世界で最大の原子力発電所事故の一つ、チェルノブイリ原子力発電所事故から、来年で30年を迎える。福島第一原子力発電所事故の影響で東京に避難してきた家族を支援する民間団体きらきら星ネットが主催して11月23日、チェルノブイリからゲストを迎えての研修会と交流会が主婦会館プラザエフ(東京都千代田区)で開かれた。チェルノブイリ原子力発電所での爆発事故がどのように暮らしを変え、現在どのような状況にあるのか、30年近くにわたり被ばく者の支援を続けてきた2人が講演し、福島からの避難者や支援者と意見を交わした。
この日ゲストに迎えられたのは、ウクライナの首都キエフ北東部のデスニャンスキー地区の小児中央外来病院にて、チェルノブイリ被災児童を担当するセクションで勤務する医師のベスパーロヴァ・スヴィトラーナさんと、キエフ市在住でチェルノブイリ被ばく者支援の慈善市民団体「ゼムリャキ(同郷人)」代表のクラシツカ・タマーラさん。2人ともチェルノブイリ事故当時、原子力発電所から数キロ離れたプリピャチ市で暮らしていた。
プリピャチ市は、1970年にチェルノブイリ原発の従業員用の居住地として作られた町だ。原発事故直前には約5万人が暮らしていたが、事故の翌日には全市民が避難させられ、原発から30キロ圏内に移住することに。それ以降、家々は荒廃し、町への立ち入りは特別許可証が必要となった。今日のプリピャチ市は、厳格な監視下に置かれたゴーストタウンとなっている。
タマーラさんは、チェルノブイリ原発事故が起きる前の町について語った。熱意あふれる原発職員のエネルギーに満ちた町は、エレベーター完備の高層マンションなどの近代的な建物や、病院・カルチャーセンター・公園などの施設が建てられ、緑豊かな美しい町だった。また、市民全体が家族のように暮らし、皆がこの町を愛していたという。それが一変したのは、1986年4月26日。チェルノブイリ原発事故によって、繁栄していたこの町は死の領域と化した。これまでの生活は断ち切られ、すべてをゼロから始めなければならかった。その時に体験したストレスは、避難した人々の精神状態と健康に、長期にわたる影響を与えたことを明かした。
タマーラさんが代表を務める「ゼムリャキ」は、精神的ストレスを抱える避難者のために設立した支援団体だ。団体が発足したキエフ市ヴァトゥチンスキー地区には、当初、プリピャチ市だけでなく、チェルノブイリ市から30キロ圏内に避難させられた4万人以上の人たちが住んでいたという。同団体が支援の対象としたのは、事故処理作業者、障がい者、未亡人、孤児、子だくさんの家族で、精神面サポート、健康増進、社会的・経済的な支援を目的とする数多くの多様な慈善行事やキャンペーンを行ってきた。
支援の中でタマーラさんが重要視するのは「自分を表現すること」。たとえ障がいを抱えていても、手芸や、詩を書くことで自分を表すことができると話す。この日は、元物理学者の男性が描いた2枚のポスターを紹介した。チェルノブイリと福島の友好を象徴的に描いたもので、男性が支援を受ける中でその隠れた才能が花開いたという。原画はキエフの日本大使館に置かれている。
時が経つにつれ、被ばく者たちの健康が悪化しており、団体のメンバーたちの多くが障がい者になっている中、毎年、広島県府中市の市民団体「ジュノーの会」が甲状腺の検診を行ったり、日本の医師たちが各種のコンサルテーションをしたりしているという。こうした日本からの支援を紹介した上でタマーラさんは、「原発事故が起きた時に真っ先に駆けつけてくれたのが『ジュノーの会』で、最初に支援の手を差し伸べてくれたのは日本だった」と話した。そして、これまで支援を通してたくさんの日本人に出会えたことを神に感謝していると語った。
「ゼムリャキ」の活動は全て寄付金によるもので、ウクライナが経済的に厳しい状況にある今、財政上かなり厳しい状況にあるという。しかしタマーラさんは、「私たちは楽観主義者です。人々を助け、よりよい将来への希望を与える努力を今後も続けていきます」と話した。
小児科医であるスヴィトラーナさんは、データを使ってチェルノブイリ原発事故における子どもの健康状態について話した。スヴィトラーナさんの診療所では、特に原発作業員の子どもたちを多く診療している。その子どもたちの罹患(りかん)率で最も多いのは、消化器系の病気で、胃炎、胆のう炎などだ。2番目を占めるのは、精神神経系統の病気で、行動障害、コミュニケーション障害の他にも、疲れやすいといった子どもも多かった。避難した子どもたちの健康状態は、年々悪くなっていき、1990年の調査で健康体と診断されたのはわずか10%だったという。
大量の放射線を受けた子どもたちには、明らかに悪影響が出ている。胎児にも影響が及んでいるが、避難した子どもたちと胎児だった子どもたちとは病気の構成が違うという。原発事故が起きた86年当時、避難した子どもの消化器系の罹患率は94%で、胎児では70~80%だった。また、精神神経系統についても同様で、避難した子ども80%、胎児64%、甲状腺がんは16%、胎児10%となっている。
内部被ばくと外部被ばくのどちらの害が少ないかについては、今の段階では断言できないが、どちらも有害であることに間違いはないと話した。避難した子どもたちに関しては、外部被ばくの問題はないという。しかし、汚染地にとどまっている場合は、内部被ばくも外部被ばくも両方続いており、甲状腺の病気、血液の病気、肝臓、免疫不全などが見られると話した。
講演の後2人は、福島原発事故の被害者で東京に避難している参加者から、プリピャチ市の現状について聞かれた。2人によると、最初の頃は除染作業が行われていたが、今は何もされず、汚染された土地として住んではいけないどころか、人が立ち入ることさえできない状態だという。また、被ばく者に対する支援としてウクライナ政府では、18歳まで旅行券が無償で給付され、4~10歳までの子どもたちは両親と一緒に保養に行くことができるという。しかし、こういった支援プログラムは近々打ち切られることになるだろうと説明した。
参加した30代のカトリック信徒の女性は、「実際に事故を経験し、現在も支援活動を続ける2人の話を聞き、福島のことをもっと心配しなければいけないと思った。これからもチェルノブイリと交流を続け、多くのことを学んでいきたい」と感想を述べた。