1929年1月15日。米国ジョージア州アトランタのバプテスト教会牧師マイケル・ルーサー・キングとアルバータの間に男の子が生まれた。子どもはマーティンと名付けられ、姉のウィリー・クリスティンと弟のアルフレッド・ダニエルと共に美しい町で何不自由なく育った。
マーティンは教会が大好きで、自分の家のように思っていた。4歳の頃には母の弾くピアノに合わせてよく賛美歌を独唱したが、その声は艶があって美しく、聴く者をうっとりさせた。これは天が与えた宝物で、後に多くの人々の前で演説するのに役立ったのである。
6歳になった時のこと。彼に衝撃を与え、心を傷つけるようなことが起きた。彼は近くの食料品店の双子の男の子と大の仲良しで、いつも一緒に遊んでいた。間もなく小学校に入学することになったが、登校してみると二人の姿がなかった。聞いてみると彼らは白人だけの学校に行ったのだという。一緒に勉強しようと楽しみにしていた彼は、がっかりした。
それからしばらくして、マーティン少年は彼らに会いたくて家に行ってみた。すると、母親が出てきて何やかやと理由をつけて会わせてくれない。最後に、彼がしつこくその理由を尋ねると、母親はこう言った。
「私たちは白人だし、あなたは黒人だから、もう一緒に遊べないのよ」
マーティンは泣きながら帰ってきた。そして自分の母親に訴えた。
「どうして黒人は、白人と一緒に遊んじゃいけないの? ねぇ、どうしてなの?」
母親は悲しそうにうつむいていたが、こう言った。
「世の中の規則だから仕方がないの。でもね、マーティン。自分が白人に劣るなんて考えてはだめ。誇りを持って、頭を高く上げて歩くのよ」
それから2年後のある日。彼は父親に連れられて町に靴を買いに行った。店に入った親子は窓側の椅子に腰をかけた。すると、白人の店主が言った。
「失礼ですが、裏のベンチに移ってもらえませんか?」
「ここでかまわないじゃないですか」。父親はむっとして言った。すると、店主はきっぱりと言うのだった。
「せっかくですが、ここは白人のお客様だけが座る場所なんですよ」
父親は怒り、マーティンの手を引っ張って店から出ていった。
また、こんなこともあった。彼が母親と買い物に行った時のことである。町角で待っているように言われたので、彼がそこに立っていると、見知らぬ白人の女性がつかつかと近寄ってきて言った。
「黒ん坊のチビ! 私の足を踏んだわね」。そう言いがかりをつけると、彼の頬に平手打ちをくらわした。
しばらくして母親が戻ってくると、マーティン少年は唇を噛んで、じっと無言のままうつむいていた。「どうしたの?」と尋ねても、何も言わなかった。しかし、この時すでに彼は知っていたのである。この米国には自分たち黒人のいる場所はないのだということを。
その後、彼は公立の小学校からアトランタ大学付属の大学に入り、さらにブッカー・T・ワシントン高校に転校した。彼は成績がずば抜けて優秀で、15歳でモアハウス大学の入試に合格した。この時父親は自分の教会を牧しながらも、NAACP(有色人種地位向上協会)の指導者として社会運動をしていた。この頃から、マーティンの胸には熱い思いが燃え始める。それは、差別され虐げられている黒人のきょうだいたちの地位向上のために尽くしたいという思いだった。
モアハウス大学では白人の友人もできて楽しかった。夏休みには彼らと一緒にアルバイトをしたが、白人・黒人が一緒になって倉庫で汗まみれになって働くうちに互いに親しくなった。ところが、給料をもらってみると、黒人の分は白人の半分以下であった。これが原因で白人の友達と何となく気まずくなり、マーティンの心は傷ついた。その時彼は、差別というものが黒人だけでなく白人の心をも傷つけ、不幸にするものであることを痛感したのだった。
1948年8月。19歳でモアハウス大学を卒業したマーティンは、牧師になる決心をし、クローザー神学校に入学した。ここで彼は人生の土台となるようなある著書と出会う。ウォルター・ラウシェンブッシュの『キリスト教と社会危機』である。彼は、キリストの福音は人間の魂のみならず肉体や現実生活をも救うものであることに深く感銘したのだった。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(イーグレープ、2015年4月)がある。