わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネ14:6)
これはイエス・キリストの自己紹介のことばです。イエス・キリストこそ、天国への唯一の道だという意味です。人間は自分の力で天国へ行こうと努力します。それは今も昔も変わらないことですね。
かなり前のことですが、イラクの政府が観光のため、バベルの塔を再建するというニュースが新聞に載っていました。バベルの塔は、人間が自分の力で天まで届こうと努力した、人間の思い上がりと虚しさのシンボルです。また、現代科学もある意味では、バベルの塔の現代版と言えるかもしれません。神を除外して、人間が築き上げてきたすべての文明は、まさに「バベルの塔」と言ってもよいでしょう。
しかし、イエス・キリストは「わたしは道です」と宣言されました。道を指し示したのではありません。これが道だと教えたのでもありません。「わたしこそ、その道、天国への道だ」と言われたのです。
1976年の5月、私は一人の聴取者を訪れました。彼女は病気でした。青春の日々を、身動きできぬ不自由さの中にありました。そんな彼女に私は、イエス・キリストの福音を単純に伝えました。神が私たちを愛していること、人間には罪があり、自分の努力や修養では救われないこと、しかし、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死んでくださったこと、イエス・キリストを信じる者はすべて罪が赦され、神の子どもとなり、永遠の生命をもち、天国へ行くことができることを、お話ししました。彼女はその事実を素直に信じました。それ以来、何度も手紙をやりとりしました。
ある日曜日の礼拝後、彼女が亡くなったという知らせを聞きました。お母さんが知らせてくださったのです。そしてお母さんは、電話でその時の様子を語ってくださいました。彼女は、「お母さん、とてもきれいな、すばらしい所が見える。とてもきれいな所が見える。早く、早く」と言って、安らかに息を引き取ったそうです。お母さんはクリスチャンではありませんが、娘が見たきれいな所、すばらしい所は、いつも娘さんが語っていた聖書に書いてある天国であることが分かったとおっしゃいました。
確かに、娘さんが亡くなったことは、深い悲しみです。しかし、最後にお母さんは、「『娘は行くべき所へ、ちゃんと行った。天国のイエス様の下へ帰っていった』という平安と慰めが、家族全員にございます」と言って、電話を切られました。
イエス・キリストが彼女の道、天国への道となってくださったのです。
また、イエス・キリスは、私たちがどう生きるかという「人生の道」を示してくださいました。
キリストの道を歩む時、不安のない、迷いのない人生を歩んでいくことができます。道は私たちに方向を示すものですね。人生をよく旅にたとえます。「人生は長い道のりを、重い荷を背負って行くようなものだ」とも言われます。時には重い荷を背負いましょう。しかしそれは、旅の目的と行き先が分かっていればこそ、耐えられるのです。人生、なぜ疲れるのでしょうか?目的が見いだせず、行き先が定かでないからです。あなたは、自分の人生の道がどこにあるのか、どこへ行き着くのか知っていますか?
イエス・キリストは「わたしが道だ」と言われます。そして、私たちを永遠の父なる神の家へ導いてくださるのです。
どうか今からあなたも、イエス・キリストの道を歩んでください。この地上でどのような戦いや貧しさや病苦があったとしても、キリストとともに歩む人生には輝きがあり、それを乗り越える力が与えられ、解決があります。
イエス・キリストこそ、永遠の天国へ連なる道なのです。
(C)マルコーシュ・パブリケーション
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。