公開セミナー開催に先駆け、NCCドイツ委員会委員長の菊地純子氏は、「地球規模化した世界経済が原因で、地球規模で起こっている移民・難民の対策について考えている中、昨年3月11日に大震災が起きました。明治以降の近代の日本の国づくりが何であったのかを、非常に私たちの目に明らかにしてくれた災害でした。近代日本の国づくりを、立ち止まって方向転換するということについて、今年2012年はこの事を言葉にして確認する時と考えています。福島の直接被災した方々との関わりを通して、1.被災した方々の『人』としての尊厳を保つために具体的な課題を実践していくこと、2.特定の人に犠牲を強いる行政を退ける議論をしていかなくてはならないこと、3.情報を自分で集めて自分で判断していく良心を育てていくことの3つの課題が浮き彫りにされました。3つとも聖書によって示される事柄であり、今この時に示されたこれらの課題を受け止めることによってしか、日本でのキリスト教会の宣教の未来はないとドイツ委員会は考えています」と述べた。
今回はまず一回目として、被災地という第一線で被災を体験している人の話を聞くことを通して得られた問題提起をもって、秋には第二回目として日本でキリストの教会へと招かれている者たちとして、対策すべき事柄を確認していく時を持っていく予定であるという。
福島第一原発から西に45キロの田村郡三春町で自然エネルギーを使いながら喫茶店を営み、チェルノブイリ事故をきっかけにかねてから脱原発運動を行ってきた武藤氏は、東日本大震災を振り返り、「3.11以来生活が本当に一変しました。今までの暮らしがすべて失われた状況でこの一年を生きてきました」と述べ、福島に積み重なる課題、行政の問題について鋭く指摘した。
武藤氏は、「今回の福島原発事故で政府は情報の隠ぺいを行いました。スピーディな情報が被災地に流れていれば、無用な被曝をせずに済んだ人がたくさんいました。スピーディな情報が流れなかったことによって、自分がいるところよりもさらに放射線量の高いところに避難してしまった方もおりました。さらにこの事故を矮小化し、被災地の放射線量の高いところで『安全キャンペーン』というものを展開し、これが早いスピードで伝わりました。放射線健康管理リスクアドバイザーという方々が福島県に来られ、『福島県の放射線量は大したことはない。年間100ミリシーベルトまでは大丈夫。子どもが外で遊んでも、マスクをしないでも大丈夫』という内容の講演会を開き、地元のテレビやラジオで放送される他、市政だよりのQ&Aにもそのような内容の発言が掲載されました。国は放射線被ばく許容量の基準値を上げるということをしました。日本では20ミリシーベルトの暫定基準で大人も子どもも同じになりました。このことについて大勢の親が文部科学省などに抗議しに行きました。国は放射線許容量基準値一ミリシーベルトを目指すということになりましたが、20ミリシーベルトの許容量の撤回はされず、いつまでもさまざまな場所で同許容量が生きてしまっている状態にあります」と述べた。
野田首相が昨年福島原発事故の収束宣言を行ったことについて、武藤氏は「私たち(被災者)にとってこの原発事故は何一つ終わっていないというのが、福島に住む者の気持ちです。現在でも福島原発4号機がものすごく心配されています。福島の人はいつも車のガソリンを満タンにしておいて、いざとなった時に避難する準備をしている状況です」と述べ遺憾の念を露わにした。被災地の放射性物質を除染し、福島の復興を目指す国の方針について、武藤氏は、「昨年末から国が莫大なお金を除染に投入するようになりました。除染して、きれいにしてみんなを福島に呼び戻す方向に向かいました。子どものいるところ、通学路、学校の除染は必要ではありますが、除染の専門家が研究した結果、除染し切ることは難しいことがわかってきています。屋根を除染して洗浄機で流せば、側溝にセシウムが溜まります。土を剥がして除染しても、山から雨に流されてセシウムが下りてきます。いったん放射線量が下がったと思うと、また上がるという状況にあります。『本当に除染は効果的なのだろうか』という気持ちがみんなの中にあります。除染は大手のゼネコンが利権を握っています。そういうところが利権を獲得して、実際に働くのは仮設住宅にいる職を失った方が一日一万円の日当で、被曝しながら除染作業をやっています。土を5センチ剥がすと、ものすごく膨大な放射線物質を含んだゴミが出ますが、それを持って行く場所もありません。こんなことをやって何になるのかと思いながら除染作業が行われています」と被災地の実情を説明した。
