「『レズビアン』という生き方 キリスト教のなかで『性』や『愛』を考える」と題して、日本基督教団牧師の堀江有里さんの講演会(主催:日本聖公会正義と平和委員会ジェンダープロジェクト、日本聖公会女性に関する課題の担当者、共催:日本聖公会人権問題担当者、大阪教区宣教部社会宣教委員会、中部教区宣教局社会宣教部、京都教区宣教局社会部)が4月23日、大阪市の日本聖公会聖パウロ教会で行われた。
堀江さんは「信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会」(ECQA=Ecumenical for Queer Activism)代表として積極的な発信を行っており、「クィア神学」の研究者。『「レズビアン」という生き方―キリスト教の異性愛主義を問う』(2006年、新教出版社)などの著書がある。
堀江さんは1994年に日本基督教団で准允を受けた後、レズビアンであることをカミングアウトした。ECQAで同性愛者や性的少数者が安心して集まることのできる場づくりや、差別と闘うネットワークの拡充を目指し、学習会やピア・サポートを行う活動を続ける中で、レズビアンで生きる悩みを訴える人に多く出会った。中には、教会から追い出されたり、親にカミングアウトして、冬のさなかに家を追い出されたりした人もいたという。
レズビアンとは誰のことか
この日の講演は、「レズビアンとは何か」というテーマから始まった。堀江さんは、無任所牧師の傍ら、社会学とクィア神学、「レズビアンスタディーズ」を研究している。これは1960年代から70年代にかけて米国などで立ち上がってきた学問だが、その最大のトピックの一つは「レズビアンとは誰か」という議論であり、そもそも定義がとても難しいのだという。
一般社会の中で置かれている「男なるもの」「女なるもの」や、育っていく社会的文化的背景を考えたとき、簡単に「男」「女」という二つのカテゴリーに分けることはできないと、四つの概念から説明した。
<性を考えるための四つのキーワード>
① 生物学的性別(sex) 生まれたときに言い渡される性別/からだの性別
② 社会的・文化的性別(gender) 性別役割 女らしさ/男らしさ
③ 性自認(gender identity) 自分の性別に対する認識 女・男/女ではない・男ではない/どちらでもない
④ 性的指向(sexual orientation) 性的欲望の向く方向 同性愛/異性愛の対象(当日のレジュメから)
堀江さん自身のこと
堀江さん自身は、ジェンダー(社会的・文化的性別)は女性として生活しており、体の性別(sex)と心の性別が一致して生きている。それが自分にとっては「自然なこと」だと思い込んでいたが、「トランスジェンダーの友人に『あなたなんで自分の体と心の性別が一致しているの』と何度も問われてはっとした。それまで問われたことはなかった。なぜ一致しているのかは分かりません。理由もない、ただそうだったとしか言いようがないのです」と話す。
「その人は男性として生まれてきて自分は女性だと意識していて、男として産んだのになぜ女になりたがるの、と人生でずっと問い掛けられ続けてきたのだと思います。セクシュアル・マイノリティーの活動をしてきてよかったのは、自分では気付けなかったたくさんのことに気付けたことだったと思います」と堀江さんは語る。
④の「性的指向」は1960年代終盤に米国で広がっていった言葉だという。当時米国の多くの州で同性間の性行為は罪であり刑法の対象だったが、公民権運動やフェミニズムに影響を受け、“同性愛者も人権として語るべきだ”という運動が広がっていき、「性の向く方向性は自分で決められない。異性愛者も同性愛者も簡単に変えることはできない」という主張がされるようになった。この主張を背景として、日本語では「性的指向」という言葉が使われるようになったという。
また男女によってもだいぶ異なるという。統計はないが、ゲイ男性のほうが、圧倒的に自分がゲイだと認識する年齢が若く、レズビアンは比較的遅いという。これは、男性が育てられる中で、性に関する情報に多く接するのに対し、女性は「上品でなければならない。性については消極的でなければならない」というジェンダー規範があり、性的な在り方に自分でなかなか気付かない場合が多いことが理由と考えられているという。
またクリスチャン家庭かという要素も大きい。堀江さんは、「私は大学に入ってからクリスチャンになったので、クリスチャンホームで育った友人と違い、家や教会で『聖書で断罪』されてきた経験はほとんどありません。でも後に『同性愛者差別事件』が日本基督教団で起こり、その議論の中で何度も断罪を受けることになりました」と語った。
教会の中で
