在日社会は、すでに日本において100年の歴史を迎えようとしている。戦前・戦後を通してその大半は苦節の生活を強いられてきた時代であった。1970年代からの在日の生活権の確立と人間の尊厳への取り組みを通して、在日をはじめそれまでの外国人に対する閉鎖的な日本社会において、外国人の人権問題がすでに避けて通れない社会的な課題となった。この間徐々にではあるが、法的・制度的及び社会的差別が解消さ
れ、在日の生活の安定にも大きな影響を与えてきた。その延長線上に「多民族・多文化共生社会」という21世紀へのビジョンが明確にされてきた。
また、戦後の在日社会を強く規定してきたコリアの南北分断情況が大きく変わり、統一への兆しが見え出したことも、在日社会に明るい未来を提示するようになり、旧い枠組みから出て新しい枠組みが要求されるようになってきた。一方、在日社会は今日多様化に直面している。在日社会の構成員の多様化やアイデンティティの多様化である。在日社会の世代交代が進み、一世はごく少数となり、日本生まれの世代に中心が移り、すでに五世も生まれている。国際結婚による多国籍家族、日本籍取得者、また80年代以降来日した新一世及びその二世も増加している。これらの多様化は在日のライフ・スタイルにも関係している。
21世紀における在日社会の目指すビジョンは「多民族・多文化共生社会」の実現である。日本社会が外国人と日本人の「共生」を達成し、新しい時代を迎えるためには、新しい価値観が必要である。外国人の人権と民族的・文化的独自性、そして地域社会の住民としての地位と権利を包括的に保障することが不可欠である。このために外国人住民基本法制定を求める運動を展開している。同時に在日社会においてもそれに向けたライフ・スタイルの変化、即ち責任をもって自らの住む地域社会に参画し、その発展を共に切り拓くことが求められている。
1.在日の歴史
現在、韓国籍あるいは朝鮮籍の〈在日韓国・朝鮮人〉は約62万人である。このうちの多くが、日本敗戦以前に植民地支配下の朝鮮から日本に渡ってきた1世とその子ども・孫たちで、その数は約49万人。残り13万人は、第2次世界大戦後の朝鮮半島の南北分断と朝鮮戦争による政治的・経済的混乱のなかで日本に〈難民〉同様に渡航せざるをえなかった人々と、1965年の日韓国交正常化以降、就労・就学・結婚などを目的に日本に渡航し定住した人々、およびその子どもたちである。
このほかに、帰化によって日本国籍を取得した者とその子孫、および父母いずれかが日本籍者で出生によって日本籍あるいは二重国籍となっている〈日本籍韓国・朝鮮人〉が、約36万人と推算される。在日韓国・朝鮮人にしろ、日本籍韓国・朝鮮人にしろ、そのほとんどが日本の植民地支配に起因する存在であるにもかかわらず、戦後の日本は彼らに対して、徹底した〈抑圧・同化〉政策を続けてきた。
戦後50年余りたつと、在日韓国・朝鮮人の内容も大きく変化した。そのなかのもっとも大きな変化が、〈朝鮮生まれ〉から〈日本生まれ〉の世代交替である。戦後初期は〈朝鮮生まれ〉の第1世が中心であったのが、しだいに、〈日本生まれ〉の世代に移り、その割合は今や95%前後と推定される。つまり〈日本生まれ〉の世代は、国籍上は外国人であるが、本国に生活基盤がなく、また本国への帰属意識も薄い。すでに彼らは法的にも〈永住権〉をもつ、〈在日〉そのものをアイデンティティとする定住外国人である。
1970年代までは在日外国人の90%以上が韓国・朝鮮人であり、バブル景気が始まる前の85年でさえ、その比率は80%以上であった。つまり現象的には在日外国人イコール韓国・朝鮮人といってもよかったのである。ところが、在日韓国・朝鮮人数は、ほぼ63万人前後の横ばい状態であったが、91年の69万3050人をピークに減少傾向にある。
