僕がなぜ50年もhi-b.a.(ハイビーエー、高校生聖書伝道協会)で、高校生に対する福音伝道にこだわるかのように従事してきたかを最初に話しておきたい。
僕は中学生と高校生の最初の時に、人生の意味は何かということと死んだらどうなるかという問題で悩んでいた。友達に誘われて参加した学校内の聖書研究会で、初めて聖書の言葉を聞いた。その頃は文語訳だったが、新改訳では「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ人への手紙6:23)だった。
僕が不安を感じている死が自分の罪と関係があるらしいとわかった。そのとき初めて自分の罪について真剣に考え始めた。死とは正反対のもの、永遠の命というものがある。どんなものかはわからなかったけれど、本当にあるのならほしいと思った。
ハッキリわかるには時間がかかった。高校一年の夏に誘われてhi-b.a.キャンプに参加した。今と違って粗末なもので、自分のシーツと毛布を持参した。それでも僕にとっては最高の意味ある時になった。一番助けになったのは第一コリント15:3、4の言葉、「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」、これだった。
キリスト教というものを理解しなくちゃいけないんだと思って一生懸命になっていた。そうじゃないんだ、キリスト教じゃなくてキリストだ! この方なのだ。僕の罪のために死んでくださった方。それで終わりじゃない、3日目によみがえってくださった方、この方を信じるのだと分かった。高校生時代は人生の悩みを抱えて追求している人が多いけれど、僕はその一人で、探求の途中で答えであるイエス・キリストに出会ったわけだ。
hi-b.aの集会と紹介された教会に通ううちに、だんだんとはっきり分かってきて、信仰は少しずつ成長していったと思う。高校3年の夏に、福音を伝える仕事のために一生を捧げるよう示されて、高校卒業とともに日本クリスチャンカレッジという聖書学校に進んだ。4年学んで同級生が日本のあちこちの教会に伝道師や副牧師として遣わされて行く中で、僕は更に学ぶことを選んで聖書神学舎という神学校に進んだ。
僕の心に重大な二つの質問があったからだ。一つは、学んできた組織神学の中の教会論で、超教派伝道団体であるhi-b.a.はどう位置づけられるかという質問だった。二つ目の質問は、一生高校生伝道をやっていって相手にするのはいつも15歳から18歳の若者ばかりで、自分は毎年年をとっていく。それで大丈夫かという質問だった。
正直に言えば、それで神学校に逃げ込んだような具合だった。いくつかの学科は既にやっていたので、勉強はわりと楽にやれたが、ここに来た最大の目的には回答が得られないままに日々を過ごした。2年生の初夏にこの問題にはっきり決着をつけなければいけないと思って、一カ月の断食祈祷に取り組んだ。みんなが朝食のため階下の食堂に行く時、僕一人は梯子を登って屋根裏の祈祷室でひたすら祈って聖書を読み、質問の答えを求めた。下からうまそうな味噌汁の香りなどが上ってきたが、ひたすら耐えた。
ある日に読んでいた詩篇71:17、18、「神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます」を示され、これを生涯の祈りとしていくようにと教えられた。
与えられた答えは、神学的なものでも論理的なものでもなかったが、僕は十分に満足して断食をやめた。ちなみに断食は朝だけである。
日本のhi-b.a.を始めた宣教師のクラークさんから、「今、手が足りないので神学校の休みの時だけでいいからhi-b.a.集会の指導をして手伝ってくれないか」との申し出を受けた。祈りとすべき聖書の言葉を与えられた直後であったので、すぐに受け入れてhi-b.a.の協力スタッフになった。このときにはフルタイムスタッフしかいなかったけど、自慢するんじゃないけど僕が最初の協力スタッフだった。
学校の休みの日(月)にスタッフ会議をしてもらって、午後は中野集会を指導した。その頃の高校生には50年経った今も信仰の交わりの続いている人たちもある。
一年半経ってフルタイムスタッフになった。願っていた形では答えられなかった質問は心に残って、超教派伝道団体と教会の関係ということはその後も僕の研究課題になった。
次の回からは実際のオモシロ話を紹介しよう。
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吉枝隆邦(よしえだ・たかくに)
hi-b.a. (ハイビーエー、高校生聖書伝道協会)にて42年間働くも、突然脳梗塞で倒れ5カ月間入院。8カ月後には説教者として再起し、今も情熱を持って福音(神様からの良い知らせ)を語り続けている。