リンカーンの聖書と母からもらった聖書
現在、日本時間では21日の深夜3時ごろである。
トランプ新大統領が誕生して小一時間時がたっている。全世界から注目を集めた第45代米国大統領の就任式をリアルタイムで見て、そこから垣間見えることを幾つか列挙したい。もちろん新政権はこれから逐次新たな展開を提示するだろうから、全てが予見できるわけではない。しかし、少なくともトランプ大統領の発言からつかみ取ることができたことを述べてみたいと思う。
まず、就任式前から話題となっていたことだが、大統領はリンカーンの聖書とお母さんからもらった聖書、この2冊の上に手を置いて宣誓をした。そして副大統領のペンス氏はレーガン大統領の聖書の上に手を置いた。これにはいろんな意味があるが、両者に共通しているのは、「強いリーダーシップを取っていく」という決意の表れであろう。
ご存じの通り、リンカーンは南北戦争を終結させ、奴隷解放を成し遂げた偉大なリーダーとしてアイコン化されている。そしてレーガンは1980年代に強い米国を内外に体現してみせた、近年で最も人気の高い大統領である。さらにトランプ大統領がお母さんからもらった聖書に手を置いたというのも、古き良き米国人の伝統を遵守(じゅんしゅ)している姿を演出しているのだろう。
これからのトランプ政権は、激しく反対する勢力をなだめ、米国の「共通の未来」を共に手を携えて構築していくことが求められる。だからリンカーンとレーガン、そして母親が透けて見えるようにしたのだろう。なかなか考えたな、と思う。
忘れ去られていた人は
トランプ大統領は、就任演説冒頭で「ワシントンから権限を取り上げ、皆さんに譲渡した」と述べた。さらに「エスタブリッシュメントから、皆さんは勝利した」と宣言し、自分が名もなき市井の人々に選ばれたことを訴えた。そこには「傲慢(ごうまん)な暴れん坊」ではなく、これからは「強い指導者」となっていくという意欲が垣間見えた。
冒頭からこのように述べることで、米国の総意で自分は選ばれたのだ、とあらためて強調したかったのだろう。そうしなければならないほど、彼の周囲にはいつも物騒な話題ばかりだ。暗殺とまではいかないが、暴動やデモが就任式のすぐそばで起こっていたし、就任式に欠席する議員も数十人単位でいたほどだ。
さらに彼は「忘れ去られていた人は、もうこれから忘れられたままであることはない」と弱者へ眼差しを向ける。「国家は市民のためにあるのだ」と高らかに宣言し、それがないがしろにされてきた今までの政治を「もう終わった」と言い放つ。畳み掛けるように、今までの政治が生み出したもの、解決できなかったものを具体的に挙げる。「貧困」「不十分な教育、雇用機会」「麻薬」「ギャング」「テロリズム」などである。
そして、分断されつつある米国ではなく、亀裂の修復を目指す「新しいアメリカ」が宣言された。米国大統領のお決まりの文句「1つの国家(ワン・ネイション)」が飛び出し、そのために自分は今、宣誓したのだ、と述べた。ここでトランプ支持者は歓声を上げた。
アメリカファースト
自分がどうして選ばれたのか、そして支持してくれた人々が何を求めているか、その辺りを、具体例を挙げながら誰にでも分かるように明確にしたという意味では、ポピュリズム的色合いが強く出ているといえる。さらに続く部分では、産業や防衛問題にも言及し、「米国は今までの他国の利益、国境を守ってきた」、しかしこれからは「アメリカファースト(米国第一主義)」であると2回繰り返して、自らの色を強調した。おそらくこの言葉にメディアは飛びつくだろう。それほどキャッチーである。
「アメリカの豊かさ、強さがはるかかなたへ遠ざかってしまった」「中間層の利権が失われてしまった」と述べ、米国の利権をきちんと守りつつ、その在り方を堅持することを宣言したところなど、お行儀のよい姿勢を見せているが、その本質はいつもの自分だぞ、というアピールにもなっていた。
詩編133編「見よ、兄弟が共に座っている」
演説の後半、トランプ大統領は聖書の一節を用いた。
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩編133:1)
そして、このように一致団結する姿を神が祝福し、守ってくれるのだと語ったとき、式に集まっていた人々が一番大きな歓声を上げていた。
さらにこの後、まるでキング牧師がワシントン大行進の時に語った「私には夢がある」という演説をなぞらえたような文言が飛び出してきた。
「子どもたちは、黒人であっても白人であっても、そして他の人種であっても、またどんな境遇で生まれようとも、同じ夢を見ることができ、創造主から同じ命が吹き込まれていることを実感する時が必ず来る」
米国に関して、多くのメディアは「分断」という言葉で現状を表現しようとしている。その言葉をそのまま信用していいのかについて議論はある。トランプ大統領の演説を聞いていて、彼が用いた表現、文言は、彼のオリジナルというよりも、むしろマスコミによって生み出された言葉(「エスタブリッシュメントから権限を奪う」「国境を守る」「中間層の利権」「政治家を信用しない」など)を巧みに用いることで、人々を自分の世界観に引き込むことを狙ったような印象を受けた。
つまり、今までのような具体的な攻撃や不快感をあらわにするやり方ではなく、マスコミによって人々の間をかしましく飛び交っている「トランプ語録」の数々を、逆に本人が巧みに駆使することで、これからも人々の関心を引っ張り続ける戦法の一端を披露したように感じられたということである。
就任演説で語られたこれらの語録にとらわれず、その趣旨をつかみ取ろうとするなら、彼は人々に対して一致を説いているし、期待を持ってほしいと訴えている。これは従来の大統領たちが就任演説の時に普通に行ってきたことであり、何も珍しいことではない。ご丁寧に聖書の一節を用いながら訴えていることは、「さあ、手を取り合って強いアメリカを再現しましょう」ということである。そこに皆が聞きたかった「トランプ語録」をちりばめることで、彼らしさを演出することも忘れていない。
全世界が、自分に対して抱いているイメージを逆に利用しながら、彼は従来の大統領と同じ路線へと静かにゆっくりと舵を切ろうとしているのかもしれない。その目指すところがリンカーンなのか、キング牧師なのか、それともペンス副大統領が用いた聖書の持ち主、レーガンのようになるのか。これは、今後を見守らなければならないことだろう。
私個人としては、トランプ劇場の新幕は、観客を魅了するに足るエンタメショーとして及第であったろうと思う。さあ、米国の新たな一歩が始まった!
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