高橋三郎・島崎暉久共著『仰瞻・沖縄・無教会』(1997年、証言社)への応答
(2)無教会はどこへ行くのか
② いかに
本論考が第二論考から1カ月以内に記されている事実、また、本論考の後半は第二論考の内容が語られた講演会を中心に、講演会前日と翌日の経験の報告であることからも、両論考が密接に関係していることは明らかです。それで、以下に再述する第二論考が「いかに」記されていたかの諸点、
・沖縄と本土の対比
・要約と問い――他者との対話と自己との対話――
・「聖書を」と「聖書で」
・具体的――事実認識の課題――
これら4点のすべては、この第三論考が「いかに」展開されているかを考察する場合にも、当然前提とされ、本来は十分考察されるべきです。ここではその余裕がないと限界を認めた上で、本論考そのものの特徴と重なる2点に限り、「いかに」を問いたいのです。
(イ)「日頃」と沖縄での3日間
本論考の第一行、「この標題で今回の沖縄内村鑑三記念講演に関連して感じたことを述べておきたい」(67ページ)は、細心の注意を払うべき文章です。「この標題」とは、ほかならない「無教会はどこに行くのか」です。「今回の沖縄内村鑑三記念講演会」、そこで語られたのは、「沖縄からの叫び」の講話であり、その講話に加筆し整理したのが、第二論考です。
鍵となるのは、「講演会に関連して感じた」と言われている「関連」の意味です。
第一行目に続き、「まず、日本の各地で行われている内村鑑三記念講演会について日頃思っていること」(67ページ)を、以下76ページまでの本論考前半で展開しています。その内容は、本来の無教会と現実の無教会のずれを直視し、日頃思索し続けている事柄を具体的に内村鑑三記念講演会に焦点を合わせ、文章化したものです。
後半76ページ以下は、1996年6月16日の講演会を挟んで、6月15日から17日まで、3日間の沖縄訪問の要約的報告です。そこには講演会の様子と共に、「沖縄戦当時の罪」と「戦後五十一年の罪」(88ページ)を告発するガマ(壕)での経験を記します。
前半と後半、その全体を一貫した論考となるように結ぶもの、かすがいの役割を果たすのは、「そう思っているところへ講演の依頼を受けた」(76ページ)事実の記述です。講師として「ふさわしくないことを自覚したが、しかし本土の罪を双肩に負って苦しむ沖縄からの依頼であったので、『そうだ、いま謝罪に行かなければならない』という思いに満たされ、引き受けた」(76ページ)とある、罪と謝罪をめぐる決断です。
さらに、この罪と謝罪をめぐる自分自身の持ち場での掘り下げこそ、「沖縄からの叫び」と「無教会はどこへ行くのか」、2つの論考を結ぶものです。日頃、無教会の罪を直視し、謝罪、ざんげする中から、「沖縄からの叫び」は語られているのです。
また、沖縄での3日間の経験、特に日本本土の二重の罪を告発するガマ(壕)に身を置く経験に基づき、「無教会はどこへ行くのか」は刻まれています。沖縄と無教会、この場所で、この共同体で直面するのは、罪、個人の罪ばかりでなく、「国家、社会、そしてエクレシアの罪」(73ページ)なのです。謝罪・ざんげへの促しです。
以上の点を、時の流れと文章化の課題を中心に図式化してみます。
日頃の思い(67ページ)
A II
書斎で書物(証言集)(87ページ)
↓
B 講演 Aに基づく。聴衆との出会い
+
C ガマ(壕)の経験(84~88ページ)
↓
D「沖縄からの叫び」 Bを、Cを中心に3日間の経験に基づき加筆し整理
↓
E「無教会はどこへ行くのか」 A、B、Cを対象・内容にDの文章化を経て、それを踏まえて文章化
(ロ)内村鑑三と無教会
本論考は、1996年6月15日の沖縄内村鑑三記念講演会を直接の引き金として書き記されたものであり、表題が「無教会はどこへ行くのか」であることからも、当然、内村鑑三や無教会に集中して論を展開します。しかし注意すべきは、内村鑑三と無教会をどのような関係で取り上げ、本来の無教会と現実の無教会をどのように位置づけ、理解し、課題に切り込むかなのです。
(a)現実の無教会
まず、現実の無教会の姿を示すものとして、毎年内村鑑三記念講演会が日本各地で行われている現状を直視します。「どうしてこういうことが起こるか」(67ページ)と、現象の根底まで掘り下げ、「いまの無教会は自足している人たちの集団になっているのではないか」(73ページ)、「最近の無教会は、歴史への接続という重要問題を無視している」(74ページ)のではないかと危惧の思いを明らかにします。
「いま」「世界」から自らを切り離し、「課せられた世界史的使命を見失い、セクト」(74ページ)と化したのではないかと自問します。「内村を無教会キリスト教の開祖とみ」「無教会キリスト教の創始者とみ」(75ページ)、「開祖が切り開いた新しいキリスト教への絶対的信奉によって成立している」(75ページ)とすれば、それはセクトに外ならないと恐れます。
(b)本来の無教会
