芸人時代の先輩であり、現・所属教会の主任牧師であるマルセ先生の紹介で臨んだ司会の仕事。久々な上、満身創痍だったにもかかわらず、無事務め上げられたのは、知らずして主のご計画に従った結果だったのでしょう。
ライブ終了後、先生の手を通し、主から“心と体の癒やし”を頂いた私は、「まことの光」へと歩き始めたのです。そのおかげで「教会に行ってみない?」と誘われたとき、「教会には、宇宙から“マイナスの気”が届いているから危険」という、X教の教えから来る“恐れ”よりも「何か違う扉が開かれる」という“期待”の方が勝り、行くことを決めたのです。
しかし、闇に扉を開いたままだった私の心に、悪魔は素早く“恐れ”を叩き込み、脅しをかけてきました。が、その“恐れ”は、“期待”を完全に取り除けず・・・。結果、「怖いけど行く」と決め、そこで「霊的武装で臨もう!」と、Xアイテムを駆使しました。
まず、教会の“気”から身を守るため、Xで教えられた通り、“気の入り口”である「盆の窪(首の後ろ中央窪んだ部分)」に「観音ペンダント 」を貼り付け、「尾てい骨の上部」には、3枚のカード(観音像・Y教祖と竜形の炎などが写った2L版の写真)を貼り、気が抜かれたり、マイナスの気を入れられないように蓋をし、腰にはサラシで作られた「観音カード専用ベルト」にカードを入れて巻き付け、まるで“テロリスト”の様相で出向きました。何とも無駄な抵抗をしたものだと笑ってしまいます。
当時、調布に住んでいた私のため、「家の近くがいいだろう」と、知り合いのS先生の教会に連れていってくださいました。現在は大きくなって吉祥寺に移転されましたが、当時は小さなビルの上階にありました。その前を頻繁に通っていたのに、その時まで教会の存在にまったく気が付きませんでした。見せないように、目に覆いをかけられていたのかもしれません。
階段を一段一段上るごとに、体に力が入り、戦闘モードになっていきました。「絶対に気を取られないぞ!(X)神様、これから教会に入ります。私をあなたの波動の渦で守ってください!!」と、心で祈りながらたどり着き、扉が開かれた瞬間、渾身の気合を込め入りました。
ところが・・・会堂内の、なんと温かいこと!「固くなり締め付けられ、肩が凝り、頭痛が起きる」どころか、「ゆるむ・ほぐれる解放感」に満たされていったのです。今まで、寺や神社にやむなく出向いた際、同じ装備で臨んでも必ず体調不良になったのに(そこで気付けよ!ですが(笑))・・・。今振り返れば当然のことですが、当時は不思議に思いました。
その教会では、「預言カフェ」を行っていて、マルセ先生の勧めで「預言」を受けてみることにしました。クリスチャンのみならず、ノンクリスチャンの方も多く訪れているようでした。“予言”ではなく、“預言”というものがあることを、私はそこで初めて知りました。神様が、一人一人に語られることを預かり伝える・・・神様の愛と恵みに満ち溢れ、人を励まし、慰め、立て上げるもの、ということでした。
その日、主任牧師のS先生はご不在でしたが、副牧師のI先生が預言を下さいました。預言の前に、I先生とマルセ先生が「異言」で祈り始めたとき、「異言」も初体験だった私は、一瞬「カルト?!」と身構えました。が、その後、I先生が「愛するわが娘、よく来ましたね。あなたを待っていましたよ」と語られた瞬間、涙が溢れ出しました。天の父の、大きくて優しい腕に抱き寄せられたのです。
あの時の感動は、言葉に言い表せません。孤独に戦ってきた、つらかった、寂しかった、悩んだ苦難の日々・・・そのすべてを分かってくださっていたのだ、と知りました。心も体もボロボロに傷つき、家庭は崩壊、仕事もお金も失い、「自分は生きる価値もない最低の人間だ」と自分を責め続けてきた私を、天のお父さんは一切責めず、ただただ「愛している」と何度も何度も言ってくださったのです。
「こんな優しい愛の神様が、マイナスの寒い悪い気を人間に送るはずがない」・・・そういう思いが膨らんでいきました。そして「イエス様を信じようか?!」とマルセ先生に言われたとき、自分の前に、純白に輝く「道」が見えました。そして、先生の後について「信仰告白」をしたのです。私のすべての罪が赦(ゆる)された瞬間でした。
帰り道、「思ってもいない告白をしてしまった気がする」と伝えました。すると「これは、“信仰告白”というんだけど、神様が働かないと言えないんだよ。また、聖書には『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる』(ローマ10:10)と書いてあるよ」と・・・。その時はいまだ実感がありませんでした。しかし、その表れは、徐々に私を変えていったのです。
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