【CJC=東京】教皇ベネディクト十六世は5月20日、恒例の一般接見の際、サンピエトロ広場に集まった2万人を前に、8日から15日までの聖地訪問について「信仰の本場への優れた巡礼」だったとし、地域の人々と会見する機会ともなったことを評価した。
今回の訪問を「巡礼」とする理解は、ヨルダンでネボ山を訪れた際にも示された。モーセが約束の地を最後に見渡した場所に立って、教皇は「巡礼としてという立場」に衝撃を覚えたとして、山上のモーセと同様、大きく美しい約束と、私たちを超える現実との間を巡礼しているのだ、と語った。
イスラエルに移動するに当たって、教皇は「信仰の巡礼」と「平和の巡礼」の双方として訪れたことを強調した。
エルサレムのホロコースト(ユダヤ人虐殺)記念館を訪れた恐慌は「犠牲者の苦しみ」に触れ、追悼の意も示したが、ユダヤ教側からは「ホロコーストを防げなかったことへの謝罪がなかった」ことへの反発が出ている。
キリスト者、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ドルーズ派、サマリア派などの代表と、教皇が会談した際にも、私たちを分けているもの全てに敬意を払い、私たちを祝福された被造物として結び付けることを全て推進し、私たちの共同体と世界に希望をもたらす願いと共に勇気を持って前進するよう勧めたが、教皇の演説が終わると、エルサレムのイスラム法廷の最高判事シェイク・タイシル・タミミ氏が、アラビア語でイスラエルを非難する発言をした。ユダヤ教徒2人が退席した。
教皇の外国訪問は「巡礼として」という例が多い。しかし教皇は同時にバチカン市国の元首でもある。ホロコースト問題、そしてイスラエルとパレスチナの抗争にしても、教皇の意向と現地側の意向にズレが生じるのは自然の成り行きと見られる。
さらに今回の訪問で、ユダヤ教徒、イスラム教徒に向かってキリスト教側から「同じようにアブラハムを始祖とする」と指摘しても、肝心の相手方がどう反応しているのか、直接伝わって来ない。そこに今回の訪問の成否を判断するカギがありそうだ。
パレスチナ自治区を訪れた教皇には、弱者の味方をアピールする姿勢が目立った。バチカン内には「言うべきことは言った」とする声もある、とも報じられているが、理想と現実の間をさまよう巡礼のあり方の難しさを、教皇自身は感じていると見られる。