青梅キリスト教会を離れる決心をし、キリスト教学園での生活の準備を完了した時点で、思いもよらぬ方の思いもよらぬ言動が明らかになり、私たちは退くことも進むこともできない、行く所のない状態になりました。
そうした中で、当時の学園理事長の安藤仲市先生の心のこもったお言葉に従うことなく、他に行く所がない思いで向かった沖縄。そこで学んだことの1つは、日本クリスチャンカレッジ時代身に着けた学びの方法の継続です。そうです。1冊の本をゆっくり読みながら、自分なりの思索を重ね、その営みを書き表し対話を重ねることです。
その実例の1つが、高橋三郎・島崎暉久共著『仰瞻(ぎょうせん)・沖縄・無教会』(1997年、証言社)です。
『仰瞻・沖縄・無教会』への応答
1. 序
本書は、高橋三郎先生と島崎暉久先生の特別な意味での共著です。内容・構成は、以下の通り。
一 序 島崎暉久先生
二 回顧と仰瞻 高橋三郎
元々『十字架の言』一九九七年四月号所載
三 沖縄からの叫び 島崎暉久
元々『証言』一九九六年七月・八月号所載
同年六月十六日、沖縄の宜野湾セミナーハウスで開かれた内村鑑三先生記念キリスト教講演会での講話に加筆し整理なされたもの。
四 無教会はどこへ行くのか 島崎暉久
元々『証言』一九九六年九月号所載
五 あとがき 島崎暉久
全体で92ページの、量的には決して大きな本とはいえないものです。筆者は、1986年4月沖縄に移住以来、「十字架の言」の読書会に参加、以前は個人的に読んでいた「十字架の言」を、読書会の皆さんと一緒に味読するようになりました。
また、内村鑑三先生記念キリスト教講演会にも、特別な事情のない限り毎年出席させていただいており、「沖縄からの叫び」の講演も直接お聞きし、間もなくご恵送いただいた「証言」誌上で文章として読み、今回本書の一部として再度味わうことを許されました。
このような背景の中で、「序」の島崎先生の言葉を手引きに、現に沖縄に住む1人の人間、キリスト者、いわゆる福音派(聖書信仰を強調する保守的プロテスタント)と呼ばれる教会の牧師として、本書を感謝して読ませていただきましたので、小さな応答をなしたいのです。
第一に、本書の各論考で何が、いかに、なぜ書かれているか聴き取りたいのです。次に、本書の各論考の内容から、特に示唆される課題をめぐり、以下の3つの点に限り、応答したいのです。
①「ひたすら十字架の主を仰ぎ見」る――聖書とキリスト――
② 沖縄、地理的センス
③ 無教会、聖書の契約構造に見る神の民の位置――聖なる公同の教会――
そして最後に、高橋三郎先生と島崎暉久先生への感謝を、「心を開く」(Ⅱコリント7章2節)を中心に、以下読み取りを進め、応答をなしていく過程で、序に見る、島崎先生の「この本を読む順序」(1ページ)についての助言に従いたいのです。
第一論考「回顧と仰瞻」を重い思想を提出するもの、「沖縄からの叫び」を事実を明らかにする論考として、まず後者から読み、「無教会はどこへ行くのか」に進み、最後に「回顧と仰瞻」へ戻り、その重い内容を理解し追体験するようにとの勧めです。この勧めは、思想と事実、思想と実践、読むことと生きることとの関係をめぐる大切な指摘です。
本書全体を通じて、細心の注意を払い読み進めたいと意識した点の1つは、「しかし」「それにもかかわらず」など、どんな聖書辞典、神学辞典にも登場しない平凡な用語についてです。このような接続詞、関係副詞などこそ、本書味読の鍵と思われます。
たとえば、序文の最後、「すると当然人は、無教会とは何かを問うのだが、その本質は端的に本書の第一論考に語り尽くされていると私は思う。それは一言で、『ひたすら十字架の主を仰ぎ見』ることにほかならない。しかしこの思想を文字通り実践することは大変むずかしい。それにもかかわらずこの一点に立ち切って前進を開始するならば、われわれの前に横たわる諸問題は徐々に解決されて行くであろう。そして全世界はやがて、希望と平安に満たされるであろう」(3ページ、アンダーライン、筆者)
