今年(2012年)は、ハリストス正教会のニコライ神父が亡くなってちょうど100周年の年です。函館ハリストス正教会のロシア人司祭、東京の御茶ノ水にニコライ堂を建てた人と言えば、ニコライ神父のことを少しは分かってもらえるでしょうか。
私はこのニコライ神父について二つの点で注目しています。一つはニコライ神父が、日本の都市部だけではなく田舎でも伝道したという点。もう一つは、ニコライ神父が聖歌をとても大切にしたという点です。
まずニコライ神父は日本の田舎をこよなく愛し、田舎伝道に励みました。ニコライを通して回心に導かれた多くの弟子たちが、特に宮城から岩手にかけての農村部、漁村部を歩き回り、その結果、方々に教会や集会所が建てられました。
水沢や江刺にも正教会の教会が建てられましたが、特に盛んだったのは沿岸部の山田の教会で、一番盛んだった時の信徒数は230名を超えていたといわれています。
ニコライ神父についてもう一つ興味深いのは、ニコライが聖歌の指導に熱心だったという点です。方々の教会を訪ねては、聖歌の歌い方を厳しく指導しました。教会に誰も聖歌を歌える者がいない場合、信徒の一人を東京へ派遣し聖歌を覚えさせるよう、教会の信者たちを説得するほどでした。
ニコライにとって信仰と歌は決して切り離すことができないものでした。正教会の礼拝にとって聖歌は、礼拝の添え物ではなく、それは「権威ある説教」だったのです。聖歌の言葉をしっかり歌い、その言葉をしっかり聴けば、「海のようなキリスト教の教えが魂のように流れ込んでゆく」とニコライは考えていました。
ロシア人であったニコライは人間の持つ情感を非常に大切にした人でした。そしてその情感が、礼拝式の中で豊かに流れるように配慮しました。プロテスタントの教会は伝統的に、信条や倫理・道徳を大切にしてきたといわれています。その一方で、ニコライは、美しく喜ばしい礼拝への参加を大切にした人だったようです。
私たちの教会には残念ながら音楽の専門家はおりません。私たちの歌声は今のところ不揃いで、あまり上手なものではないと思います。しかし、そんな私たちでも礼拝における賛美を大切にしようと皆で話し合っています。先日は、神奈川県の教会から講師をお招きし、オルガン奏楽者の講習会、そして賛美の練習の時をもちました。
私たちも、賛美歌の言葉をしっかりと歌い、その言葉にしっかりと耳を傾けながら、心からの礼拝をささげていきたいと思います。海のようなキリストの教えが、魂のように流れ込んでくることを願いながら。
(『みずさわ便り』第87号・2012年7月1日より転載・一部編集)
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若井和生(わかい・かずお)
1968年、山形県生まれ。1992年より国立フィリピン大学アジアセンターに留学し、日比関係の歴史について調査する。現在、岩手県の水沢聖書バプテスト教会牧師。「3・11いわて教会ネットワーク」の一員として、被災地支援の働きを継続中。妻、8歳の息子と3人家族。