2024年米大統領選挙に向けた共和党全国大会は18日、ウィスコンシン州ミルウォーキーで最終日を迎えました。ドナルド・トランプ前大統領は暗殺未遂事件を経て、大統領候補指名を正式に受諾する演説を行いました。トランプ候補は演説の中で、米国社会の不和と分断が癒やされるべきだと強調し、国民の結束を呼びかけました。
演説の冒頭でトランプ氏は、暗殺未遂事件から命が助かったことに対して、神の加護に感謝する姿勢を示しました。米国は歴史的に、キリスト教信仰が社会の基盤を成してきた国です。建国の父たちは信教の自由を強調し、多くの移民が宗教的自由を求めて米国に移住した歴史があります。現在でも、かつてよりは減ったとはいえ、欧州諸国よりもはるかに多くの人々がキリスト教の教えに基づいた生活を送り、教会は地域社会の中心的な役割を果たしています。
今回のトランプ氏の演説を通して、神への感謝と信仰が米国社会にどれほど深く根付いているかが改めて浮き彫りとなる形となりました。
私も「トランプ氏をクリスチャンが支持した2つの理由」というコラムを、本紙において16年11月に書かせていただきましたが、およそ8年の歳月を経た一連の状況について、「宗教性」というキーワードで言及してみたいと思います。
■ 暗殺未遂事件と内面の変化
暗殺未遂事件の後、トランプ氏が神に感謝する姿勢を示したことは、彼自身の信仰心を強調するだけでなく、支持者たちに対しても同様の信仰心を呼び起こしました。その中で、各メディアが取り上げたのは、トランプ氏の表情が穏やかになっていたことです。以前の彼は、口角を上げて、相手陣営を批判するスタイルをとっていましたが、今回の演説の中で、彼がバイデン氏について批判的に触れたのは一度だけであり、終始穏やかな表情をしていました。
社会学者の宮台真司氏は、自身の襲撃事件の後、あの時に命を失っていたかもしれないのにまだ生かされていることについて、ある種の神秘や天命のようなものを感じるということを語っていました。また、英国のジョン・ニュートンは、冷酷非道の奴隷商人の生活をしていましたが、激しい嵐の中、船が転覆しそうなところで一命をとりとめました。その後、彼は牧師となり、あの有名なアメイジング・グレイスという曲を書き、多くの人に共感を与えています。
今回の暗殺未遂がトランプ氏の宗教性や内面にどのような影響を与えることになるのか、注目されます。
■ すぐ立ち上がり、拳を突き上げた姿勢
元FOXニュースのタッカー・カールソン氏は、トランプ氏が銃撃を受けた後、他のスナイパーがいるかどうかも明らかでない状態で、人々を安心させるためにすぐ立ち上がり、拳を突き上げ、聴衆に声をかけ続けた点について言及しています。その一幕が印象的な写真として撮られ、イーロン・マスクなどが公然と支持するようになったわけですが、カールソン氏は、その行為を彼の「勇気」や「勇敢さ」として称賛しています。そして、それこそがリーダーたちに求められるものであり、命のリスクを冒しつつ、仲間を守ったり、自己の信念を貫くことこそがリーダーにとって一番重要な素質であると言っています。
もちろんトランプ氏に対しては、選挙戦での自身のイメージ戦略のためにガッツポーズをとって「勇敢さ」を誇示したのだと、疑った見方をすることもできるのかもしれません。しかし、自分が彼の立場だと想像してみると、次の銃撃があるかもしれない状況で、「あんなにすぐに立ち上がれるだろうか」と自問してみると、容易にイエスとは言いづらいのではないでしょうか。
■ 宗教性と勇気と使命
それでは、何が人を勇敢にし、あるいは臆病にするのだろうかということを考えてみたいと思います。それは端的に言ってしまえば、共和党大会の中で何度も語られた、神への信仰、感謝、祈りなどと無関係ではないと言えそうです。
つまり、神に対する信仰を持っている人々の場合、たとえこの地上での命を失ったとしても、大切なことのために命が使えるなら、その道をいとわない傾向があるということです。まさに、それこそが命を使う「使命」という言葉の定義だともいえます。それは、地上での命は尽きるとしても、自身の魂は神の懐に守られているという信仰と表裏一体なのです。
反対にいうと、何らの信仰心もない場合、地上の命だけが自分自身の存在の全てという価値観になってしまうので、どんなに自己の信念や正義を曲げてでも、自分の生が安寧であればよいという価値観を持ち得てしまうのです。
