・・・「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」・・・イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。・・・大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。・・・(ヨハネの福音書6章1‐14節)
聖火護送と批判される厳重警戒の中、長野で聖火リレーが行なわれましたが、聖火リレーの意味やオリンピックの理念からはかけ離れたものとなってしまいました。平和なイメージのあった昔の日本では考えられないような、混乱した有様は、現代の世の中を切り取ったような感覚でした。しかし私たちは、自分の感覚や世の中に流されるのではなく、イエスの愛に触れられたクリスチャンとして、信仰に満たされて歩んでいきましょう。
今日の聖書箇所から、主の御業における私たちの居場所について共に学びましょう。
偉大な神が御業をなされるとき、私たちの居場所はどこにあるのでしょう。イエスは付き従ってきた何千人もの人が空腹なのを見て、弟子のピリポに言われました。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」そこには5千人以上の人がいたので、たとえ2百万円あっても十分ではありませんし、そのような大量の食料を売っている店もありません。はじめから全て無理な話なのです。
さあ、ここからイエスの奇跡の物語が始まります。そして、その物語の中にはイエスを信じる私たちの居場所があるのです。
1.主はご自身の御業をはじめから知っている
「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。」と6節にあるように、イエスは最初から御業の全てをご存知であり、父なる神の与えて下さる素晴らしいご計画をご存知です。
私たちの信じる神は、一生懸命注意をひきつけ目覚めさせなければならないような偶像の神々とは違います。「イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」のです(詩121:4)。常に働かれ、私たちを愛し御業を現わして下さる神であることを感謝しましょう。
弟子たちは、どのような方策も考えも思いつきませんでした。しかし神のご計画、奇跡の御業は今まさに起ころうとしていました。主ははじめからそれをご存知でした。
2.信仰を持って関わるように招いて下さる
主はピリポに言われました。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」(5節)主はご自分でなそうとしておられることもご存知で、それをなす力も神にあります。しかし神はご自分が働かれる時に、力のない、取るに足りない私たちをその働きの中に招き入れて下さいます。
イエスはあえて弟子たちに問いかけ、あなたがたの手で何かやってみなさいと言われました。ピリポの答はパンの値段や個数というあまりにも現実的なものでした。アンデレは少年を連れて来て5つのパンと2匹の魚を差し出しましたが、これでは何もできないと、やはり奇跡をなされる主を前にして、あまりにも人間的な枠の中での答でした。
3.私たちの持つものを用いて主は御業を始める
イエスが奇跡を行なわれた時、天からパンや魚が降って来たわけでも、地から植物が生え出て実を生らせたわけでもありません。
弟子たちは諦め顔でしたが、主は、少年のパンと魚を受け止め、感謝して祈り、分け始めたのです。すると5つのパンと2匹の魚から2千年経っても色あせることない、四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)が共に書き記した、5千人の給食という、初代教会にとって忘れることのできない偉大な奇跡の業が起こったのでした。
始まりは5つのパンと2匹の魚でした。主は私たちの手にある小さなものを用い、それを通して御業を行なわれるのです。
この3つの段階をしっかりと心に収めましょう。
信仰とは何ですか?神と私たちとの関わりを持たせるものです。信仰を働かせて関われ、と主は私たちを試しておられます。そして試されるだけではなく、私たちの手にある小さなものを用いて神の御業を引き出す信仰の働かせ方を教えて下さるのです。
主は私たちの持っているごくありふれたもの、小さくて足りないと思えるようなものを用いて下さいます。もし何もなくても、主はあなたのその手を用いて偉大な奇跡を行なって下さいます。
神の御業が現わされようとするまさにそのときにも、そこにあなたの居場所があります。イエスは真横に立ってあなたの持っているものを用いて下さるのです。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。