日常用語で親しみやすい表現が、論理展開を明らかにする上で的確に用いられている点、印象的です(参照:沢田允茂著『論理と思想構造』講談社学術文庫、47ページ以下)
2. 何が、いかに、なぜ
(1)「沖縄からの叫び」
① 何が
(イ)沖縄の状況
講話は、「激動の沖縄へお招きいただきましたことを感謝申しあげます」(12ページ)とのあいさつで始まります。1995年9月4日の事件以来の沖縄の状況を、太田知事の意見、発言を要約し提示。知事の発言は、「安保条約は日本の主権を侵害するものだ。と主張」(16ページ)していると読み取ります。
(ロ)沖縄内村鑑三記念講演会
その上、「ルポ沖縄の米国基地」(17、18ページ)を通し、「基地の中はいまでも戦場さながら」「2万6000人に及ぶ駐留米軍が日夜戦争の準備をしている」事実を知り、「がく然とし」たことを述べ、「そういうわけで、『基地の中に沖縄がある』というような状態がつづく限り、沖縄内村鑑三記念講演会では必ず、戦争のことが語られなければならない」(18ページ)と、はっきりした導きを受けた事実を明らかにします。
そして、戦争を語るのは、「ざんげのため」(19ページ)なのです。この明確な目的のため、各種資料を用い、戦争について論及していきます(24ページ以下)。その中心は、証言「沖縄は日本兵に何をされたか」からの紹介(31~48ページ)です。
証言のすべてを紹介すると、「約五時間は読みつづけなればならないので、これらの証言の中から一部を紹介したします」(32ページ)との前置きで朗読し始められた証言。それは、講演会の会場に低く高く響きとなり、一同の心を打ちました。
この一部の証言からも分かることとして、以下の点を特に、
① 「日本兵は沖縄の住民を同じ日本人とはみなさなかった」(48ページ)
② 「朝鮮人に対する日本兵の態度はもっと残酷」(48ページ)
③ 「日本兵は人間か、高貴な人間か、万物の霊長か」(49ページ)「ブタ同様に虐殺したり、牛馬のごとくこきつかう日本兵こそがブタであります。いや、ブタ以下です。ブタならこういうことはしません」(50ページ)
(ハ)戦後日本の罪、戦後日本の教会の罪
この痛烈な指弾に基づき、「なぜか。どうしてか。どうして人間はブタ以下になるのか」(50ページ)と中心的で根源的な問いに焦点を合わせ、沖縄戦から戦後史、戦中から戦後に生かされる教会の課題を直視します(52~63ページ)。そこに浮かび上がるのは、「その人の後の状態は前よりも悪くなる」(ルカ11章26節)と指摘される戦後日本の罪(59ページ)であり、日本の教会の罪なのです。
(ニ)ざんげ、謝罪
1996年6月16日、沖縄にあって、講演者島崎暉久先生は明言します。
「私は沖縄にきて、つくづく思います。兄なる教会は沖縄の教会とその信徒たちを見棄てた。卑劣なことをしました。なんといっても教会は、日本の国体を神とするという罪を犯しました。第一戒を破るという大罪を犯しました」(66ページ)。この歴史的事実を聖書の証言(ルカ8章32節以下。20、21、50、51、55ページ、ルカ11章24節以下、59ページ)を通して見、「キリストの体なる教会は、悪霊の力の前に打ち倒されてしまった。教会はもはやキリストの体ではなくなった」(66ページ)と受け止め、「この事実を前にして、私は教会が犯した大罪を思い、灰をかぶり衣を裂きます。教会の罪をざんげします。父祖の罪をざんげします。それは、教会に対する弟なる無教会の愛であり、答責だからです」(66ページ)と、悪霊からの解き放ちの道、「イエスを中心に迎え容れる。各個人に関して言えば、古き自己に死に、イエスに自己の主権を明け渡す」(59ページ)道を、ひたすら進むのです。