このような傾向は、今後さらに強まると考えられる。というのは戦前に渡航してきた第1世およびその子孫の〈旧植民地出身者〉の場合、毎年の〈帰化〉による日本国籍者数が自然増加数を上回っているばかりでなく、韓国・朝鮮人と日本人との国際結婚件数も、すでに90%近くになっている。その子どもたちが日本国籍を選択することは、ほぼ間違いないからである。一方で、1980年代後半のバブル景気とともに3K(キ
タナイ、キツイ、キケン)労働分野において移住労働者が増え、農村における結婚難のため〈アジアの花嫁〉が急増し、現在では在日外国人に占める韓国・朝鮮人の割合は40%をきっている。在日外国人イコ-ル在日韓国・朝鮮人ではなくなってきているのである。
〈日本生まれ〉の世代の韓国・朝鮮人は、外国人ではあるが〈永住権〉をもった外国人として、地域住民となり、子々孫々まで暮らしていくほかはなく、納税の義務も果たしている。にもかかわらず〈国籍条項〉をはじめとするさまざまな社会的差別がある。一方、世界はしだいにボーダーレスの時代へ進んでいる。21世紀に向けて定住外国人としての韓国・朝鮮人の〈国籍の壁〉をどのように考え、対処していくべきかが、大きな課題である。
また最近起こっている、いわゆる拉致問題で日本社会では北朝鮮バッシングなど様々なことが起こっているが、我々は北東アジアにおける過去の歴史を踏まえながら、真の平和構築という観点でこの問題を見ていく必要があるだろう。
2.在日大韓基督教会の過去・現在
在日大韓基督教会は、日本の植民地支配が始まる直前の1908年より来日していた金貞植・東京朝鮮YMCA総務及び留学生の聖書研究会や祈祷会が出発点となった。YMCAとは別に教会を設立することで意見が一致し、朝鮮長老会へ牧師派遣を要請した。これが在日宣教の始まりである。翌年10月、朝鮮イエス教長老会の韓錫晋牧師が来日し、教会組織を整えた。
1910年の韓国併合後、日本の資本主義は、低賃金と劣悪な労働条件を強制できる植民地労働力として、朝鮮人の日本本土への移住を要求し、関西地方を中心に全国に居住するようになった。これにともなって、朝鮮人への伝道も留学生から労働者へ、東京から全国へとその対象や領城が拡がった。国を奪われ、農地を無くし、生活の糧を求めて日本に来ざるをえなかった朝鮮人労働者は、ここでも蔑視され、差別の中での生活を余儀なくされた。教会は心の安らぎをおぼえ、故郷の消息や民族の痛みを分かち合う信仰共同体であり、祖国の解放を願う祈りと、朝鮮語や日本語を習得するための学びの場でもあった。
このような状況により在日朝鮮人の人口は、1930年30万人、1940年120万人へと急増した。これに伴い在日朝鮮人の居住区も東京地域から関西地域・九州・中部・北海道へと徐々に広がった。伝道をより積極的に行うため、1927年からカナダ長老教会(L.L. Young宣教師等)が在日朝鮮人宣教に加わった。そして、1934年2月、「在日本朝鮮基督教大会」創立総会が開催された。この時より、信条・憲法を制定して組織教会となり、牧師・長老の按手が執行されるようになり、独立した教団を形成するようにまでなった。
しかし、1939年、宗教団体法が成立するに及んで、「在日」朝鮮基督教会は存続の危機をむかえた。1940年1月、大阪にて臨時大会を開催し、日本基督教会から示された条件による「合同」を決議した。これにより在日本朝鮮基督教会は一教派としての解体を余儀なくされた。さらに1941年6月の日本基督教団成立時には、第一部に統合された。日本が太平洋戦争へと突入していく中で「在日」朝鮮人教会は、官憲の監視と弾圧、創氏改名や日本語の使用などを強要された。また、治安維持法違反容疑などによる教会指導者の連行・拘束が始まった。
