すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願ってこう言った。・・・彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。(マルコの福音書5章22〜23節、27〜28節)
東北地方での地震があり、被災地には兄弟姉妹もいますので、平安と神の助けを祈っておきましょう。この梅雨の季節にも神様から頂くべき恵みの雨をハッキリと意識して歩んでまいりましょう。
オリンピック出場をかけて様々な競技で予選が行われています。1試合、1セット、あるいは1点を争う状況の中での選手たちの必死のプレーに感動します。
しかし私たちは、いつの間にか観戦者になるだけで、当事者になることができなくなっていないでしょうか。信仰というのはどこまで行っても、人ごとではなく、一人一人が当事者でなければならないのです。
自分自身がその本人になるのは、苦しいものです。つい先日もビル・ウィルソン先生を東京と沖縄に招いての特別集会を行いました。まとまった動員ができるか、費用や献金はきちんと出せるか、非常にハラハラドキドキです。
結果は感謝なことに、1500名近い会衆が集まり、ビル・ウィルソン先生の働きのために400万円を越える献金を送金することができました。3週間経った今でも、関わって下さった沖縄の先生によると、参加した兄弟姉妹たちから「本当に元気づけられ、恵まれ、祝福されました。」という声が届き続けているそうです。一生懸命奉仕し、疲れ果てましたが、それ以上の大きな恵みがあり、今回のことを通しても私自身がクリスチャンとして、大変成長させられました。
私たちは、信仰の自由も守られ、生活も豊かで、禁じられることや不足したものがあるわけではありません。必要なものは全て与えられています。足りないものがあるとすれば、それは私たちの一生懸命さです。信仰に必死さが欠けているために、与えられるべき神からの恵みを頂くことができないで終わっているのです。
信仰生活にあるべき一生懸命さ。これを私たちはこの朝学んでいきましょう。
1.信仰の場でこそ一生懸命でありたい
ヤイロも12年間長血を患っていた女性も必死にイエスに癒しを求めました。
私たちは子育てなら必死になり、仕事やお金儲け、趣味や欲しい物のためには一生懸命になれます。しかし、信仰や、神の恵みを求めることに一生懸命でしょうか。分かり切った大切なことですが、このことを私たちはもう一度自分に問いかけたいと思います。
2.イエス・キリストに向かう一生懸命さ
ヤイロの願いが聞かれて娘が生き返り、12年苦しみ続けた女性が、たちどころに癒された原因の1つは何でしょうか。それは、自分で必死に動いたとか努力したという、空回りの一生懸命さではなく、イエスに向かう一生懸命さです。私たちは救い主であるイエスが一緒にいて下さるのです。素晴らしいことです。イエスに向かって一所懸命でありましょう。
3.足りないところが多くても一生懸命でありたい
何か新しいことをするにしても、途中経過は恥ずかしい、努力したりがんばっている姿は格好悪いから、成功してから周りに見せようとしていませんか。目標を実現するための1つのカギは、人に言うことです。周りの人に知ってもらうと実現しやすくなります。
物語の続きでヤイロが家に到着しないうちに、娘が死んだという連絡が入りました。その時イエスは言いました「恐れないで、ただ信じていなさい。」イエスがなぜそう言ったのか。彼は恐れたし、イエスに願っていた信仰も一瞬で崩れたからです。12年間長血を患った女性も、本当に癒されて驚いたのですから、完全な信仰ではありません。
イエスに対して十分な理解をしていたわけでも、立派な信仰があったわけでもありません。不完全でも、足りないところがあっても、彼らはイエスの前で一生懸命でした。
あなたは最近祈りや神を求めることで一生懸命になったことはありますか。「無い」と言う方、だから神が働かれないのです。ほかのことには一生懸命になれるが、なぜか神を求めることにはやけに冷静になっていませんか。
祈りを人任せにせず、一生懸命自分で祈ってみることです。お付き合いのような毎回決まった額の献金ではなく、本気の献げ物をしてみることです。毎回真剣に礼拝に出、感謝をもって奉仕をしましょう。
不完全で未完成なところがあっても、主に向かう一生懸命さを神の御前で喜ぼうではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。