三浦綾子さんが召されて3年後の2002年、まったく見知らぬ青年牧師から電話がありました。埼玉県在住の長谷川与志充牧師で、「自分は、三浦綾子さんの『塩狩峠』を読んで信仰に導かれました。このたび三浦綾子読書会を立ち上げ、綾子さんの地元、旭川でも読書会をしたいと願っています。その件でお会いしたいのですが・・・」と言うのです。私が初めて長谷川牧師とお会いしたとき、30代半ばの若さ、しかも当時は痩せていてとてもか弱い印象(失礼!)を受けました。そこで長谷川牧師から、三浦綾子読書会を始めたいという熱き志と経緯をお聞きしました。その経緯について、長谷川牧師の著書『ドラマティック・ゴッド』(イーグレープ)から紹介します。
岩手県の片田舎出身の長谷川少年は、愛情深いご両親、妹、祖父母に囲まれ、幸せな幼少時代を過ごしていました。ところが小学校に入ってから同級生たちによる陰湿ないじめに遭い、中学校に入ってもそれが続きました。しかしその後、良き担任教師の助けによっていじめから解放されるようになります。ですが今度は、「これからどのように生きていったらいいか分からない」という深刻な問題に直面しました。
「どう生きるべきか」という人生の問いに暗中模索する中、たまたま盛岡駅の構内書店で目に留まったのが『塩狩峠』でした。そして、その小説に記されていたキリストの言葉に強く引き付けられたのです。それは「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)という、十字架上でキリストがささげた祈りです。
長谷川少年は「このキリストは私のことを知っている」と直感し、生まれて初めてイエス・キリストに真剣な祈りをささげました。誰から指導されたのでもなく、ただ一冊の小説を読んだだけで、「あなたが言われたように、私は何をしているのか自分で分からない状態なのです。しかしあなたは、私がこれからどのように生きていったらいいかご存じのお方であることを信じます。私の人生をあなたにすべてお委ねしますので、あなたの御心通りに私の人生を導いてください」と祈ったのです。
祈った後、「もうこれからは自分一人だけで人生を歩む必要はない。ただこのイエス・キリストに導かれるままに生きていけばいいのだ」という確信が与えられました。やがて高校に進みましたが、教会の敷居が高くて入れませんでした。しかしある日、神から心に語り掛けがありました。「あなたは大学生になると東京に行き、そこで教会に行くようになります。その時までは、三浦綾子さんの本を読んで私の時を待っていなさい」と。それはとても不思議な体験だったと、ご本人が述懐されています。
やがて東京外国語大学インドシナ語学科に入学、そして東京・豊島区の巣鴨聖泉キリスト教会に出席するようになりました。大学卒業後、キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCC)のスタッフとして働き、その後故郷の岩手県で牧師按手礼を受け、1992年から2001年6月まで、盛岡聖泉キリスト教会の牧師として奉仕しました。再び上京し開拓伝道を始めた34歳の時に、「私はどのように東京の未信者の人々と接点を持っていったらよいのですか」と熱心に祈りました。すると「あなたの手にあるそれは何か」(出エジプト4:2)の語り掛けがあり、自分の手の中にある「秘密兵器」が、これまで愛読してきた綾子さんの作品であることを示されたといいます。
そこで東京での開拓伝道に際し、三浦綾子読書会を立ち上げるように導かれました。その直後、東京学芸大学で三浦光世さんの講演会があり、光世さんに直接、読書会の発足について相談する機会が不思議に与えられました。そこで光世さんから快諾を頂き、2001年7月に東京で三浦綾子読書会が正式に発足しました。そして翌02年に、読書会の全国展開の導きが与えられ、長谷川牧師が、三浦文学誕生の舞台、旭川にも来られたというわけです。
私は長谷川牧師とお会いし、読書会誕生の経緯を聞く中で協力したい旨を伝えました。すぐに旭川めぐみキリスト教会を会場に読書会がスタートしました。特に、会場は光世さんの自宅まで徒歩2分の近さにあり、光世さんは毎回のように読書会に出席してくださり、各課題図書の創作秘話などを語ってくださいました。今振り返ると、何と恵まれたぜいたくな時間であったかと、感謝の思いが込み上げてきます。
その後、日本の代表的な都市、札幌・仙台・名古屋・大阪・福岡・那覇でも読書会が始まりました。各都市に熱心な三浦文学ファンがおられ、インターネットによる宣伝も効果的に用いられ、すぐさま初年度から全国で読書会がスタートすることになりました。02年は、長谷川牧師が毎月旭川に来られ、読書会を指導してくださいました。後日、この読書会や三浦作品を読んだことがきっかけで、3人の青年男性が信仰告白して洗礼に導かれたことは本当に感謝なことでした。
読書会が全国的に展開されるとともに、長谷川牧師は『道ありき』や『母』の演劇公演のために協力する機会も備えられるようになりました。その後、あれよあれよという間に、この読書会の働きは拡大し、発足から5年後の06年には、全国に37の読書会が誕生しました。さらに06年からは、海外でも読書会が発足するようになっていきました。19年4月現在、海外も含め全国各地180カ所以上で読書会が開催されています。読書会を通じて洗礼を受けた人も総勢100人余りに上ります。
私は、長谷川牧師と初めてお会いしてから17年間、長谷川牧師が日本国内はもとより、世界各地を飛び回る姿に本当に驚嘆させられています。次から次へと斬新な発想を与えられ、かつ実践していく行動力は、不思議でさえあります。彗星(すいせい)のように現れた長谷川牧師は、主から三浦文学に特別な使命を与えられた選びの器だと認めざるを得ません。読書会の代表を2011年、森下辰衛(たつえい)氏に渡し、現在も顧問として精力的に国内外で活動されています。三浦綾子読書会誕生のために、主が長谷川牧師を用いられたことを深く感謝し、御名をあがめています。(続く)
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