正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。 (詩篇92:12‐14)
倉敷の小橋護先生がお便りで、「わらび狩り」に行った時の様子を知らせてくださいました。
―急な坂道、雑木の間をかき分けながら山頂にたどり着くと、みごとなわらびの群生!というよりは、かわいい手が地面からニョキニョキ出ている姿、しばしかがみこんで握手!何と表現してよいか。この感触!自然のこの躍動。倉敷の詩人、池田愛さんの歌がぴったりだ。
「冬に耐え 土をもあげる ものの芽の 若き力をわれにもほしや」
私は倫理の時間に叫ばずにはいられなかった。「君たち、わらびを見て、何を感ずるか。冬に耐えるわらびだ。土をもちあげる力になるのだ。不肖不屈の精神で、積極性をもって、三つのことをすれば、わらびになれる。
第一 目標を立てる
第二 集中と情熱でぶつかる
第三 犠牲と努力を惜しまぬ
これが君たちの成功の力だ。三原則だ。これがわらびの若き力だ!」―
わらび先生の情熱に感動しました。
緑は生命のシンボルです。冒頭のみことばの別訳(リビングバイブル)をお読みします。
しかし、神様を信じて従う人は、なつめやしの木のように青々と茂り、レバノン杉のようにそびえ立ちます。というのも、神様の農園に移植され、しかも、神様みずから世話してくださるからです。おかげで老木となっても実を結び、青々と茂ることができるのです。
では、このような青々と茂り、そびえ立つ人生、年老いても実を結び、青々と茂る成功的人生は、どうすればもつことができるのでしょうか?
第一に、神を信じて従うことです。
私は唯物主義者で無神論の家庭で育ちました。だから、この世界で頼れるのは自分だけだという考えでした。神も仏も信じない。手を合わせたこともない。迷信や俗信など何も知らずに育ち、そのような考えを軽蔑していました。
日本は世界でも全国民的に、トップレベルの知識をもっています。しかし、世界で最も多くの神々や迷信をもつ国の一つです。コンピュータも扱い、学識を誇る人が、家庭の不幸を解決するために、ヘビやキツネやわけの分からない宗教にひざまずき、かえって問題を複雑にしている例を、たくさん知っています。「いわしの頭も信心から」と言います。信仰なら何でもいい、要するに「信じる心」の問題なんだからと、多くの人は自分をごまかしています。また、人をごまかし迷わせ、自分も導いた人も共々に、滅びの道を歩いていっているのです。
ある冬の寒い日、夜行列車に子ども連れの婦人が乗っていました。彼女は一人の紳士に、彼女の降りる駅を尋ねました。「大丈夫!駅へ着いたら教えてあげますから」と紳士は優しく答えました。婦人と子どもは安心しました。
しばらくして列車が止まったので、紳士が「さあ、着きましたよ。ここです」と親切に二人を降ろしてくれました。再び列車が動きだした時、車掌がやってきました。「ここにいたご婦人は?」紳士はにこやかに「ああ、さっきの駅で降りましたよ」。
しかし、それは大きな間違いでした。そこは駅ではなく、一時停止しただけだったのです。捜索隊が見つけた時には、婦人も子どもも寒さに凍え死んでいました。
紳士は親切でした。よく教えました。しかし、彼は本当のことを知らなかったのです。
神様なら、宗教なら、何でもよいのではありません。天地万物を造り、今も生きている唯一の神を信じ、従うことです。その神こそ、イエス・キリストです。イエス・キリストを救い主として信じる時、あなたの人生は変えられます。いつも青々と茂る成功と幸せの人生が始まります。そして、まことの神は信じた者の世話をしてくださいます。イエス・キリストは世の終わりまで、信じる者と共にあってくださる、まことの神なのです。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。