『岩手県謎解き散歩』(新人物文庫)という本を買ってきて今読んでいます。岩手を知るための入門書のような本です。この本の中で内村鑑三が花巻を訪ねた時のエピソードが紹介されてありうれしく思いました。
1903(明治36)年12月19日、内村はなぜ花巻までやってきたのか。それは内村が唱える「非戦論」に感動した内村の弟子・斎藤宗次郎が「軍備全廃、徴兵忌避、納税拒否」を花巻で宣言したからでした。
当時は日露戦争開戦のわずか2カ月前のころ。ロシアの脅威が盛んに叫ばれ、日本国内では知識人も大衆も「主戦論」で一色になりつつあった時です。そんな時代の中で宗次郎にとっては死刑も覚悟のうえでの宣言でした。
東京から急きょ花巻まで駆けつけた内村は、宗次郎に会うなり叱責します。「兵役、納税の問題については真理と真理の応用を混同するな」と。「よくぞ決心した」と褒めてもらえることを期待していた宗次郎は一瞬驚いたようでしたが、すぐに反省し「私が間違っておりました。もうあんなばかなことはいたしません」と答えたそうです。
内村の主張の中身はこうでした。兵役や納税を拒否せよとは聖書のどこにも書いていない。それは聖書の曲解だ。どんなにこの世の罪悪をなくそうと努力したところで、その原因たる人の罪を取り除かない限り、根本的な解決はない。だから私たちは人に自分の罪を悔い改めさせる十字架の福音を宣べ伝えるのだ。
この内村のメッセージはそこに集まっていた宗次郎をはじめとする花巻の信徒たちに深い感動を与えたようです。内村もまた感激にあふれました。
その後内村はその時の感激を詩に著しました。それが「十二月二十日の花巻」です。
外には雪は二尺余り
寒気は膚(はだえ)を擘(つんざ)く計り
北上の水は浩々(こうこう)と流れ
岩手の峰は隠々と聳(そび)ゆ内には同士(とも)は四十余り
歓喜は胸に溢るる計り
讃美の歌は洋々と揚り
感謝の声を咽々(えつえつ)と聞ゆ嗚呼美(うる)わしき此会合(あつまり)
聖霊(みたま)は奥羽の野に降れり
我儕(われら)は深雪(みゆき)の中に在りて
栄光(さかえ)の天国(みくに)に要る乎と思へり
天国がそこにあるかのような喜びにあふれる会合だったことが分かります。暗黒の時代の中にあって、どう生きるべきか。聖書の言葉が彼らに答えを与えました。雪に覆われた当時の花巻で、これだけ心燃やされる会合がもたれていたことを私たちは忘れるわけにはいきません。
(『みずさわ便り』第95号・2013年3月3日より転載・一部編集)
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若井和生(わかい・かずお)
1968年、山形県生まれ。1992年より国立フィリピン大学アジアセンターに留学し、日比関係の歴史について調査する。現在、岩手県の水沢聖書バプテスト教会牧師。「3・11いわて教会ネットワーク」の一員として、被災地支援の働きを継続中。妻、8歳の息子と3人家族。