これより1945年の解放を迎える時まで「在日」朝鮮基督教会という名称はなくなり、日本が太平洋戦争へと突入していく中で、在日朝鮮教会に対する弾圧は厳しさを増し、説教や公式記録は日本語使用を強制され、多くの信仰の先達が犠牲と苦難の道を歩んだ。1945年8月15日は、神によって与えられた解放の日として記念するようになった。
在日大韓基督教会は、日本において民族解放を迎え、多くの同胞が帰国する中で、日本に留まった数名の牧師と300余名の信徒によって再建された。太平洋戦争中、多くの教会が弾圧のなかで閉鎖に追いやられ消失したが、1945年11月15日、残された教会と指導者たちが創立総会を開き、強制的に編入された日本基督教団からの脱会を決議し、「在日朝鮮基督教会連合会」を成立させ、1948年に「在日大韓基督教会総会」と名称変更を行ない、伝道に勤しんだ。
1968年、宣教60周年を迎え、標語「キリストに従ってこの世へ」を掲げた。宣教60周年記念事業の一環として、1971年、在日韓国人が最も多く在住する大阪生野区に、在日韓国基督教会館(KCC)を、1974年に在日韓国人問題研究所(RAIK)を設立した。また1983年には西南KCCが設立された。
1974年と1994年の2度にわたって「マイノリティ問題と宣教戦略」国際会議」を主催し、共生社会の実現を目指す使命を持って、新しい宣教活動を展開してきた。また、1990年より8回にわたって朝鮮基督教連盟代表を招待し、「祖国の平和統一宣教に関する会議」を共催して来た。
エキュメニカル関係は、日本キリスト教協議会を初め、世界改革教会連盟(WARC)、世界教会協議会(WCC)、アジア基督教協議会(CCA)、日北米宣教協力会(JNAC)へ加盟し、1977年以降韓国7教団、日本基督教団、豪州連合教会(UCA)、日本キリスト教会などと宣教協約を締結した。1999年10月の定期総会で、名称を「在日大韓基督教会」と改称し、憲法改正・総会規則を採択し機構改革を行った。現在、100の教会・伝道所を統括している。
3.在日大韓基督教会の宣教の課題
2008年に在日大韓基督教会は宣教100周年を迎える。私たちはこのような時期に自らの方向性をもう一度確かめながらその宣教活動を行うべきだと考えている。過去の歴史を振り返る必要性と4年後の100周年記念行事を執り行うことを考えながら、多元的な宣教戦略について共に取り組んで行きたい次第である。
1)地球規模化する時代にあって、宣教の神学を再構築し、また新しい宣教戦略を展開する必要性。
2)移住労働者や難民などの少数者、また在日韓国・朝鮮人や先住民などの長い歴史性を持ったマイノリティに対する理解。
3)南北経済格差が暴力やテロを生み出す温床になっているとの指摘があるが、国家間の経済格差の増大化に対してなすべき宣教戦略。
4)日本で生まれた在日コリアン、日本人とコリアンの両親から生まれたいわゆる「ダブル」、留学生やニュ−カマ−など、多様な背景による在日の包括的アイデンティティを確立する必要性。
5)教会の青年や学生たちが自らのアイデンティティに確信を持ち、自然環境の保全や周辺化された人々に対する社会的正義などの世界的課題に参与するようになるために、彼らの自覚と意識を喚起する必要性。
6)世界中に散らばった韓国・朝鮮人をはじめとする民族的少数者のネットワ−ク構築と平和統一への参与。
7)教会との宣教協力関係を持っている団体に関する歴史的資料の研究と保存。
8)社会福祉への参与。身体が不自由な方や高齢者の介護のための働き及び高齢の信徒への奉仕に対する認識と訓練。
9)教会における子供、青年、女性の役割を強化するプログラムの必要性。国際的な協力団体とより効果的な交流を深めるためにコミュニケ−ションの力を補強するリーダーシップ・トレ-ニングとエキュメニカル運動への貢献。
在日大韓基督教会総幹事 朴寿吉牧師