〜この国のリバイバルの鍵は沖縄にある!〜
2004年主はもう一度沖縄で40日間のリバイバルミッションを導いて下さいました。1994年、甲子園ミッションの翌年に「沖縄コンベンションホール」で開かれた「沖縄リバイバルミッション」から10年後です。主が何かを起こされるという予感を感じるのは私だけではないと思います。
日本の国に対する主からの言葉が紹介されますが、その中でも「主はリバイバルを沖縄から起こされる」という言及があるといいます。胸躍る、期待と希望に満ちた励ましです。しかし、それらの語りかけに期待して「棚からぼた餅」が落ちてくることを待つことがリバイバルの働きではないように思います。主が多くの器や教会に語られている「沖縄からリバイバル」という言葉の意味と意義があるに違いありません。「何故、沖縄なのか」と聖霊に聞き、その意味を知ってリバイバルを求め働いていくことは重要なことだと信じます。
1992年11月、ブエノスアイレスのコーヒーショップで日本地図を開いて数人の方々と日本の霊的状況について語り合っていました。「呪われた龍のような形をしている」「この国全体を暗やみが覆っている」という絶望に近い現実が話し合われていたその時、シンディー・ジェイコブス師が「主がこの地図を逆さにして見なさいと言われている」と言い出しました。私は初めて日本地図を逆さにして眺めました。「呪われた龍のような形と言われていたけれど、逆さにすると主の手に握られた剣、勇者の剣になる」とシンディ師は鋭い目を見開いて言われました。
その後、皆で祈るときが持たれましたが、「主の手に握られた日本の最先端は沖縄であり、その剣の先からリバイバルが始まっていく」という語りかけを主は与えて下さったことを思い出します。
1993年の3月、私は沖縄に甲子園ミッションの決起大会のために行きました。何度も来ていた沖縄でしたが、その時は明確に「沖縄をとりなし祈る」という目的を持って10日間ほど巡りました。神話と霊的暗やみが覆う「御嶽(うたき)」や禁足の地となっている山にまで分け入ってとりなしを進めていきました。そして、ある日、北部の今帰仁村運天にある美しい海を眺める丘の上に立ちました。有賀先生と共に沖縄のリバイバルを熱く祈る時が与えられました。
その時、主は私の心に思いがけない思いと言葉を投げかけて下さいました。それは「お前は侵略者だ」という意外なものでした。その当時私の知る範囲では、沖縄は日本の一部であり、私は沖縄を侵略した覚えはなかったのです。その後、沖縄と他府県の関係を調べ知るうちに、まさしく私たち他府県の者は何度も「侵略者」として沖縄を痛めつけてきた事実を知るに至りました。後で分かったことですが、私たちがその時祈っていた高台から見える海岸から1609年に島津の軍隊が沖縄に上陸し、沖縄を侵略統治した事が分かりました。
それから沖縄に対するとりなしは、主が十字架を通して下さる「赦しと和解」に立って、「侵略者」である私たちを主が赦し、和解を与えて下さる恵みによって導かれています。毎年最低でも3回は沖縄の島々をとりなし祈り、調査させて頂いていますが、さらに「沖縄を愛する」心を主が与えて下さいました。
私は沖縄から見て他都道府県に属しますが、「キリストにある和解」を沖縄に来るたびに肌で実感します。兄弟姉妹、先生方との温かい交わりと祈りはまさしく、「和解」の結晶です。「和解によるリバイバル」が沖縄から始まるためには、他都道府県の教会と兄弟姉妹が沖縄に対して「和解の重荷」を荷なわされていることを受け取る事から始まっていきます。沖縄で開かれる聖霊による「和解の泉」は全日本に流れていき、すべてのものを生かし、リバイブしていくのです。
沖縄はすべての都道府県に「和解」によって繋がれる祝福の島々です。
