中世・ルネサンス音楽研究の第一人者で立教大学名誉教授の皆川達夫さん(90)が11日、「かくれキリシタンの祈りの歌」と題した公開講演会(主催:立教大学キリスト教学会、文学部キリスト教学科、キリスト教学研究科)に登壇。キリスト教と音楽、そして隠れキリシタンに歌い継がれてきた「オラショ」について、集まった140人余りの聴講者を前に講演した。
「キリスト教と音楽のつながりは深い。教会には常に音楽があり、また音楽の歴史を語るとき、キリスト教は切っても切れない存在だ」と皆川さんは言う。「例えば、バッハやシューベルト、モーツァルトも優れた宗教音楽を残している。それはなぜか」。そう問い掛け、キリスト教会において音楽が重視されてきた背景をひもといた。
多くの宗教は、見えない神を何とか視覚的に捉えようと、仏像や仏画などを作る。また、海や山、木などに神が宿っているとして、それを拝むことによって神の存在を確かめる。しかし、キリスト教では偶像崇拝は禁止だ。
「キリスト教は目で見る宗教ではなく、神の声を耳で聞く宗教。音楽もまた、形がなく捉えることができない。しかし、私たちの心の中に不思議と大きな感動を与えてくれる。不思議な数の調和の上に成り立つ芸術が音楽。したがって、音楽は人間の創造物というより、神が作った『音』を人間が利用させていただいているものと言える。人間が作ったものでありながら、神が作られたものであり、神の存在が音の中に潜んでいる。だから、人間は音楽を聴いて感動する。そして、神を礼拝するため、賛美するために音楽を用いる。キリスト教が優れた音楽を生み出してきたのは、このような背景があるからだ」
立ちっぱなしで休むことなく2時間に及ぶ講演をこなす皆川さん。さまざまな史実を語る際には、年号や時の将軍、音楽の話では作曲家や作詞家の名前など、詰まることなく口から出てくる。外国人教員とはドイツ語で会話を交わし、また朗々と歌う姿は、間もなく1世紀を生きようとしているとは思えないほど、聡明(そうめい)で快活だ。
講演の後半では、いよいよオラショの祈りに話が及んだ。オラショとは、隠れキリシタンによって口伝えによって伝承されてきた祈りの歌。ラテン語の「oratio(オラツィオ)」に由来し、もともとは宣教師によって教えられた、ラテン語の祈祷文にメロディーを付けて歌われたもの。
しかし、歴史を経る中で次第に意味内容が理解されないまま唱えられるようになった。そのため、日本語のような言葉と、ラテン語のようだが意味のよく分からない言葉が混在している。例えば、ポルトガル系のラテン語と日本語が混ざった次のようなオラショがある。
「デウスパイテロ ヒーリヨー スペリトサントノ 3つのビリソウナ 1つのススタンショウノ 御力をもって 始め奉る」
皆川さんによると、これは「父と子と聖霊の三つの形の神様が一つになる」という三位一体を示し、祈りの冒頭に唱えるのだという。隠れキリシタンたちはこう唱えつつ両手を組み、親指で十字を作るのが作法。そして、この不思議な祈りが1時間ほどあり、その後、節をつけた御詠歌のような祈りへと続く。これが「歌オラショ」だ。
「初めは何を言っているのかさっぱり分からなかった。しかし、何度か聴いているうちに、ある一節がラテン語のグレゴリオ聖歌なのではないかと気付いた」と皆川さん。
その後、今もなお隠れキリシタンの末裔(まつえい)が住む長崎県生月(いきつき)島を何度も訪れ、オラショを聴き、録音させてもらった。それをもとに楽譜に起こし、ラテン語に復元する作業を続けるうちに、「グルリヨザ ドミノ」と歌われているのが「O gloriosa Domina」(栄えある聖母よ)というマリア賛歌であることを突き止めたのだ。
「グレゴリオ聖歌であるらしい」という仮説を立てたものの、現在、日本で手に入る「グレゴリオ聖歌集」には、この文言が入った曲が見当たらない。そこで皆川さんは、バチカン図書館に何度も通い、さまざまな楽譜をしらみつぶしに当たった。楽譜を整理するカードを保管する部屋だけでも、体育館のように広い。そこから1枚1枚調べ、1日にたった3冊しか借りることのできない本を調べてはまた返し、カードを調べてまた借りるといった作業を約7年続けた。それはまるで「太平洋の海底からたった1つの小石を拾うようだった」という。
しかし、バチカン図書館ではお目当ての楽譜を見つけることができなかった。そこで、当時、日本に来ていた宣教師の出身地であるスペイン、ポルトガルをもう一度、調べることにした。すると、スペインの図書館にたった1曲、同じ文言の入った曲があったのだ。
「これを見つけた時は本当にうれしゅうございました。ようやく見つけた夢の楽譜でした」と皆川さんは感慨深げに話す。
これはスタンダードな聖歌ではなく、スペインのある地方、そして特定の年代にだけ歌われていたものだった。そのため、日本はもちろん、バチカン図書館でも見つけることができなかったのだ。宣教師が自国のなじみの聖歌を携え、生月島の人々に伝えた。そして、260年にも及ぶ禁教の中、隠れながら人々はこの歌を歌い、「生きる力」をもらって信仰を保ってきたのだ。
「音楽は、ともすれば1週間で聴かれなくなってしまう儚(はかな)い芸術。しかし、この音楽は400年もの間、人が生きることを支えてきた。音楽の力強さを感じた」と皆川さん。
また、講演の最後には、琴の名曲「六段」(八橋検校作曲)がグレゴリオ聖歌の「クレド」(信仰宣言)であったという仮説を提示し、その根拠を説明した。「クレド」と「六段」の構造はまったく同じ。講演中、このグレゴリオ聖歌と「六段」を同時に演奏しているCD「箏曲《六段》とグレゴリオ聖歌《クレド》~日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い」(皆川氏の解説と指揮)を皆で鑑賞した。聴き比べてみると、確かに聖歌の音階が上がると「六段」も上がり、下がるのも同時。クレッシェンド、デクレシェンドなどの一致も、素人の耳にも明らかだ。
皆川氏はますますの研究意欲を語り、講演を結んだ。