本紙に寄稿してくださっている青木保憲氏は現在、同志社大学で嘱託講師をしており、全学部共通科目である「建学の精神とキリスト教」(以下「建キリ」)を担当している。その2019年度の授業で、『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』(以下『せかゆる』)をテキストの一つとして使用するという。フォロアー9万人超え(19年3月現在)の人気ツイッターを運営する同教会から生まれた本書だが、新島襄が設立した同大の建学の精神を伝える授業でなぜ採用したのか。その経緯を青木氏に伺った。そこから見えてきたのは、現代の若者たちにどうキリスト教を伝えるべきか、という古くて新しい問いへの「一つの回答」だった。
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クリスチャントゥデイ(CT):「神学書を読む」シリーズや、連載コラム「ナッシュビルからの愛に触れられて」のほか、映画レビューなど、多くの寄稿をいただきありがとうございます。
青木:こちらこそお世話になっています。私は「CT専属の執筆者」というわけではありませんから、求められれば他紙にも寄稿します。しかし、一番早く私の提案に返事をくださるのはCTさんなので、どうしてもよくやりとりすることになってしまいますね。
CT:19年度から、同志社大学で担当されている「建キリ」で、今話題の『せかゆる』をテキストとして採用されると聞きました。
青木:厳密には「サブテキスト」として使用するということです。担当させていただいている「建キリ」は、全学年共通科目であるため、神学部のみならず、他学部の学生も一般教養科目として受講できる、最もオープンな授業なんです。ですので、18年度ですと、理系の学生やグローバルな言語教育に特化した諸学部の学生たちもこの授業を取っています。
CT:年間何人くらいの学生が受講されるのですか。
青木:だいたい150人から200人くらいですね。もちろん授業登録だけして出席しない学生もいますから、正確な数字はふたを開けてみないと分かりませんが。
CT:今回、どうして『せかゆる』をテキストとして使用しようと思われたのですか。
青木:まず「建キリ」についてお話しします。「建キリ」とは、同志社の精神的支柱となる新島襄の生涯、そして彼と共に歩んだ同志社の卒業生たちの生涯を紹介するとともに、どのような願いを持ってこの同志社が生み出されたのかを伝える授業です。言うなれば、「同志社に同じ志を持って集まっていることの意味」を学生たちに伝える科目、とでも言ったらいいでしょうか。
私はこの科目を17年度から担当していますが、それ以前の「建キリ」を受講したことのある学生たちから、いろいろな感想を聞く機会がありました。そこでは「楽タン(簡単に単位を取れる科目)」「テストを終えるとすべて忘れてしまう」「内職してた」というようなネガティブなものから、「同志社生の自覚が生まれた」という真面目で積極的なものまで、多岐にわたっていました。そうした感想は大いに参考になりましたが、「キリスト教」そのものへの関心が薄いということにも気付かされました。ですので、そこをもう少しプッシュしたいなと思ったんですね。
CT:青木先生はどんな思いでこの科目を担当されているのですか。
青木:同志社の歴史や意義を伝えることはもちろんですが、先ほど申し上げましたように、幅広い意味での「キリスト教」に一人でも多くの学生に興味関心を持ってもらいたいと思っています。ですから、なるべく分かりやすく、興味関心がない学生たちですら思わず見入ってしまうような、そんなテキストはないだろうか?と探していたんです。
CT:そこで昨年末に出版された『せかゆる』に目を付けられたのですね。具体的には『せかゆる』のどこが良いと思われたのですか。
青木:『せかゆる』については書評も書かせていただきましたが、本物の聖書に比べると圧倒的に文字が少なく、そしてイラストが満載であることがまずポイントです。そして一番重要だと思うのは、小難しい「キリスト教業界用語」が、現代的な若者用語にきちんと変換されているということです。徹底して「読者目線」というか、ビギナーの読み手に寄り添う表現を見つけるのに苦心されているなと思いました。
だからと言って、聖書の言葉や福音主義的な神学を、別なものに作り変えているというわけではありません。一定水準を保ちつつも、遊べるところはとことん遊び、SNS世代の心をくすぐるような工夫が随所に見られるな、と私は思いました。キリスト教界だけで通用する用語を平易な表現に言い換えることで、読み手が未信者であればあるほど、納得度が高まるような仕掛けが見事にできていると思います。私には到底できないことです。
CT:絶賛ですね。
青木:こういった書物を長年待ち望んでいましたから。私は神学生時代から、平易な文章で若い世代にアプローチしようとし続けてきました。そういった志を持った神学生や牧師たちと、雑誌や定期刊行物を出していた時もありました。しかし正直に言うと、どれもうまくいきませんでした。
CT:それは、SNSが隆盛する以前のことですか。
青木:はい。2000年前後です。当時はまだ、情報発信は紙媒体で行うか、パソコンに詳しい人が手作りのホームページを立ち上げる程度のものでした。しかし、上馬キリスト教会は一教会でありながら、ツイッターで9万人を超えるフォロワーを獲得していますよね。フォローしている人はキリスト教徒ではない人が多いようですし、これで1冊の本が書けるということは、相当若者に届く言葉を駆使できるのだと思います。
牧師としての私が求めるのは「キリスト教徒となる若者」です。しかし、大学の講師という立場をわきまえて今回の決定はしています。学生たちを「キリスト教の信者にする」直接的な手立てとは決して見なしていません。そんなことをすると、本書にもありますが、上馬キリスト教会から「全力で止められて」しまいますよ(笑)。授業では、あくまでもアカデミックなキリスト教、最終的に日本の大学で単位としてカウントされるに値する知識を伝達することを第一義としています。それに役立つツールとして、本書を用いようと考えているのです。(続く)