インド伝道の集会の終わりには、癒やされた人々が舞台に上がり、続々と神の御業を証しする時間があります。その様子を日本の皆さんにも届けたくて、ビデオに収めようとするのですが、人々は神の素晴らしさに興奮状態で音声もきちんと拾えないぐらい喜びの声が上がっていました。そこには、聖霊による真の救いがあったのです。病の癒やしよりもさらに素晴らしい恵み、イエスとの出会い、罪の赦しがあったのです。
イエスはどれぐらい偉大なお方なのでしょうか。あなたの信仰で、小さくもなり大きくもなります。イエスを過小評価してはいけません。
今日の箇所は、中風の人がイエスの元に連れて来られた物語です。その人に対して、イエスは「あなたの罪は赦された」と言われ、それを聞いた律法学者たちは、心の中で理屈をこねていました。罪を赦すことができるお方は神お一人であると信じていたからです。
私たちはイエスを救い主と認めているはずです。しかし、救い主とはどんな救いを与えて下さる方でしょうか。2つのことを受け止めましょう。
1.主イエスがもつ救いの力の偉大さ
救いとは、心がきれいになるとか気持ちが楽になるとか、精神的に清められることだというような考えをお持ちではありませんか。しかし本当の救いとは、私たちのこの全存在が新しく変えられて、神の子供としての命が与えられることです。
イエスの救いには、私たちを癒やす力も含まれています。救いの中に前提として、癒やしが含まれているのです。救いは、神が罪ある人間に与えられる最高の贈り物なのです。5節「『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか」とあります。律法学者たちは、イエスを神の子としての権威を持つお方だとは認めていませんでした。「罪を赦す」と言うのは簡単なことですが、外見から罪が赦されたことは人間の目では判りません。しかし、中風の人が癒やされるのを見たら、誰もその力を疑うことはできません。
イエスは、中風の人を癒やすことによって、ご自分が神の力と罪を赦す権威を持っておられることを人の目に見える形で明らかにされたのです。
2.惜しみなく現される救い主の恵み
私たちが聖書を読む時、イエスが恵みを出し惜しみされる場面があったでしょうか。救い主イエスは、常に救われ、癒やされ、解放されるべき人々と向き合って下さるお方です。そこに敵がいようとも、イエスを落とし入れようとする者がいると分かっていても、イエスはその恵みの業を躊躇することは決してありませんでした。
真の救い主は、自ら私たちと向き合って下さり、出し惜しみすることなく、神の恵みを具体的な形として現し、与えて下さいます。主イエス・キリストの恵みは昨日も今日も変わることはありません。その恵み、救いと癒やしを私たちも自分自身で受け止めたいと思います。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。