② いかに
何が語られているか・主題と共に、それがいかに語られているか、展開に注目する必要があります。「いかに」について意を注がずして、何が語られたか真に受け止めることは極めて困難です。
この点について、本論考中にも、1つの恐ろしい実例を指摘しています。「日本軍がアジアの国々に侵略し、約二〇〇〇万もの人々を殺した」(25ページ)事実をめぐり、「二〇〇〇万という数字が突きつけられたとき、殺した罪の重さに震え上がらない人は一人もいないはずです。いや、震え上がらない人がいるかもしれません。なぜか。なぜ震え上がらないのか」(25、26ページ)と突き詰めている課題で、「それは、数字だけを無感動に眺めているからではないか。二〇〇〇万人をどんな風に殺したか、これを知れば、先祖が犯した罪の重さにたじろがない者は一人もいまい」(26ページ、アンダーライン、筆者)と、真の認識について示唆しています。
そして、1994年の「世界」2月号、「白書・日本の戦争責任」で、「戦争学者たちは、日本軍がどんな風にして(アンダーライン、筆者)アジアの人を殺したかを明らかにし」(2~6ページ)ていると判断します。この「どんな風に」の重要性が、「いかに」展開されているかをたどり、主題を真に認識したいという願いに通じるものです。
(イ)沖縄と本土の対比
講演者島崎先生は、「激動の沖縄へお招きいただいた」(12ページ)本土の人間です。ですから、沖縄で語りながら、ごく自然に沖縄と本土からの視点が二重写しになるのは当然です。しかし本講演では、自然にというだけでなく、意図的に沖縄と本土を対比させています。
例えば、「米国基地問題は沖縄だけの問題ではありません。基地は本土にもたくさんあります」と沖縄と本土の基地をめぐる共通点をあげ、「しかし本土の自治体は、米軍基地に対して反対の声をあげません」(13ページ)と、「政府の防衛政策に反旗をひるがえ」(12ページ)す沖縄の太田知事と対比させ、「なぜか」と問い、本土の場合、「県民の圧倒的数が政府の基地問題に無関心」「仕方がない、どうでもよいとあきらめていますから、自治体は政府の防衛政策と戦う必要」(13ページ)がないと指摘します。
その本土との対比で、「しかし沖縄の場合にはそうではありません。県民が米軍基地問題に重大な関心を示し、闘いを展開しますから、自治体をも共に闘います」(13ページ、アンダーライン、筆者)と、沖縄と本土の自治体の対処の違い、その根拠・理由を掘り下げていきます。沖縄と本土の2つの視点から見るのです(参照:内村鑑三、「楕円の話」、『内村鑑三全集』32巻、207~212ページ)。
さらに注目すべき実例があります。沖縄県民の証言集から証言(32~48ページ)を、聖書の証言(ルカ8章32節以下)を通し傾聴し、「悪霊に取りつかれた日本軍は、沖縄全土を痛みと悲しみで満たしてしまいました」(51ページ)と結び、その直後に、「ここで本土の全国民に訴えます」と本土の人々を直視します。
「どうですか。沖縄全土を満たした悲しみが見えますか。聞こえますか。まず、この沖縄で死んだ約十一万の兵士の叫びが聞こえますか。そして自決したり、殺されたりした沖縄県民二十万の叫びが」(52ページ)と迫ります。
これは一見奇妙に思われる、注目すべき発言です。1996年6月16日、宜野湾セミナーハウスで行われた内村鑑三記念講演会の聴衆は、その大部分が沖縄県民であり、限られた人数の者でした。当日の講話で、「ここで本土の全国民に訴えます」との発言が実際になされたかどうか、筆者の記憶にはありません。「講話に加筆し整理したもの」(12ページ)としての、「証言」誌、1996年7月・8月号(講演会後、驚くべき短期間に文書として公開)に記載された文章では、その読者の大部分は本土の人間であると思われ、新しい文脈で読まれることを意図したはずです。
