戦国時代にキリスト教布教の拠点となった長崎県・島原半島で、キリスト教信仰が広まる前の宗教事情を知るのに貴重な自然石版碑が発見された。長崎県南島原市教委が14日発表した。
発見されたのは同市南有馬町の民家にあった「阿弥陀如来来迎図」の安山岩製の自然石版碑。近辺では「日之丸観音」碑の存在が大正時代の文書などから知られていたが、所在が不明であった。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産暫定登録されたのに伴い、その構成遺産である「原城跡」の調査を進める中で、今回の石版碑が同町内の民家にあることが判明。拓本をとったところ観音ではなく、阿弥陀如来が描かれていることがわかった。
同地方には1563年にキリスト教が伝来しているが、石版碑からは天文2年(1533年)の年号が確認された。同地方では残されている文書などから浄土信仰が存在していたことが推察されていたが、今回の発見でそれがより有力となった。キリスト教がなぜ同地方で繁栄したのか、その繁栄の原因を探る上で貴重な資料となりそうだ。
石版碑は地上部分が高さ約1メートル、幅約80センチ、奥行き約30センチ。中心部に雲に乗った阿弥陀如来が高さ約60センチ、幅約30センチで描かれており、左右に年号などが彫られていた。
石版碑の拓本を取った長崎県文化振興課の大石一久課長補佐は長崎新聞に対して、「板碑の来迎図が確認され、有馬地域に主に浄土宗系の浄土信仰が定着していたことがうかがえる」と指摘。「浄土信仰にある地獄・天国の思想はキリスト教のインヘルノ(地獄)、パライソ(天国)に通じ、民衆がキリスト教を受け入れやすい宗教的土壌があったのではないか」などと語った。
また、「これまでは藩主・有馬晴信による『上からの強制』がキリスト教が広まった背景と考えられていたが、新たな側面が見つかった」(毎日新聞)とも語り、今回の石版碑発見の意義を示した。
発見された石版碑の拓本は15日から23日まで同町の原城文化センターで開かれる企画展「有馬の城とキリシタン」で展示される。企画展は世界遺産登録推進を目的に行なわれるもので、1951年に原城本丸跡で発見された黄金十字架が10年ぶりに公開されるほか、天正9年(1581年)の年号が彫られた国内最古のキリシタン墓碑など約100点が展示される。