとうございます。与えられました! 感謝します」と領収証の祈りを始めてみませんか。祈りの生活が大きく楽しく変えられることでしょう。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4:6‐7)
「どうか、私たちのなしうるかぎりの祈り、願い、考え、望みを無限に超えて、つまり、私たちが大胆に願い求め、夢見ることもはるかに及ばないすばらしいことを、その偉大な力でなされる神様に、栄光がありますように」(エペソ3:20、リビング・バイブル訳)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。