被災地のさまざまな自治体が除染することで避難して行った人々を戻そうと、「安全キャンペーン」を展開しており、小学生のパレードやマラソン大会、商店会の祭り等も行われようとしているが、武藤氏は「『頑張ろう福島』のスローガンのもとに除染をしたら復興だと叫んでいますが、もちろんそのような気持ちは誰にもありますが、やっぱり私には虚しく感じます。まだ何も終わっていないところで復興はあり得ないと思います」と正直な気持ちを告白した。
安全が確認されていないのに事実を矮小化し「安全キャンペーン」を展開することに対して武藤氏は懸念を露わにしている。武藤氏は「栃木県の中学生がいわき市のがれきの片づけのボランティアに来たというニュースを見ました。いわき市は原発から30~40キロ地点にある海沿いの町です。そのがれきはもちろん放射線物質が付いている可能性があります。化学物質がたくさんついているにもかかわらず、中学生が復興の手伝いをしたいと言ってきますが、大人がそれをやらせて良いのかと思います。復興の一つの表れみたいな感じでニュースで報道されて行く風潮になっていて、みんなが翻弄されています」と述べた。
また「安全キャンペーン」によって被災者の中でもこれまでずっと緊張して食べ物や子どもの遊び場に気を使ってきた人たちがくたびれ果て、「放射能の事は考えたくない」と思う気持ちが生じ、警戒を手放してもう何もしたくないと放射線に関する警告に関して耳をふさいでしまうケースが多いという。被災者の中で放射線を警戒する人としない人の間で、仲良くしていた友人が分断されて行くような状況にあるという。
3月には武藤氏らが中心となり「福島原発告訴団」が立ち上げられた。同告訴団をもって、東京電力・国の安全委員会・安全保安院、その他被害を広めていった学者らを告訴をしていこうとしている。武藤氏は1000人告訴団の団長として告訴準備を進めている。
武藤氏は、「この一年この国・東京電力が原発事故に対してどれくらい責任を取ったのだろうかと思います。原発行政を推進してきた国の責任もあります。東京電力の安全管理がどんなものであったのでしょうか。きちんとした安全管理をしていたとは思えません。それを許してきたのも国です。福島地検にきちんと捜査をしていただきたいと思っています」と述べている。6月11日には福島県民で1000人の告訴団を集めて告訴を行う予定であり、告訴人への参加が呼びかけられている。
武藤氏は厳しく国の責任を追及する理由について「責任をきちんと明確にしなければ、決して新しい未来はありません。私たち自身にも原発事故を起こした責任はあります。このような原発行政を止めることができず、消費生活をしてきた責任もあります。しかしまずは企業・国としての責任を取ってほしいと思っています。告訴という事を始めて、人を犯罪者として訴えるわけですから、それなりに返ってくるものもすごく大きいと思いますが、それでも敢えてやらなければ、子供たちに残すものが無いと思っています」と説明した。
また原子力発電の危険性について、「原発はウランの発掘をするところから誰かが被曝することになります。放射性廃棄物が大量に残り、既に地球に溢れています。人の被曝なしには成り立たない発電方法です。原発立地も、ものすごい差別の中で、貧しいところを狙い撃ちして建てられてきました。誰かの犠牲の上に成り立っている電力であり、電気が足りる足りないの問題ではありません」と説明した。