さらに今回、明確な意図で、高橋三郎先生との共著として編まれた、1997年8月1日発行の本書において、なお新しく広がる文脈で、「ここで本土の全国民に訴えます」と語り掛けられている事実を見ます。
あの時、あの場で、「私は、沖縄にきて、つくづく思います」(66ページ)と真に沖縄に立ち、沖縄に聞かんとした著者。沖縄と本土の違いを誠実に対比させた故に、その対比を越え、普遍的な言葉を語り得ているのです(参照:福音書の記述における、元来の歴史的背景と最初の福音書の読み手の歴史的背景の違いと、それを越えて語られるメッセージの普遍性、それ故にさらに世紀の隔たりを越え、現在の読み手にもその歴史的背景に生かされる者に生きたメッセージとして語り掛ける事実)。
(ロ)要約と問い――他者との対話、自己との対話――
他者に耳を傾け、対話を重ねる中で、相手の主張を要約することは不可欠です。著者が他者の発言について的確な要約をなしつつ、論を進めている点が目立ちます。
例えば、1996年1月30日、沖縄県が提示した米軍基地問題に関する素案「基地返還アクションプログラム」について、「この素案の特徴の第一は、二〇一五年までに県内にある米軍基地の全面返還を求める」「つぎに、日常生活の上での損害補償や賠償問題を提案」「最後に、沖縄をアジアの国際都市の主力にしようという構想を提示」(14ページ)と要約します。
さらに、沖縄県の太田知事が県民を代表し、さまざまな場所で述べている意見を要約して(14~16ページ)、「まず氏は基地の弊害を述べます」(15ページ)、「つぎに氏は、沖縄の基地問題は安保条約と密接にかかわっていることを指摘」(15ページ)、「そして最後に氏は、日本の主権、日本の民主主義の問題に論及します。沖縄の基地問題は、憲法が国民に保障する財産権や平和的生存権などの基本的人権の問題・・・」(16ページ)とまとめ、「以上が要約ですが、知事の発言を注意深く読めば、安保条約は日本の主権を侵害するものだ、と主張しています」(16ページ)と、知事の発言を注意深く読み、知事の意図・真意を洞察しようと努めます。
何よりも、32ページから48ページに及ぶ、幾人もの方々の沖縄戦の証言に基づき、「以上の証言からでも分かること」(48ページ)として、「まず、・・・日本兵は沖縄の住民を同じ日本人とはみなさなかった」(48ページ)、「つぎに、朝鮮人に対する日本兵の態度はもっと残酷」(48ページ)と要約し、「それではどうか。日本兵は人間か。高貴な人間か。万物の霊長か」(49ページ)と問います。
他者との対話と同時に、自己との対話・自ら問うことにより、論を進め、展開している事実も注目すべきです。次々と問い、課題を深く掘り下げていきます。
例えば、「太田知事はどうしてこれほど大胆な発言ができるのか」(17ページ)、ルカ伝8章32節以下の「記事をわが国が行った侵略戦争に応用するに当たって、豚とは何か、という問いを提示」(21、24ページ)。「なぜ人間は豚以下になるのか」(28、50ページ)と、問いを深めます。
このように問いを重ね、直面する課題を掘り下げながら、重要な1つの問いに到達します。「ここで一つの問いが生まれます。この父祖の罪の血から救い出される方法はあるのか。これは重大な問いです。これ以上に重要な問いはありません」(53ページ)。この重大な問いとの関わりで、「沖縄のこの信じられないような出来事はなぜ、どうして起こったのか」(53ページ)と問います。
さらにルカ11章24節以下をめぐり、「美しく整えた家を悪霊に占拠されないためにはどうしたらよいのか」(59ページ)、「キリスト者とは何か」(61ページ)、「するとここで無教会集会(エクレシア)はどうか」(64ページ)など、問い・求めの役割は、決定的に重要です(マタイ7章8節)。
