A・B・シンプソンは言います。「祈る時に、まず、自分は、神様の前に出て、祈るに相応しいだろうかと疑いを持ちます。浄められなければ、良い祈りが出来ないと思うからです。ですから、多くの人が浄められたいと願い努力して、長い階段を上る様に、ありたけの努力をして、途中で疲れてしまう人が多いのです。この時、自分の力ではなくて、神様に依り頼めば、私達ではなく、神様が直ぐに浄めて下さいます。そうして、私達は、祈るに相応しい者に変えられるのです」。ですから、まず何よりも先に、私達は、「神様、あなたを愛し、あなたのすべてをお受けします」と言いましょう。そうすれば祈る事が出来るようになります。今日は徹夜祈祷会です。
聖霊のバプテスマについて、クリスチャンに手紙を書く(中央聖書神学校の期末リポート)
親友飯野君、貴兄からいつか頂いた嬉しい手紙については、深く感謝します。いつか、一緒に旅行したいと思っています。都合がついたらお知らせ下さい。私は半徹夜祈祷会で二時間半位以上祈った事はありませんが、祈り足りない罪を悔い改めて、祈るならば、きっと、僕たちの信仰に、キリストが温かい血を注いで、生命を与えて下さる事でしょう。
ニューヨーク・ユニオン紳学校と言えば、神学校を出た貴君の方が良く御存知でしょうが、その最も保守的なプロテスタント神学者、校長バン・デューセン博士が、「キリスト教第三の波、それは、単に信仰のリバイバルという事ではなくて、革命の様な流れです。この事がどんなに大切なものかと言えば、それは、メソジストとかホーリネスとかの教派が出来たという様な次元の事件ではなくて、初代の使徒による教会の設立や、宗教改革にも匹敵する事件です」そう語っているこの事について、私がこの教会に来て、見て知った事をお話しします。この事は、今から四十年前、青春時代を共に楽しむ君と一緒に通っていた(やがて私は離れてしまった)頃の教会では聞かなかった言葉でしたし、事実その頃聖書で、一番難解だったのは、聖霊という言葉でした。――今僕が語りたいのは、やっと今まで求めて来た、ダイナミックな奇跡、目で見て触れる、その事の発見、その喜びについてです。信者としての私を、奥底から揺さぶり変えた事件。まだ開拓の、僅か数名しかいない、バラックの借家、小さな港南シオンキリスト教会で見たものは、信仰についての見方、考え方を根底から変えてくれました。――聖霊様にお会いしたのは、教会にいる牧師の祈りの姿とその御生活を見ての事です。たった数人しかいない(信じられない様な、ボロ屋根の教会の一牧師)その方が、何故、あの様に信じられない程、他人への愛で輝いているのか? 不思議に思い、初めは少し疑ってみてから、次に驚きと変わり、更に私の心は畏敬へと変わって行きました。私はそこに真理の存在を心で見、そして信じた。――私が、この様な方(牧師)を生んだ神学校は如何なる所なのだろう、と思った事については、昔から、探求的な僕の性格を知っている君は、それは当然の事と理解してくれるでしょう。「駒込の中央聖書神学校」の発行する新聞に、「神学生が最も良く読む本」として紹介された五つの本、それを直ちに全部買って来て、むさぼる様に読みました。読みながら気づかされ、驚いたのは、特にその中の二冊の本でした。その一つはマーレーの『謙遜』で、そこに描写されるイエス・キリストの姿は、私が尊敬する牧師の姿に似ていた。もう一つは、手束正昭師の、『キリスト教第三の波』であって、師が情熱をもって書かれた様に、イエス・キリストは二千年経った今でも信じる者の中に熱い血をもって働かれており、初代教会でキリストや弟子達が行ったあの奇跡や癒しは、過去の事ではなくて、現在の現実であるという記述でした。新しく生まれ変わった私は、これらの事を見聞きしながら、「朝に真理を知れば、夕に死すとも可なり」という心境そのものでした。牧師が、聖霊のバプテスマを、「私の様な者でも受けられる」と言われるので、その言葉を信じて、止めどなく溢れる求めと願いで、それを求めた事、その事もきっと君には理解して貰える事でしょう。君と会うときはこれまで、何時もビールを飲んだ(貴君は別です)が、私はかなりの酒飲みです。仕事中はコンパで飲んでは学生と歌い、仕事が終わると友人と飲んでは世の中の事について議論をかわし、更に疲れた時は、先ず疲れ直しとオデン屋の屋台で飲み、さらに帰宅してはまた正式に楽しんで晩酌をしておりました。タバコは更に人々に知れる程有名で、一時は友人からその事による綽名を戴いていた程で、喫煙は、有毒菌の毒素の研究で、思いがけず塵肺となって、医者に諫められても、それでも止められなかった。――でも尊敬するこの牧師から、「お酒や煙草を止めなければ、聖霊のバプテスマを受けられませんよ」と言われた時、私はすべてに優先して、酒、煙草を止めました。「人間は自己追求的に出来ていますから、少しぐらい苦しくても、自分の欲を押さえなければいけないのです」と、そう言われながら。結果、失ったものよりも、得たものがどんなに遥かに大きかった事でしよう。