1994年、堀江さんが教会で働いていたとき、離婚したことで教会の女性会に来づらかったということを話した女性が何人もいたことが心に残ったという。同性愛者の置かれている状態は、「家族をつくるのが正しい」というところから外れたときの“生き難さ”としては共通するのではないかと考えさせられた、と堀江さんは話す。
「レズビアンとは何か、と問われたとき、それは“女であることの生き難さ”と不可分なのではないかと思います。社会的・経済的立場・労働・ライフスタイルと関わる問題です。レズビアンとして生きることは“女一人でも生きていける”というメッセージを携えて生きることだと私は思っています」
そこには「男」「女」と二つに分けた性別二元論の社会の中の権力関係がある。牧師も女性は圧倒的に少ない。日本基督教団では3分の1は女性牧師だが、多くは無任所教師や牧師の妻として権威を持たない弱い立場にある。
今、日本型雇用は崩壊したといわれているが、この雇用形態はもともと男性中心モデルであり、男性が“外”で賃労働に従事し、生涯のための「家族賃金」を得て、女性は“内”で生活を家事(無償労働)で支えるという構造を前提としている。年金改革でも80年代に第三号被扶養者として、サラリーマン男性と専業・兼業主婦モデルが優遇されるようになり、国がそれを優遇してきた。
レズビアンとして生きることは、女が稼いで食べていくことが困難な中で、経済的・文化的・制度的に阻害され、「周縁化」される存在として生きざるを得ないことだと、堀江さんは語る。
さらに、「過剰に意味が付与されるしんどさがある」と堀江さんは指摘する。例えば、ポルノグラフィーのイメージを連想されることがある。しかし、それは異性愛男性による異性愛男性のための娯楽として性的に意味を過剰に付与された存在であり、「そこに連想される『性的な』イメージを重ねられることへの恐怖が今でもあります」と堀江さんは述べ、「レズビアンとして生きることは『周縁化』され『過剰に意味が付与される』中で『引き裂かれる自己』を生きることなのです」と語った。
近年の変化と「ダイバーシティ(多様性)」称揚の罠
近年、一見状況は変わったようにも見えるという。例えば元タカラジェンヌとその女性パートナーがカップルとしてカミングアウトしたことが注目を集め、渋谷区では全国初の「同性パートナーシップ証明」の行政による発行(渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例)が開始されたことが大きく報道された。同様の証明書発行は、世田谷区、伊賀市(三重県)でも開始されており、さらに宝塚市、那覇市、横浜市が準備中とされている。
しかし、堀江さんは、このようなパートナーシップ証明のみが注目される動きには批判的だという。渋谷区の条例で「性的少数者の人権の尊重・差別禁止」が盛り込まれたことは確かに画期的だが、実際には運用規定がまだない。また、同性パートナーシップ証明の発行を申請するためには、カップルは多額の費用をかけて公正証書を作らなければならず、法的な保証があるわけではない。
一方で渋谷区では、ナイキに宮下公園のネーミングライツ(命名権)を売り、公園から野宿者を排除、夜間閉鎖し、炊き出し団体を排除する施策が推進されてきたという。
堀江さんは言う。「渋谷区の施策では、同性愛者の人権は尊重するとしながら、野宿者は排除する。二つの人権の間に齟齬(そご)があります。野宿者排除の問題は、生存に関わる問題です。そのような中で両者は『分断』されていく状況が起きています」
「この施策を進めた渋谷区の長谷部健議員(現区長)は『これは人権問題ではなく、ダイバーシティ(多様性)の問題だ』とインタビューで答えています。でも、“多様性”という言葉が使われるとき、よく考える必要があるのではないでしょうか」と堀江さんは問題を提起した。
「ダイバーシティという言葉が使われるときに『良き市民』『悪い市民』の線引きがなされ、消費活動や他の人に役に立つ生き方をする人は『多様な性』として称揚されるが、社会的に役に立たないと思われている人は切り捨てられていく中でのダイバーシティとなってはいないでしょうか。2020年の東京オリンピックに向け、東京でも大阪でも京都でも、街の『浄化』として野宿者排除が進められています。オリンピック憲章には『性による差別を禁止する』という項目があります。ここには『グローバル・スタンダード』になりつつある『性の多様性』のみが称揚されています。米国でも富裕層の同性婚は称揚されるが、貧困層への支援やトランスジェンダーに関する補助金は削減され、セクシュアル・マイノリティーの中でも分断が行われているという現実があります」
「ダイバーシティという耳触りの良い言葉が、実は『グローバル化』『経済至上主義』の中で線引きされて、都合良く使われていないか」と堀江さんは批判した。
(1)(2)