(ハ)「聖書を」と「聖書で」
「問い」を自ら発し、その自問を手掛かりに論理を展開し、課題を掘り下げる途上で、決定的な役割を果たすのは、問いに答える聖書の証言に聴従する一事です。
単に聖書に何が、いかに書かれているかだけではなく、聖書記者が、なぜこのことをこのように記するのか、聖書テキストの下に立ち(アンダースタンド、理解)ながら、聖書記者の執筆目的に深く入り、聖書記者の心の奧深く沈潜、そこから自らの問いに直面している課題を見るのです。いかに、聖書を読み聴くばかりでなく、聖書で・聖書を通し、ものを見、歴史を理解する、これが島崎先生が講演で求め示している、聖書の読み方と受け止めます(参照:内村鑑三の場合、18ページ)。
例えば、「戦争体験のない島崎がどうしてざんげしなければならないのか」(19ページ)、との問いを予想し、戦争体験のない者、戦争を知らない者には戦争を語る資格はないとの声を聞く中で、「これまで、戦争についての発言はできるだけ慎んできた」(18ページ)者として、ネヘミヤ記9章2節に聞き入り、ネヘミヤ記9章2節を通し、問いに光を当て、直面している課題を見、解釈するのです。
「イスラエルの子孫は、立って自分の罪と先祖の不義とをざんげした」と、「すべての異邦人を離れ」との部分をあえて除いて引用し(19ページ)、中心点に集中、浮き彫りにします。さらに、ネヘミヤ1章5節以下のネヘミヤの祈りを引用して、「まことにわたしも、わたしの父の家も罪を犯しました」との祈りの頂点に焦点を合わせます。
この聖書の言葉で、今直面している課題に光を当て、「ネヘミヤは先祖が犯した罪を具体的に知ったあとでこう祈るのですが、われわれもまず、われわれの先祖がどのような罪を犯したのか具体的に知らなければなりません」(20ページ)と、基本的姿勢を整えます。
しかも、「しかしその前に、われわれの先祖が犯した罪の全貌を明らかにするような記事」(20ページ)として、ルカ伝8章32節以下に焦点を合わせ、「福音書記者はこの記事によって何を語ろうとした」(21、28、50ページ)のかを自問し、「悪霊の破壊力のすさまじさ」(21ページ)と受け止め、「この記事をわが国が行った侵略戦争に応用するにあたって、豚とは何か、という問いを提示しないわけにはいきません。あの侵略戦争において、豚とは何であったか」(21、24ページ)と掘り下げ、焦点を絞り込みます。
沖縄戦の実態を理解するために、聖書の証言を通し、資料を読むだけではありません。戦後日本・二重三重の過ちを犯した戦後50年の歩みについても同じことをなすのです。つまり、「先祖の不義」ばかりでなく、「自分の罪」「わたしの父の家」が犯した罪の実態ばかりでなく、「わたし」が犯した罪の現実についても、ルカ伝11章24節以下をもって照らし出します。
「聖書では、このような日本の姿は、こう描かれています。ルカ伝11章24節以下です」(59ページ)、ルカ伝11章24節以下で、戦後日本の姿を、つまり58ページに的確に要約している富国強兵、「天皇を祭り上げ、国家神道を復活させ」「国家神道化への仕掛けに反対する者がいなくな」る現実を照らし、「汚れた霊がいかに深くわが国の心臓部へ入り込んだかの証言」(59ページ)と見る。このように聖書が現代日本の罪、私の罪を指し示すと受け取る聖書の読み方を根底として、講話を進めるのです。
(ニ)具体的に――事実認識の課題――
ネヘミヤの祈りに導かれ祈り、聖書に聴従しつつ現実を見るとき、島崎先生が講話を展開していく中で、大切な事実認識の仕方があります。それは、具体的に知る、これです。