慕いまつる神が、私の願いに応えて、聖霊のバプテスマを与えて下さったので、私の信仰は蘇り、名状しがたい喜びと、伝道の熱意に満たされました。祈ればキリストが来られるからです。神の臨在を持つ身となれば、聖書は、もはや文学や歴史や教訓の類ではなく、神の啓示に違いありません。
キリストの危急の時に、三度まで主を否んだペテロ、蜘蛛の子を散らす様に逃げてしまった使徒達が、何故あの様に、喜んで殉教する程の強さに変えられて行ったか、その事については、貴兄の方が私よりも良く御存知の事です。死から蘇り復活して来られた主を、使徒達が直接自分の目で見た事は、使徒達の信仰を確実なものとしましたが、力は、ペンテコステの日に起きた聖霊降臨によって与えられました。そしてそれから二千年たった今も、その同じその圧倒的な聖霊降臨の恵みが、主を愛し信じる人達に、与えられない筈があるでしょうか?
旧約の時代に、この様に主の霊が激しく働かれるのは限られた人に対してのみでした。士師記の一四・六に、主の霊がサムソンに激しく臨み、サムソンはほえたける獅子を子山羊の様に裂いた、とあり、また同じ士師記の一五・一四には、激しくサムソンに主の霊が臨み、サムソンは力を得て、一〇〇〇人を打ち殺したとあり、サムエル記上一〇・一〇では、サウルに神の霊が激しく下り、サウルが預言した、とありますが、この様な事は、一般に見られるものでは無かった様です。新約時代に入ると、旧訳聖書ヨエル書二・二八に示された、『その後わたしはわが霊を、すべての肉なる者に注ぐ』の預言が成就した。つまり、復活のイエス様が使徒行伝一・四に、『エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう』と約束されて、ペンテコステの日に、『突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたり、また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した』のです。こうして神の、信じる者への契約が成就し、以後、キリストは主であると告白するすべての信者で、求める者に与えられる事になりました。イエス・キリストの十字架、復活、昇天の結果、もたらされたこの恵みの到来については、聖書に多く書かれている通りです。
聖霊のバプテスマ(火のバプテスマ)は、水によるバプテスマ(洗礼)とは別に与えられます。使徒行伝八・一六に、『彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。そこで、二人が手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた』とあるからです。使徒行伝一九・二に、『あなた方は、信仰に入った時に、聖霊を受けたのか』とあるのは、ギリシャ語原典から訳せば、『あなた方は、信じてから後に、聖霊を受けられましたか』であって、聖霊のバプテスマと信仰による新生とは別の事であって、むしろ聖霊のバプテスマは新生の後に与えられるものである事を示しています。クリスチャン生活に聖霊の働きがどんなに重要かは、ヨハネ一四・二六に、『聖霊は、あなた方にすべての事を教え、またわたしが話しておいた事を、悉く思い起こさせる』とある通りです。ですから、復活のキリストは、ヨハネ二〇・二二で、集まっていた弟子達に、ハッキリと、『聖霊を受けよ』と命じられました。ですから、受洗したクリスチャンは、水による受洗の恵みの段階で止まるのではなく、もっとある、もっと更にある、恵みの現実に入るべきです。ペンテコステの日に集まっていた百二十人のキリストの弟子に聖霊が注がれ、聖霊の力に満たされた人々は福音を伝え、迫害にめげず、ローマ全土に福音を広げて行きました。この爆発的な力の源泉は勿論、この人達を用い、それを通して働かれた、神である聖霊の力です。
コンスタンチヌス大帝に、神様は天に奇跡を見せられて戦いを勝利に導かれ、戦後、大帝はキリスト教を公認する事によって応え、キリスト教の迫害は止み、以後、キリスト教は広がって行きましたが、広がるにつれて、かえって信仰生活は俗化し、また形式化もしたために、聖霊の働きは次第に弱まり、奇跡や癒しは起こりにくくなりました。神は正しい信仰を呼び起こすため、ルーテルを用い、宗教改革を通してプロテスタント教会を起こされましたが、正しからざる科学観に影響されて、プロテスタント教会の内部にさえ不信仰が広がり始めました。そんな中でも、モラビア兄弟団やジョン・ウェスレーのメソジスト運動、ムーディ他によるリバイバル運動を通して、何時の時代も信仰復興が試みられて来ました。
