わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)
キリスト教会には、三つの大きな祝いの時があります。一つはクリスマスです。クリスマスはキリスト誕生の祝いの時です。イースターはキリストの復活日です。もう一つはペンテコステです。ペンテコステは教会が始まった記念日ですね。この三つに共通するのは喜びです。誕生です。
春は生命が芽吹く時です。野にも山にも、春の生命が芽吹きはじめます。自然の世界は、冬から春へ、死からいのちへ、復活の曲を奏でています。
イエス・キリストは、
わたしは、よみがえりです。いのちです。(ヨハネ11:25)
と語られました。また
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネ14:6)
とも言われました。そして事実、そのとおりなのです。
イエス・キリストは三十三歳の時、十字架の上で死なれました。なぜ、キリストは十字架の上で死なれたのでしょうか?
それは、私たち人間の罪や死の問題を解決するためでした。
こんな話があります。
アメリカの山深くに、母親と娘が暮らしていました。その村のずっと向こうには、鉄道が通っていました。ある夜、大暴風雨が来ました。彼女たちの小さな家は吹き飛ばされそうになってしまいました。まんじりともせず、親子はしっかり抱き合っていました。突然、ズッシンという大きな音がしました。母娘は何ごとだろうと思って、外へ出てみました。暴風雨も収まり、月明かりにあたりは不気味に静まり返っています。恐る恐る線路のほうへ歩いていってみると、何と鉄橋が真っ二つに折れて、深い谷間にたれ下がっているではありませんか。
時計を見ると、特急列車が通過する時間が迫っています。電話はないし、近くの駅まで走ってもいけません。二人は知恵をくださいと祈りました。そして、線路の上で火を燃やしはじめました。冬支度のために蓄えてあったまきはもちろんのこと、家の中にあった燃えるものは全部運び出しました。列車はまだ来ません。二人は、机やいす、果ては壁紙まではがして燃やしつづけました。
やがてピーポーと特急列車が近づいてきました。二人は一生懸命、ハンカチを振りました。間一髪、汽車は二人の前で急停車しました。事情を知らない運転手と車掌は、怒りながら降りてきました。眠りを妨げられた乗客たちも次々と降りてきました。「なんだ、こんな所に火を燃やして! いったい、何があったんだ」と運転手が尋ねました。乗客たちも口々に「いったいどうしたんだ」と怒鳴り合っています。
母と娘はただ黙って、谷あいの鉄橋を指さしました。みんなはゆっくり、その指の先を目で追いました。すべてが分かりました。みんなのまなざしは感激へと変わりました。平安、ホッとした気持ちが流れました。
イエス・キリストの十字架は、この話以上の意味があります。地獄へ急いでいた、滅びの道をまっしぐらに進んでいた私たちのために、イエス・キリストはすべてを犠牲にして死なれました。ストップサインですね。もうこれ以上、罪の中に生きつづければ、あなたは地獄へ行くのです。もうここで止まりなさい、わたしのところへ来なさいと、主イエス・キリストは抱いてくださいます。
そして、キリストを信じる時、罪も赦され、平安と喜びの人生が始まります。いいえ、それ以上に、キリストは三日目によみがえり、復活し、今も生きている救い主なのです。キリストを心にお迎えする時、新しいいのち、神のいのち、永遠のいのちがあなたの中に生まれます。希望と喜び、平安と感激の日々へとすぐ変わります。
「主イエスは我がため 十字架につけられ
わが罪あがない 墓よりよみがえられたり
主は今 生きておられる わが内におられる
すべては主の御手にあり 明日も生きよう 主がおられる」
今日、あなたもいかがですか? キリストを信じて、今までの人生にピリオドを打ち、新しい人生をお始めください。祝福をお祈りします。
(C)マルコーシュ・パブリケーション
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。