人生の祝福は、棚ぼた式に、どこかから与えられるものではありません。私たちは、信仰をもって祝福を選ぶことができるのですから、しっかりと選び取っていきましょう。
イエスは、公生涯の中で、奇跡さえ起こる力強いお働きをされていました。人を縛りつけるだけの律法学者の教えとは違い、神の愛を説かれるイエスの御言葉には権威がありました。また、イエスが祈られると、病める人々がどんどん癒され、悪霊にとりつかれた人々から悪霊が追い出されていくのでした。
しかし、今日の聖書の中で、イエスは「これから苦しみの歩みが始まる。そして、ついには殺されるのだ」と語られ、この時点から、イエスは、十字架に向かって歩み始められるのです。イエスとは、いったいどういう方か、はっきりわからなければ、救いの御業が起こらないことをイエスはご存知でした。だからこそ、イエスは、ご自分が誰であるかを人々に問いかけながら、人間の救いのために十字架に掛かるというお働きに向かって歩んで行かれたのです。
イエスは、神から救いをいただくために重要な三段階を示しておられます。それを、しっかりと受け止めましょう。
1.あなたにとってのイエス・キリストを信じる
イエスは弟子たちに「人々は、わたしを誰だと言っていますか」と尋ねられました。弟子たちは「洗礼のヨハネだとか、預言者エリヤの生まれ変わりだと言う人もいます。預言者のひとりだと言う人もいます」と答えました。それに対して、イエスは「では、あなたがたは、わたしを誰だと言いますか」と尋ねられたのです。すると、ペテロが「あなたは、キリストです」と答えました。
人はイエスについて、ああだこうだといろんな噂話をします。現代でも、二千年前の聖人、キリスト教の創始者、哲学の思想家と、人々の答え方は様々です。そういう中で、神は「あなたにとって、イエスとは、どういうお方ですか」と、私たちひとりひとりに問い掛けられているのです。
あなた自身の信仰を、しっかりとイエスに向かって告白してほしいのです。「私は、私の罪を贖うために来られた救い主、神のひとり子イエスを信じます」と素直に告白する者でありたいのです。
2.十字架で死なれたイエス・キリストを信じる
ペテロはイエスに対し「あなたこそ、私の救い主です」と素晴らしい信仰の告白をしましたが、実は、彼の信仰の中身は充分なものではありませんでした。ペテロは、かっこいい勝利者であるイエスの姿だけを信じていたのです。
イエスは「わたしは、これから、受難への道を歩み、十字架で死ぬことになる」と語られます。するとペテロは、イエスを脇にお連れして「そんなことがあっちゃいけない」と、いさめたのです。そんなペテロに対し、イエスは叱って「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と言われました。
私たちは、私たちの期待に反し、救い主イエスが十字架の上でむごたらしく死んでしまわれた事実を、受け止めなければなりません。
「痛められ、苦しめられ、殺されなければならない」と語られたイエスには、連戦連勝、敵なしという他の者を圧倒する力強さはありません。十字架に掛かることは、ユダヤ人の策略というだけでなく、神が定められた本物の救い主としてのご計画だったのです。私やあなたの罪を贖うために、英雄にはふさわしくない十字架の死を受け入れられたキリストを、はっきりと信じたいのです。
3.自分の十字架を背負い、神の御前にへりくだる
「救われるために、何をすればよいか」と問い掛けられれば、「品行方正で真面目な人になれば、救われる」と思うものです。でも聖書は、「正しい人間は、一人もいない。みんな、神の前には罪人なのだ」と語ります。そして、イエスは「誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」「自分の命を救おうとせず、むしろ、福音を信じ、そのために命を捨てなさい。そうすれば、命を見出す者となる」と語られます。
自分の嘘や、隠れて行なった罪の数々は死に値すると、自分の罪を認め、「私も自分の十字架を背負います」と命を捨てて捧げるときに、死んだはずのイエスの命が流れ込み、主として心に宿って下さり、正真正銘の救いが与えられます。命の与え主である神が開かれた救いの道を歩みましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。