ベンツ氏は「洗礼は神からの賜物であり、信仰者はイエス・キリストによって始められ、聖霊を通して洗礼の中に開かれた終始変わらぬ拠り所をかたく信頼するようになります。私たちが受ける賜物がすべてそうであるように、洗礼も本質上、信仰に基づく。神の賜物は無条件で与えられます」とし、幼児洗礼が原則として正しい根本的理由がここにあると説明した。
一方で幼児受洗者に対しては、「洗礼の際の神の近さの約束は、成年に達したときの自覚的な関わり方に焦点が置かれています。それゆえ幼児受洗者は、成人に達すると信仰問答書(カテキズム)による指導を受け、洗礼を集中的に想起する儀式の中で、個人的に信仰を告白するよう訓練され、キリスト教(福音)を証しする教育が施されることになります」と説明した。
なお、幼児洗礼に関しては、キリスト教の教派によっては認めない教派も存在している。ベンツ氏は、「幼児洗礼は本来非常に難しいテーマで、ドイツ諸教会でも激論になった問題でした。カール・バルトは幼児洗礼に対して反対で、『幼児洗礼は秩序の中で行われていない』と述べていました。しかし、私は賛成です。賛同者として、幼児洗礼を教義学的にどう認めることができるか、その根拠としては、洗礼は信仰に基づいて授けられますが、私たちの信仰を根拠にして授けられるものではないことが挙げられます。信仰に向かって洗礼が授けられるのであって、信仰を持っているかどうかの根拠を知ってから授けられるものではないのです。二つ目の根拠は、神はイエス・キリストにおいてあらゆる人間を受け入れています。子供も、成人も、赤ちゃんも受け入れています。成人は、自覚的に決断することが求められてはいますが、成人であっても間違って決断をすることがあります。そういうことも含めて成人というものを絶対化していません。ですから幼児洗礼は可能だということです。私たちは神を信じている、神の赦しを信じる、だから洗礼を受けると言いましても、その場合の信じると言う事は不確かさを含んでいます。洗礼は自己の自覚に基づいて受けるのではなく、『神が私を受け入れてくださっている』、『私は神が私を受けてくださっていることに全面的に信頼を寄せている』ということが、洗礼に置いて一番大切なことです。洗礼は信仰をもとにしていますが、それは私たちの自覚が実ったから、自意識が十分であるから授けられるのではなく、むしろ洗礼において大切なことは、『私たちひとりひとりが子供のような純真な気持ちをもっている存在として神の御前で認められること』にあります。日本のようにクリスチャンが社会で少数派の場合は、幼児洗礼を認めないという方向を取ることも大切である場合もあるとは思いますが、基本的に洗礼はどのようなどの人生の段階においても、生まれたばかりであっても可能であるということです」と説明した。
また洗礼という礼典自体を行わない教派もあることについては、「洗礼を行っていないグループについては、非常に同情しています。洗礼の歴史や伝統があることを無視することはできないと感じています。一方で、洗礼を受けたからといって生涯信仰に立てるかどうかは疑問です。信じたと言い続けてもいつの日からは信仰が揺らぐことがあります。洗礼を受けた私たちの信仰が揺らぐ時に大切なことが、『本当に私たちが洗礼を受けた』という信仰の自覚、イエス・キリストが一人一人に目を向けてくださっているという確信が、洗礼を受ける最も大きな理由になります。ルターでさえも信仰があるかどうか迷ったことがあり、その時に自分が洗礼を受けたという事を紙に書いて励ましていたことがありました」との見解を述べた。
~エキュメニカルな礼典としての洗礼~
世界教会協議会(WCC)の信仰と職制委員会が1985年に編纂した「洗礼・聖さん・職務―教会の見える一致をめざして」では、「すべてのキリスト教徒の一致のしるしとして、洗礼はこの一致の根本であるイエス・キリストにむすびつけます。教会の理解の点で違いがありますが、しかし洗礼については、私たちの間に根本的な了解があります。それゆえ私たちは、イエスのご委託に従い、父と子と聖霊の御名によるしるしの行為、浸礼また滴礼による洗礼を承認し、すべての受洗者を心から喜び歓迎します。この洗礼についての相互の合意は、イエス・キリストにある一致のきずな(エペソ4・4~6)の表現です。ですから行われる洗礼は一回限りで繰り返されません」と表明したマグデブルク洗礼宣言が記されている。ドイツでは約5年前にエチオピア正教会、ドイツ・英国聖公会連盟、ドイツ・アルメニアン・使徒正教会、ニーダーザクセン古改革派教会、ヘルンフート兄弟団、ドイツ福音教会、メソジスト教会、ドイツ・古カトリック司教区、ドイツ正教会、ローマ・カトリック教会、単立福音ルター派教会の11の会員教会による洗礼の相互承認で、洗礼がエキュメニカルな礼典であることが正式に認められ、エキュメニカル運動を大きく促進させた。
なおマグデブルグ宣言が編纂される過程で、一番難しかったのが、正教会との一致であったという。正教会は、他教会で受けた洗礼を認めないと主張していたが、議論を重ねる中で正教会も他の教派による洗礼を認めるようになってくれたという。また幼児洗礼を認めていないバプテスト教会も、マグデブルグ宣言が出て来る段階で「バプテスト教会内では幼児洗礼は認めないが、幼児洗礼を他の教会が行った場合は、その洗礼を認める」としたことで、一致に至ることができたという。
ベンツ氏は「私は、もしも日本のキリスト教会が、同じような声明を出されるなら、日本のエキュメニズムにとって本当に大きな助けであり、役立つものとなると思います」と述べ、日本の諸教会一致を呼びかけた。
日本エキュメニカル協会理事の江藤直純氏によると、カトリックとルーテル教会、聖公会の間では洗礼の相互承認を行ったが、キリスト教の教団としての一致はまだ成されていない状態であるという。
今回の特別講演会を主催した日本エキュメニカル協会(JEA、代表:松山與志雄氏)は、日本の教会の一致促進のために40年間活動を続けており、教会教派を超えた出会いと協力事業を支援している。今年10月には来年10月末に韓国釜山で開催される世界教会協議会(WCC)総会の勉強会も開催予定であるという。
前ページはこちら