私たちの教会では今月(2013年6月)1カ月を「祈りの月」として定め、祈りについて集中的に学び、実践する取り組みを行っています。そんな中、花巻のキリスト者・斎藤宗次郎の日記『二荊自叙伝』を読んでいて、次のような言葉を発見しました。
静思は人間誰人にも必要である。祈祷生活を送る人にも必要である。・・・予の如き繁劇の業務に鞅掌(おうしょう)する者は特に留意して日々に此静思の時を与えられねばならぬ。然らざれば自己の正当なる位置の自覚より遠ざかって進歩も向上も発達も止って仕舞うに至るものである。
宗次郎にとって「静思の時」とは、自らを顧み、神との関係を整えるひと時だったようです。新聞取次業と農業の両立で忙しい毎日を送っていた宗次郎ですが、その忙しさの中に埋没してしまわないために、静思の時の確保に努めました。
一つ感心させられることは、宗次郎が定期的に小旅行を行っていることです。
1921(大正10)年
8月19日 雫石
9月25日 平泉
10月31日 和賀仙人
花巻から電車を乗り継いでの小旅行を毎月決行し、夏から秋にかけて輝きを増す岩手の風景を楽しみました。
驚かされるのは、目にする風景を丁寧に書き記していることです。一つ一つの風景をしっかりと心に焼き付け、心に起きてきた印象を大切に書き留め、最後に創造主なる神を賛美することを忘れませんでした。
宗次郎が祈りを大切にしていたことは、娘に「多祈子」と名付けたところにもよく表されています。宗次郎が雫石に行った際には、帰りに盛岡で川徳呉服店に立ち寄り、多祈子のためにおみやげとして帯を買いました。
平泉を訪ねた際には中尊寺のおみやげ屋で絵葉書を買い、やはり多祈子に一筆記し投函しています。娘想いの宗次郎の一面がよく表されています。
このように宗次郎は定期的に自然の中に自らの身を放ち、創造主なる神の偉大さに触れ、家族に対する愛を養いました。そして翌日から心新たに、与えられた勤労と社会奉仕に励むのでした。
忙しい日常生活の中に埋没し、流され、自らの立ち位置を失いがちになる私にとって、なんと多くを教えられる生き方でしょうか。静思の時間の確保に努めながら、どこに小旅行に出掛けようかと、今思い巡らしています。
(『みずさわ便り』第98号・2013年6月16日より転載・一部編集)
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若井和生(わかい・かずお)
1968年、山形県生まれ。1992年より国立フィリピン大学アジアセンターに留学し、日比関係の歴史について調査する。現在、岩手県の水沢聖書バプテスト教会牧師。「3・11いわて教会ネットワーク」の一員として、被災地支援の働きを継続中。妻、8歳の息子と3人家族。