【CJC=東京】17世紀に地動説を唱えたガリレオ・ガリレイの裁判について教皇ベネディクト16世が90年、教理省長官として述べた見解がイタリアで論議を呼んでいる。
前任の故ヨハネ・パウロ2世は教皇在任中に、ガリレオに関してバチカン(ローマ教皇庁)が有罪判決を下したのは誤りだった、と認めた。ただ当時の判断は理解できるものだったとして判決を擁護もしてはいた。
問題は、教皇を補助する立場の教理省長官として、当時のヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、「ガリレオの時代、ローマ・カトリック教会はガリレオ自身よりもはるかに理性に忠実であり続けた。ガリレオに対する一連の措置は、理にかなった公正なものだった」と述べていたこと。
教皇はローマ大学サピエンツァ校で17日の始業式に講演を予定していたが、同大学で研究者と学生たちによる抗議運動が巻き起こった。まず、同大学の科学者60人以上が、同大学に宛てた書簡の中で、教皇(当時は枢機卿)のガリレオ裁判、さらには、科学についての見解が「われわれの感情を損ない、屈辱を与えた」と主張、大学にこうした考えを持つ教皇を呼ぶのはふさわしくないと、招待をやめるよう要求した。
学生も抗議活動を展開、約100人(200人以上との報道もある)が15日、同大学内の演説予定会場や大学総長室がある建物を占拠した。学生は演説の際の構内でのデモ実施を要求、大学総長と討議した。学生たちは、教皇が「悪魔の所業」と呼ぶ大音響のロック音楽や、「反教会的な」ゲイやレズビアンのパレード、「知には教皇も聖職者も不要だ」というバナーなどで教皇を迎える計画だったという。教皇が、妊娠中絶や同性愛の問題で保守的とされることも、学生らの反発を招く一因となったと見られる。
大学側は、教皇による講演が確実に行なわれるよう、構内に警察を配備することも計画したが、バチカンは15日、教皇が予定していた演説を中止するとの声明を発表した。学生らは同日、占拠していた大学内の建物を明け渡した。
教皇が抗議運動を理由に予定されたイベントを欠席するのは極めて異例で、教皇の威信にも影響しそうだ。教皇は06年にも講演でイスラムの教えを「邪悪」とするビザンチン帝国皇帝の発言を引用、イスラム世界の反発を招いている。
イタリアのロマーノ・プローディ首相は「(バチカンを含めた多用な価値を認める)イタリア市民社会の伝統の損失だ」と語った。
ベネチア出身の物理学者トマソ・ドリゴ氏によると、問題になった発言は元々が科学哲学者ポール・ファイヤアーベントのもの。ファイヤアーベントは著書『方法への挑戦=科学的創造と知のアナーキズム』(邦訳、新曜社、1981)のなかで、ガリレオの地動説流行の原因を、ラテン語でなくイタリア語で書いたからであり……古い思想とそれの学問基準に嫌気がさしている人々にアピールしたことにある、と指摘しているという。
ガリレオ裁判には「真理」をめぐる権力闘争的な面の指摘もある。ガリレオが処罰されたのは、発言内容というよりはその姿勢に原因があり、「地動説を受け入れない人は人類の恥」「成長しない子ども」など過激な発言をガリレオが行なったためだ、と教会を擁護する意見もある。