■ 平家物語
そうすると、それは外国の宗教の話であり、無宗教といわれる日本人は、最近よく耳にするように「今だけ」「お金だけ」「自分だけ」という価値観に拘泥する人ばかりとなるのでしょうか。
私は最近、朗読「平家物語」をユーチューブでよく聞いているのですが、忠や孝のためには自己の犠牲をいとわない武士たちの姿が多く描かれています。それこそ文字通り、切腹や討ち死にすることが明白であっても微動だにせずに、自身の使命を全うする人たちが多いのです。
そして同時に気付くのは、男でも女でも出家し、祈りや念仏の生活に入っていく姿が多く描写されていることです。ここでもやはり、信仰心や宗教性というものが死生観に大きな影響を与えていることを強く感じるのです。
ですからこのような感覚は、私たちの先祖の時代には日本でも、脈々と息づいていたことが分かります。
■ 宗教性と霊的戦い
タッカー・カールソン氏は、共和党大会に先だった演説において、トランプ氏の暗殺未遂を含めた一連の流れを「霊的な戦い」と位置付けていました。それは目に見える実行犯や政治的な敵対勢力との戦いではなくて、全体的な流れの背後に、目に見えない勢力との戦いがあることを意味しています。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:12)
これもキリスト教信仰になじみのない一般の日本人には理解できないことだと思いますが、単に今回の犯人が単独犯であったか、組織的な勢力によるものだったかというような事実的な分析を超えたものとして、信仰者は皆が「死の力を持つ者」との戦いの中にあるということを指摘しているのです。
■ 宗教に肯定的な人々の割合
米国社会における宗教性は、同時に社会の分断も招いています。リベラル派と保守派の間には、宗教に対する態度の違いが顕著です。リベラル派は科学的・合理的なアプローチを重視し、宗教教育を避ける傾向がありますが、保守派は伝統的な宗教的価値観を守ろうとします。この対立は、米国の政治的、社会的分断の一因となっています。
民主党と共和党の宗教に関する見解について、ピュー研究所が発表した2019年の調査データ(英語)によると、次のような割合が示されています。
共和党員の大半は、教会やその他の宗教団体が一般的に、米国社会に害よりも良い影響を与えている(71%)、社会の道徳を強化している(68%)、そして人々を分断するのではなく、結び付けている(65%)と答えているが、民主党員でこれらの立場をそれぞれ取るのは半数以下である。
■ 保守とリベラル
私たちは普段から、日本においても保守やリベラル、右翼や左翼という言葉を聞きますが、その概念は語る人によって異なり、よく分かりません。ただ、この神への信仰と政治の関連が強い米国においては、以下のように整理することができます。
リベラル(民主党)
リベラルな立場は、より多様性と包括性を重視し、宗教的な価値観に縛られない政策を支持することが多いです。つまり、無宗教者や無神論者の割合が強い民主党においては、神の言葉よりは人間理性を優先し、時代の潮流に合わせてリベラル(自由)な改革を行っていくことを是とする傾向があります。
保守(共和党)
一方の保守的な立場は、宗教、特にキリスト教の教えを重視し、伝統的な家族観や道徳観を支持する傾向があります。例えば、中絶反対や同性愛に対する否定的な見解などがあります。これは、時代の潮流に合わせて人が人間理性に基づいて新しいことを始めると、予期しないような問題が生じ得るという立場で、それよりは神の言葉「聖書」や伝統を維持していく方が健全であると考えます。身近な例でいうと、身体的には男性であるのに性自認を女性と宣言すると、女性のスポーツ大会に出場することができ、一般の女性選手たちの間で上位になれることについて、トランプ候補は自分が大統領になったら、そのようなことはなくなると言っていました。
(※私自身は、同性愛などに関しては十把一絡げで論じるのではなく、きめ細かで繊細な議論がなされるべきだとの立場から、いろいろとLGBTに関するコラムを本紙に掲載させていただいています。)
■ キリスト教は道徳宗教ではない
日本の一般メディアの論調は、トランプ氏がキリスト教的な立場を表明していることの意味をあまり理解していません。それは彼の言動が、時に粗暴であったり、どう喝的であったりするように映り、倫理的でない人物のように語られることが多いからです。
