多文化共生のための介護施設「故郷の家・東京」の着工記念式典が17日、東京都港区の韓国領事館で行われた。2016年秋のオープンを目指して工事を進める。式典には、鳩山由紀夫元首相や野中廣務元官房長官、韓国からは柳興洙(ユ・フンス)駐日大使など多くの著名人が参加した。
故郷の家の働きは、ある親子の二代にわたる努力の結果ともいえる。第二次世界大戦中、日本統治下の朝鮮・木浦(モッポ)でクリスチャンの韓国人男性と、同じくクリスチャンの日本人女性の夫婦が暮らしていた。夫は日本人から「乞食」と呼ばれさげすまれるも孤児院を経営。決して楽な生活ではなかった夫婦の間に生まれたのが、後にこの「故郷の家」を立ち上げることになる尹基(ユン・キ)氏だった。日本名を田内基(もとい)といい、彼の母こそ後に朝鮮戦争の混乱で行方不明になった夫尹到浩(ユン・チホ)氏を失うも、約3000人の孤児を守り育て、反日感情の強く残る当時の韓国と日本の架け橋となった田内千鶴子だ。
彼女がこの世を去った際、地元木浦の市民約3万人が参列。市民葬で彼女を弔い、日本人である彼女との別れを惜しんだ。彼らが運営した孤児院「木浦共生園」はその後、田内氏が引き継ぎ、現在は鄭愛羅(チョン・エラ)さんが園長になっている。田内氏は、千鶴子さんの誕生日で死亡した日でもある、10月31日を国連「世界孤児の日」に制定するために奔走しているが、同時に在日韓国人の高齢者のためにも活動している。
国連の調査によると、2050年までに世界の人口の18%が65歳以上の高齢者になるといわれている。在日韓国人は2013年の時点ですでに高齢者の割合が25%を超えている。このような現状を見て、在日韓国人高齢者のための「故郷の家」を1989年に大阪に開設。「梅干しとキムチのある老人ホーム」と呼ばれ、現在は大阪、堺、神戸、京都の4カ所で運営されている。
式典は、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会の峯野龍弘牧師の祈りで開始。その後の式典では、日韓の関係などに触れられ、さまざまな障壁があっても手を取り合って進めていくことにフォーカスが当てられた。田内氏も「一人では無理でも、みんなで行えばできる。日韓の間にも南北の間でもさまざまな問題があるが、この施設から始めたい」と、融和への努力を惜しまない姿勢を示した。
韓国放送公社(KBS)理事長の李仁浩(イ・イノ)氏は、「人は人生の最期に懐かしいものを欲しがる。そのために働くのが故郷の家」と激励。経験値はあっても力の弱い高齢者の役割について、「長期的な視野に立って、対立をあおろうとする現代の世論を、知恵をもっていさめることではないか」とコメントした。
また、「愛」について言及したスピーチも目立った。鳩山元首相は「愛に国境は無い」とあいさつ。在日韓国老人ホームを作る会会長の阿部志郎氏は人生の時期に触れ、「聖書の『白髪を冠』とする価値観に立つなら、人生は子どもとして愛され、成長するにつれて愛し、老いて再び愛され、また引き続き愛す」と、高齢者に手を差し伸べるだけではなく、高齢者が社会に貢献し続けられるようにするのが理想と語った。
関東初の「故郷の家」として、江東区塩浜に建設される「故郷の家・東京」は、2016年秋のオープンの予定。