不信仰の歴史を辿るうち、異言を伴う聖霊のバプテスマは少なくなり、二世紀を越えた頃には、何時の時代にも散見されるという程度の、悲しむべき状況になってしまいましたが、二十世紀初頭、突然、神は世界各地に、殆ど時を同じくして、聖霊を注ぎ始められました。結果、キリスト教界の様相は一変して、今や、「キリスト教第三の勢力」と呼ばれる言葉が生まれる様になりました。すなわち、一九〇一年アメリカのベテル神学校で聖霊の傾注があり、次いで一九〇六年にはロスアンゼルスのアズサ街で聖霊の大傾注が起きました。この時の人達の影響によって聖霊のバプテスマを受けた人は、数を増し、これ等の人達が神の意志に目覚めて、一九一四年アメリカにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を設立し、さらに一九四九年には日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が出来て、使徒行伝一・八、『聖霊があなたがたに下るとき、あなた方は力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう』とある様に、聖霊のバプテスマが、伝道の力として、世界宣教に大きく関わりを持って来ました。今は、世界のキリスト教界で、最も目覚ましく教勢を伸ばしているのは、このペンテコステ派のアッセンブリー教団であります。
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団では、聖霊のバプテスマと異言は、伴うものであると考えます。使徒行伝二・四『御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した』、使徒行伝一〇・四六『異言を語って、神を賛美していた』、使徒行伝一九・六『聖霊が彼らに下り、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした』、とある様に。
一九六〇年頃聖公会のベネット師が、それまではひそやかな運動として信仰されていた、聖霊のバプテスマによる祝福を自身で体験し、著書『朝の九時』等によってこの恵みの力を世界に紹介し、波紋は広がって、ルーテル、バプテスト、改革派等のプロテスタント各派のみならずカトリックに至るまで、超教派で広がる聖霊刷新運動が起きました。
カリスマ派がペンテコステ派と異なる点は、聖霊のバプテスマを伝道の力とは考えないで、単に霊の刷新と捉えるところにあります。また、ペンテコステ派では異言は聖霊のバプテスマに必ず伴うものと考えているのに対して、カリスマ派は、聖霊のバプテスマにおいて異言を語る者も語らない者もあるとする点が異なっています。コリント?一四・二に『異言を語る者は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語るのである』とあり、四節に、『異言を語る者は自分だけの徳を高める』とあります。注意すべき事は、二三節に、『もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたが気が変になったと言うだろう』とある通り、異言の祈りは個人の徳を高めるが、教会の中では『もし異言を語る者があれば、二人か、多くて三人の者が、順々に語り、そして、一人がそれを解くべきである。もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである』とある事です。
更に大切な事は、三九節にある様に、『異言を語る事を妨げてはならない』事です。聖霊のバプテスマを受ける事の出来る者は、ルカ一一・一三に『天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらない事があろうか』とある様に、求める者には、約束されています。ヨハネ七・三七、三八には、『だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう』とキリストが言われた通りであり、使徒行伝五・三二に、『神が御自身に従う者に賜わった聖霊』とある様に、信じて、主に従う者に与えられる霊の賜です。