「ネヘミヤは先祖が犯した罪を具体的に知ったあとでこう祈るのですが、われわれもまず、われわれの先祖がどのような罪を犯したのかを具体的に知らなければなりません」(20ページ、アンダーライン、筆者)。
(a)資料に基づいて
では、どのようにして具体的に知るのか。それは、資料に基づいてです。どのような資料か。「最新の研究成果をもとに編まれた」(24ページ)、1994年の「世界」の2月号、「白書・日本の戦争責任」のようなもの。また、自らの体験に深く根差しながら、誠実な研究により公同性、普遍性を持つ経験のレベルへと体験を掘り下げた、学徒としての太田知事の『日本の沖縄知識・醜い日本人』(サイマル出版社)(30ページ)。さらに、「沖縄戦後、最も早い時期に編まれたものとおもいます。だからどの証言者の記憶も細部にわたって鮮明」(32ページ)であり、証言者が自らの責任を明らかにしている、1961年の「潮」(潮出版社)11月号、特別企画「沖縄は日本兵に何をされたか」という証言集。現地を自分の足で踏み、そこで歴史の流れを背景に現実を見抜く、朝日新聞の「声」欄に投稿された、僧侶の願海常典氏の発言(57ページ)。こうした種類の資料です。
なぜ具体的な知識が、罪の告白の祈りのために不可欠なのでしょうか。それは、すでに見たように日本軍がアジアの国々に侵略し、約2千万人もの人々を殺したと数字をつきつけられても、震え上がらない人(自分自身を含め)がいるからです。
「なぜか、なぜ震え上がらないのか」(25、26ページ)。「それは、数字だけを無感動に眺めているからではないか。二〇〇〇万人をどんな風に殺したか、これを知れば、先祖が犯した罪の重さにたじろがない者は一人もいまい」(26ページ)。
(b)歴史の流れの中に位置づけて
具体的に知る道は、事物を歴史の流れの中に位置づけて見ることにより開かれます。沖縄戦を孤立して見ないのです。その前史との関係で初めて具体的に知ることができます。
「沖縄の出来事が起こるまでには、国民が悪霊と共に歩んだ長い歴史」(53ページ)、富国強兵策、国家神道、特に天皇を神に祭り上げる歩みがありました。この前史と切り離すことなく、「日本軍本土決戦を少しでも遅らせようとして持久戦法をとった」(56ページ)沖縄戦の悲劇を具体的に知るのです。
また、沖縄戦を、50年の戦後史とも切り離さず、具体的に知ろうと島崎先生は努めています。「本土の人々はこれまで、これら三十万以上の死者たちの叫びを無視して、日本の前途を切り開こうとしてきました。しかしこの沖縄の出来事を無視して、どうして新しい希望の前途を打ち開くことができましょうか」(52ページ)
戦後50年、アジアの諸国に謝罪せず、再び富国強兵の道を選び、「天皇を祭り上げ、国家神道を復活させるための仕掛けを着々と積み重ねて」(58ページ)きたのです。「今の日本には、平安はありません。ほとんど絶望的腐敗が全土に漂っています」(60ページ)
種々様々の社会現象は、「悪霊がわが国の心臓部へ入り込み、悪霊が働いていることの証拠」(60ページ)と、明治から今日までの近代日本の歴史全体の流れの中で、沖縄戦を位置づけ、具体的に知るのです。これは、聖書の文脈を重んじ、1つの聖句を前後関係から切り離して孤立して見る読み方と対決、克服する聖書の読み方に通じます。
③ なぜ、著者の意図・心
何を、いかに語るか。講話のテキストの下に身を置き、講演者の意図・著者の心に触れたいのです。著者の心と共鳴する心の目をもって、自分の身の回りの事物を見ていくために。
島崎先生が、「沖縄からの叫び」の主題で、この内容を、この仕方で語られている。その直接の理由は、講演の第一声、「激動の沖縄へお招きいただきました」(12ページ)に見るように、那覇聖書研究会から内村鑑三記念講演会での講演依頼を受けたからです。
