毎年アジア各地で数万人に福音を伝える大衆伝道者、万代栄嗣牧師が24日、東京・銀座で聖書の福音を語った。会場の銀座東武ホテル2階チャペルには、同師が語る聖書のメッセージを聴こうと、都内近郊からおよそ30人が集った。
この集会は、万代師が牧会する東京福音センターが開催して、毎月2回ほど行っている。「東京の中心で福音を語り、日本を変えたい」という願いから始まった。この集会をきっかけに教会へつながり、受洗した人もいる。日々の生活の中で、いつの間にか「神は今も私たちの内に生きて働かれる」ことを信じられなくなったクリスチャンや、まだ神の愛を知らない多くの人々に、神の愛と、信仰の喜びと希望を伝えている。
人がまことの救い主であるイエス・キリストと出会うと、そのときから人生はまったく新しく変わる。ヨハネ5:1〜9に登場する男がまさにそうであった。
彼は、へブル語でベテスダと呼ばれる池にいた。そこには、主の使いがこの池に降りて水を動かすとき、最初に入ったものはどのような病気にかかった者でも癒される、という言い伝えがあった。それで大勢の病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。
そこに、イエスが通りかかった。イエスは、彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
主は、大勢の中の一人でしかない彼を選んだ。万代師は、「大勢の中で無名の一人であるあなたを、神はかけがえの無い一人として引き出してくださる」「あなただけに用意された恵みがあるのです」と語った。
彼の変化は劇的なものであった。イエスに出会ったほんの数分、いや一分足らずであったかもしれない、そのわずかの間に、38年の間何の変化もなかった、実に味気ない彼の人生がまったく新しいものとなった。
「イエスと出会う」ことで人の人生は変わる。では、「イエスと出会う」とはいったい何を意味するのだろうか。人はいつ、自分の味気ない人生から解放されるのか。
イエスは彼に、「よくなりたいか」と問いかける。この問いをクリスチャンに当てはめてみよう。神は、「あなたは本当に自分の信仰を成長させたいのか」「神の恵みを本当にいただきたいのか」と問いかけている。このような問いを受けた人の中に、心から「私は成長したい」「神の恵みをいただきたい」と願う信仰が働くことを神は願われている。信仰とは、神と向き合うときに、その人の心の内で働くものだといえる。
イエスは、今、自分の目の前で歩くことができない男に向かって、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言った。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの」(へブル11:1)である。事が起こるその前に、すでにイエスは将来(近い未来)彼の上に現される神の業を確信していた。
信仰とは、常に自分の人生を、現実に先んじて信じることである。
「床を取り上げて歩きなさい」彼は信仰によって、この御言葉を受け入れた。「私にはできない」そう、彼にあるその弱ささえ神はすでに知っておられる。しかし、「どんなに自分が弱いからといって、主イエスまで弱くしてはいけない」彼が「歩きたい」「歩こう」としたそのとき、主は働かれた。今の時代も同じく、主は生きて実際に働かれる。
万代師は最後に、自分の狭い考えによって、日々現される神の御業を無駄にせず、それを信仰で受け止め、神の力に満たされて進んでいくようにと会衆を励ました。
次回の集会は9月7日(木)午後7時から、場所は同じく銀座東武ホテル2階チャペルで行われる。