長崎県世界遺産学術会議(委員長・林一馬長崎総合科学大学長)は、8日の第五回会合で、長崎のキリスト教の象徴的遺産として評価されてきた旧浦上天主堂跡(長崎市)を、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産候補から外す方針をまとめた。ただ、状況によって含める余地は残した。長崎新聞が伝えた。
今回の会合では、前回までに最終結論を留保していた構成候補のうち、県内の12件について検討を行った。
浦上には、キリスト教の日本伝来以来カトリック信者が多い。1865年のあの有名な「信徒発見」でプティジャン神父に会ったのも、浦上にいた隠れキリシタンたちであった。また、江戸時代には異教禁制による信者の摘発が数回にわたって行われた地でもある。1867年には浦上の400戸の村民が立ち上がり、キリシタン信仰を表明。ここから信徒68人が投獄される「浦上四番崩れ」が始まった。
さらに明治維新後にも弾圧は続き、1868年には浦上の全村民約3400人が全国21藩に強制移送される「浦上一村総流配」が行われた。各地に送られた村民たちは重労働や飢餓に苦しみながらも信仰を守り通したという。禁制解消後、人数は半分近くまで減りながらも信者たちは浦上の地に戻った。彼らが1879年に建てた小聖堂が、浦上教会の発端である。まさに長崎のキリシタン殉教の象徴である。
加えて浦上天主堂は、長崎が受けたもう一つの試練である原爆被害の象徴でもある。爆心地から東北約500メートルの地点にあった浦上天主堂は、1945年8月9日の原爆により壊滅。参堂していた信徒30数人が全員即死し、1万2000人の信徒のうち8500人が被爆死したといわれている。
天主堂は原型をとどめることができないほどに破壊され、永久保存を願う被爆者や市民の声もあったが1958年に全面撤去された。
今回の会合では、建造当時の物がほとんど残っていないとする委員からの指摘もあり、既に消滅している物を構成資産に含めるのは難しいとして今回の結論に至った。
また、日野江城跡(南島原市)や出津教会(長崎市)、堂崎教会(五島市)、日本二十六聖人殉教地(長崎市)などについても話し合われたが、発掘調査の結果や国の文化財や史跡に指定される可能性を見極めるなどの理由でどれも明確な結論は出なかった。
次回3月の会合では、6件の文化的景観について検討する。