では、内村鑑三記念講演会をめぐり、深い問題意識を持つ(67~76ページ)にもかかわらず、依頼を引き受けたのはなぜか。「本土の罪を双肩に負って苦しむ沖縄からの依頼であったので、『そうだ、いま謝罪に行かなければならない』という思いに満たされ」(76ページ)たからです。謝罪・ざんげ。このために、基地に取り囲まれた講壇に立たされた島崎先生は、基地問題や戦争について語るのです(18ページ)。
謝罪、ざんげすべき罪。それは、ネヘミヤが指し示す「自分の罪と先祖の不義」です。ネヘミヤは先祖の「犯した罪を具体的に知ったあとで」(20ページ)、ネヘミヤ1章5節以下に見るように、イスラエルの民のために祈りました。このネヘミヤに導かれ、「われわれの先祖がどのような罪を犯したのかを具体的に知」(20ページ)るため、これほどの努力を払っている意図、心は、「この事実を前にして、私は教会が犯した大罪を思い、灰をかぶり衣を裂きます。教会の罪をざんげします。父祖の罪をざんげします。それは、教会に対する弟なる無教会の愛であり、答責だからです」(66ページ)と講演を締めくくっていることから、明らかです。
謝罪、ざんげをなすためです。「この事実を前に」するため、講話がなされているのです。講話は、結びの謝罪・ざんげのための準備のためです。著者の意図であり、心である、この最後の4行の言葉に凝縮した謝罪・ざんげを受け止め、共鳴、応答するには、少なくとも2つの点に意を注ぐ必要があります。
1つは、ネヘミヤが「自分の罪と先祖の不義」をざんげしている事実です。講演は、表面的には「先祖の不義」、つまり、沖縄戦に浮き彫りにされた日本の国家としての罪、また「戦時中の教会が神の前において犯した大罪」(65ページ)の指摘に大部分の時間を割いています。しかし、それは水の上に見える氷山の一角です。水面下、著者の心の奧深くでは、鋭く「自分の罪」が迫ってくるのです。戦後50年の歴史、そこに生かされてきた教会の歩みを直視しているのです。
もう1つは、エクレシア(教会の公同性、「聖なる公同の教会を信ず」との使徒信条の告白)についての理解に基づく、教会と無教会の関係です。主イエス「にとっては、エクレシアは全世界」(64ページ)と見る見方に基づくものです。
「エクレシアを一本の木にたとえれば、(主イエスにとってエクレシアは)その木の全体です。木の根はイスラエル、太い幹はカトリック、枝は教会(宗教改革に根差すプロテスタント教会の意か)、そしてこの枝に連なる小さな葉が無教会です」(64ページ)
この全体像の中で、特に、教会と無教会の関係に焦点を絞り、「兄弟の関係にたとえれば、教会は兄であり、無教会は弟です。だから兄が神の前に大罪を犯したら、弟は灰をかぶり、衣を裂いて泣く。兄のために祈る。そして弟が神の前に大罪を犯したら、兄は灰をかぶり、衣を裂いて泣く。そして弟のために祈る」(64ページ)と明言します。
以上2つ、「先祖の不義」と「自分の罪」の関係、兄の罪を思い、灰をかぶり衣を裂きざんげする弟と、弟の罪を思い、灰をかぶり衣を裂きざんげする兄の関係に十分注意を払うなら、聞こえてくるはずです。
自分の罪、現代日本の罪、無教会の罪、「エクレシアの罪」(73ページ)をも直視する、悔い改める者の祈りの声が、無教会の罪を思い、灰をかぶり衣を裂き、無教会の罪をざんげする。これこそ、「聖なる公同の教会を信ず」と告白するキリスト者・教会の、この講演の最後に滲み出ている1人の誠実な人間・キリスト者の祈りへの応答であり、その現れとしての生活・生涯であるはずです。
■『仰瞻・沖縄・無教会』への応答:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
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