聖霊のバプテスマは衝撃的なものであるために、多くの異説が唱えられがちです。これらの異説について、それが正しいか否かは、聖霊御自身が書かれた、聖書に聴く事が必要です。ある人達は後ろ向きで、「その様な力を必要とする時代は初代教会で終了しているので、聖霊のバプテスマは過去の事である」と主張します。しかし聖書にはそう書かれてはいません。私達は、神様を信じるのに、神を、人と同じ次元に引き下げたり、御言を割り引いて、当りさわりのない世の言葉に変えてしまう事は出来ません。
今、預言がなされ、異言が語られ、主の御名によって癒しがなされ、奇跡が起きるとしても、それは、驚きに値しないばかりか、我らのために、御業を続けて下さる、インマヌエルの主の御名を賛美して感謝すべきであります。
ジョン・シェリルの『異言を語る人々』には、二十四時間、あるいは二日間、祈り続けて聖霊のバプテスマを与えられた人の話が出ています。私は、この真理を知ったとき、直ちに信じました。そしてそれを私にも下さいと祈り求めました。聖霊のバプテスマについて、貴君と、そんな事を語りあい、二人でもっと長く祈りたいと、切望しています。
主にある交わりの友、 親友、愛する飯野兄へ。
≪仲 嶋 正 一≫
【所属教会】
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 港南シオンキリスト教会(野川悦子牧師)
【略歴】
日本キリスト教団東京天城教会(松本頼仁牧師)にて受洗(1949)
旧制浦和高校理科卒業 (1949)
進駐軍総司令部民事検閲部翻訳 (1949)
東京大学医学部薬学科卒業 (1953)
エイザイ研究所初代研究員
米国コロンビア大学客員研究員 Research Associate (1966ー1969)
星薬科大学及び大学院薬化学教授 (1970−1995)
同大学評議員・学生部長・教務部長・植物園長・入試制度検討委員長
・入試広報担当・日本薬学会関東支部幹事・大会準備副委員長・日本植物園協会評議員
現在 同大学大学院名誉教授 薬学博士 (東京大学)
パキスタン首都イスラマバードQuaid-I-Azam大学化学部の指名によって、教授助教授資格審査員 Referee for the evaluation of applications for appointment of Professor and Associate Professor in the Departmeny of Chemistry
【著書】
主イエスとともに(福音出版社)仲嶋正一、啓子共著 1994年11月
キリストの証人として立てられる(百万人の福音1997年3月号、いのちのことば社)
ハーベストタイム TV 出演: 薬学博士・神に立ち返る(1997年6月29日、同 名作集1999年7月2日)
小牧者出版デボーション雑誌 「幸いな人」 コラム執筆担当(1996年11月〜現在まで)
小牧者出版デボーション雑誌 「シャイン」 執筆担当(2000年7月〜現在まで)
1996年〜1999年中央聖書学校聴講生
専門分野 (天然物国「化学と低温電気化学的合成反応)
国際的研究学術論文英語にて 95報告 専門著書 5冊
業績によって、アメリカ Marquis 社 Who's Who in the World 18th Edition、2001年版以降、Who’sWho in Science and Engineering、The Contemporary Who's Who ,に指名される。
◎ 英国 International Biographical Center, Cambridgeより、21st Century Award、International Medal of Honour, One thousand Great Asians, Lifetime of Scientific Achievement Award, Living Legends, International Scientist of the Year 2003, Advisors to International Bibliographical Centreに推薦される。
◎ 米国American Bibliographical Institute より、
World Medal of honour, American Medal of Honour, Great Minds of 21st Century、500 Diastinguished Professors, World Lifetime Achievement Award に推薦される。