しかし、誤解してはならないのは、キリスト教は道徳宗教ではないということです。もちろん、信仰心の結果として、人が道徳的になるということはありますが、それが主たる教えではないということです。では、何が主たる教えかといえば、それは信仰と愛だといえます。
仏教においても「悪人正機」と呼ばれる教えがあり、「善人なほもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な言葉がありますが、聖書にはこのような言葉があります。
イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコの福音書2:17)
正しい人が神に受け入れられるのではなく、悪人と呼ばれるような罪人を招かれるのがイエスの宗教だということです(それというのも、神の前に本当に正しい人など一人もいないからです)。それは、道徳的に正しい行いをする人が神に受け入れられるのではなく、神の一方的なアメイジング・グレイス(恵み)とイエス・キリストの十字架の贖罪を神の愛として信仰によって受け入れられる人がクリスチャンだということです。
ちなみに、ドナルド・トランプは意外に思われるかもしれませんが、素行は粗暴だとしても、シリアのアサド政権が化学兵器を使用したとして空軍基地をミサイル攻撃したのを除けば、2017年から21年までの任期中に新たな戦争を始めていません。これは、最近の米国大統領の中ではまれなことでした。
一方、ジョージ・H・W・ブッシュは湾岸戦争(1990〜91年)を、ビル・クリントンはコソボ紛争(1999年)、また、NATOの軍事介入によりユーゴスラビアに対する空爆を、ジョージ・W・ブッシュはアフガニスタン戦争(2001年〜)、イラク戦争(03〜11年)を、バラク・オバマは、リビア内戦への介入(11年)、シリア内戦への介入など、戦争を始めなかった大統領がいないほどです。
国際政治学者の伊藤貫氏の見立てによると、トランプ氏は外的な素行とは裏腹に、人が死ぬこと、つまり戦争をなるべく避けたがっているとのことです。
■ 愛
今回の暗殺未遂事件において、非常に残念ながら、元消防士のコリー・コンペラトーレさんが一緒にいた家族をかばって亡くなりました。このことについてトランプ氏は、彼の行為をこのような聖書の言葉を引用してたたえました。
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネの福音書15:13)
この言葉は、イエス・キリストが十字架で磔刑にされる前に、弟子たちに残した言葉であり、彼は文字通り、私たちを「友」と呼んでくださり、私たちの贖罪のために、十字架の上で6時間血を流して、死なれました。
ですから、トランプ氏がこの言葉を引用したときに、そのことを知っている聴衆は、キリストの愛と、家族をかばったコリーさんの愛を重ね合わせてスピーチを聞いたと思います。
そして、その後のスピーチでもたびたび、愛、神への感謝、神の加護、信仰心、勇気などといった言葉が繰り返され、そのたびに大きな声援が上がっていました。トランプ氏はこれらの言葉とともに、分断されている米国が連帯することを呼びかけていて、党大会はさながら教会の礼拝のような雰囲気を帯びていました。
■ まとめ
このように書くと、あなたはトランプ支持者なのですね、と言われてしまうかもしれません。しかし、私がここで書いたのは、私が誰を支持しているかということではなく(そもそも私には米国の選挙権もないのですから)、少なくない方々、特に共和党の支持者たちが今回のことについてこのような感覚を持っていることをつまびらかにすることを目的としています。それは上述したような視点が、日本では一般のニュースなどで全く出てこないからです。
この内容から、自身の宗教心や使命を見直すのもよいでしょうし、日本に多大な影響を与える次期米政権として選出される可能性が濃厚となったトランプ氏や共和党を理解する一助としてもよいと思います。ユーチューブの方でも関連情報を発信していますので、もしよろしければご視聴いただければと思います。
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