今年の元日にも、この国の首長である小泉首相が、靖国神社に初詣を強行しました。なぜ、小泉氏が靖国にこだわり続けるのか、そこには多くの理由と個人的な理由がありますが、200万人を超える戦没者(戦争で戦死した兵士)の存在もそのひとつです。この国の福音宣教を閉ざす大きな問題に「祖先供養」「先祖崇拝」がありますが、靖国にはその「暗やみ」の淵があるといえます。「大東亜戦争」と呼ばれた太平洋戦争がなければ、靖国問題はここまで大きなものではないでしょう。
沖縄は、太平洋戦争で地上戦を体験した唯一の都道府県です。県民の4分の1の人々が倒れ、アメリカ軍、日本軍を含めると23万8千人を超える人々の血が流されました。同じように戦場となったアジアの多くの国々にとって、戦争が与える霊的要塞を取り扱うことはとても重要な問題だと感じます。「死」によって「のろわれ」「傷ついた」その地を主の十字架にあってきよめ、いやしていただくことは、そこに住む人々の傷のいやしや、のろいを解き放つことと共通の戦略とアプローチを含んでいることを感じます。
沖縄には「ユタ」「ノロ」「三世相(さんじんそう)」などという霊能者が存在し、霊的な暗やみが深いといわれますが、彼らの暗躍と「沖縄戦」との間には深い関わりがあることを感じます。沖縄が地上戦を体験し多くの人々の血が流されているからこそ、悪しき霊は合法的にそこに「足場」を築き暗躍している現実があるのだと思います。とりなしを通してこれらの「足場」を取り除けていくことは沖縄を解き放っていくことだと教えられます。
私たちの国がかつて関わった国々に対して宣教の責任を果たしていくために、戦争を通して「流された血」の問題を取り扱うことは重要なことです。太平洋戦争において死んだ日本人(当時侵略統治していた国々の人々も含む)は約300万人といわれ、アジアの諸国では少なく見積もっても1000万人を超えるといわれます。これらの「流された血」の責任が私たちの上にあることを知ることは「日本のリバイバル」と大きな関係があると思います。
「日本のリバイバル」は取りも直さず「世界宣教」につながる宣教の原動力となるべきです。「なぜリバイバルが必要なのか」問い直すならば、「全世界に出ていき福音を宣べ伝えるため」という答えが与えられます。その全世界に対する宣教の業は、「流された血」に対する責任を果たしていくことも含まれていると知る必要があります。
3月26日から4月1日の1週間、沖縄戦において多くの「血が流された」地に立って主にとりなし祈っていく恵みが与えられました。
1945年3月26日、アメリカ軍が最初に慶良間諸島に上陸しました。そして、座間味島、渡嘉敷島、慶良間島などでは、島民が集団自決するという惨劇が起きました。それらの地には慰霊碑が建ち、多くの人々が礼拝する場所になっており、ユタが「先祖ののろい」に怯える依頼者を連れて御願(うがん)のために頻繁に来る場所となっていました。その景観は青い海と珊瑚礁に囲まれた島に似合わない暗いものでした。
沖縄南部戦跡の摩文仁の丘を中心に全国46都道府県が建てた「慰霊碑」が存在します。各都道府県ごとに太平洋戦争の戦没者を慰霊する目的で建てられており、そこでは南部戦跡観光に訪れた各県からの人々が参拝していく姿を見ることが出来ます。
一日をかけてそれらを巡ってとりなし祈っていくと全国を旅した気分になって不思議な気がしましたが、各県の特徴や財政事情も見え隠れしており、とても興味深いものでした。しかし、観光地にあるこの慰霊碑も「死の祭壇」のひとつなのです。十字架の福音は「死ののろい」を打ち砕く人類に与えられた唯一の「道」です。この福音を沖縄に宣べ伝える「沖縄スーパーミッション」はこの国を解き放ち、いやしていく「神の時」です。「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした」ヘブル人への手紙2章14 - 15節
◇瀧元 望(たきもと のぞむ)=SIRネットワーク代表