しかし、現実の無教会の実体を明らかにするだけではなく、本来の無教会の在り方に深い感謝を抱き、そこに立つべき場を見いだすのです。記念講演会についても、「講壇に立った諸先生は、猛勉強と御霊の力によって、国の内外から押し寄せる異端的新思想に対する防波堤を築いてくださった」(69ページ)と感謝します。「ひたすら御霊の導きを信じ、一人ひとりを全き自由の中へ放置する無教会。私はこのような無教会が好きで好きでたまらない」(70ページ)とさえ言い切ります。
無教会に「あるのはただ一つ、御霊に従おうとする心。御霊の声を聞く耳」(70ページ)だけであり、「聖書を虚心に精読した内村の弟子たちは、各自の主体的な決断によって、内村と同じ信仰に導かれた。彼らはみな、主体的な決断によって、使徒信条の信仰を告白した」(70ページ)と的確に描き、「それはそれはみごとな一致であった。御霊の導きによる一致であった」(71ページ)と、教会の公同性、公同の教会を信じ生きる群れ、セクトと鋭く対比される群れの姿に心熱くするのです。
さらに、「無教会とは何か。それは、自己を神とする精神に対する根源的プロテスト」(73ページ)と指摘します。この本来の無教会の姿を見失わないゆえに、現実の無教会の姿、そのゆがみを見抜くことができるのです。現実の無教会の姿を鋭く指摘する悲しみの心と、本来の無教会の姿を描く熱き心は1つです。
(c)内村鑑三自身
さらに、記念している無教会だけではなく、記念されている内村鑑三自身へと、源をたどるのです。「内村は福音の原点への復帰をめざしつつ、あくまでも神の民の一人として生きることを重視した。つまり内村は教会史への接続を重視した」(74ページ)と、内村鑑三に留まるのではなく、さらに内村鑑三自身が探求し続け、重んじ続けた、さらなる本源を目指す道を進むのです。
(d)1つの出会い
実に興味深いことがあります。前述した、細心の注意を払うべき本論考の一行目に引き続き、「日本の各地で行われている内村鑑三記念講演会について日頃思っていること」(67ページ)について論を展開しています。その論が、「そう思っているところへ講演の依頼を受けた」(76ページ)ことの記述から、沖縄への謝罪旅行への報告に移行(76ページ以下)します。
報告の中心である6月16日の沖縄内村鑑三先生記念キリスト教講演会の様子を伝えた後、「以上私は、沖縄内村鑑三先生キリスト教講演会について述べたが」(82ページ)と、今まで述べてきたことの全体を見通しています。「以上」という表現が指示しているのは、直接的には76ページ以下の謝罪旅行、特に、「ここでこの時感じたことを記しておきたい」(77ページ)以下の講演会をめぐる記述です。
ところが、本論考の一行目、「この表題で今回の沖縄内村鑑三記念講演会に関連して感じたことを述べたい」(67ページ)が生きて、「以上」は、67ページ以下全体を指すことになります。
つまり、現実の無教会、本来の無教会、内村鑑三自身についての記述(67~76ページ)も、沖縄内村鑑三先生記念キリスト教講演会について述べた事柄(「関連して感じたこと」)になります。6月16日の講演会、これを主催した小さな那覇聖書研究会の群れ、この現実の無教会の群れにおいて本来の無教会を見る貴重な経験、希望の無教会に出会う喜びの経験をなしたのです。この喜びが、興味深い文章構成を生み出す原動力となっていると見たいのです。
では、貴重な経験、喜びの出会いの内容は。それは小さな那覇聖研、無教会の群れが主催した講演会の「参加者の中に教会の方がたくさんいた」(80ページ)ことです。その事実の意味を、「那覇聖研が神の民として、教会と共に生きていることを意味する。沖縄無教会は、教会に接続している」(80ページ)と判断するのです。
また、「ほんとうに驚いたことは、教会信者の方が無教会信者よりも内村鑑三を深く理解しているということだ。内村鑑三に対する深い感謝を述べたのは教会の方であった」(80ページ)、「教会の方は、内村の信仰の内容を深く理解していた」(81ページ)と繰り返し指摘しています。
しかし内村鑑三を理解し、感謝するからといっても、無教会になるのではないのです。これは当然なことです。前述の本来の無教会の姿として描かれた一つ一つのことは、本来の教会の姿でもあるからです。本来の無教会の姿を描く一つ一つについて、「無教会」の代わりに、「教会」と言っても何ら違和感はないのです。
たとえば、現実の無教会と同様、現実の教会はどうであれ、本来の教会は、「御霊に従おうとする心」「聖書を虚心に精読」する群れなのです。そこに希望の教会の姿を見るのです。
内村鑑三を理解し、感謝する。それは、内村鑑三が全生活と全生涯をもって指し示すお方を同じく全生活・全生涯をもって仰ぎ望み、仰ぎ信じたいと切望するからなのです。
■『仰瞻・沖縄・無教会』への応答:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
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